ロコ・ソラーレ吉田夕梨花インタビュー(前編)北京五輪で史上初の決勝進出を果たし、銀メダルを獲得したカーリング女子日本代表のロコ・ソラーレ。そのメンバーである吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の4選手が以前、自らのカーリング人生、五輪…

ロコ・ソラーレ
吉田夕梨花インタビュー(前編)

北京五輪で史上初の決勝進出を果たし、銀メダルを獲得したカーリング女子日本代表のロコ・ソラーレ。そのメンバーである吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月の4選手が以前、自らのカーリング人生、五輪という舞台について語ってくれた。

メダル獲得を記念して今回、そのインタビュー(取材は2020年7月。掲載は2021年1月~2月)を改めて紹介したい。まずはリードの吉田夕梨花。自らのカーリング人生について語っている――。

――まずは昔の話から聞かせてください。幼少期の頃に「将来、何になりたい」と思っていましたか。

「保育所の時は『お母さん』だったかな。うちの母は自分のことより、他人のことに一生懸命になれる、可愛らしく素敵な人なんですよ」

――ご家族の影響で5歳の時にカーリングを始めたと伺っています。当時の記憶などはありますか。

「あまり覚えていないんですよね。でも、いつも楽しかった記憶だけは残っています」

――それは、石を投げることが、でしょうか。

「う~ん、アイスの上もそうですけど、(鈴木)夕湖さんがいたからかもしれない。夕湖さんとは、かまくらを作ったり、布の袋を持っていって土手で滑ったり......、小さい頃からずっと一緒に遊んでもらっていて、その延長線上にカーリングがあったのかもしれません」

――カーリングを競技として、戦術的にも、技術的にも本格的に考えるようになったのは、いつ頃からでしょうか。

「どうなんだろう......。ジュニア時代は意識していなかったと思います。ロコ・ソラーレに入って以降ですね」

――ロコ・ソラーレは昨年で結成10年を迎えました。吉田夕梨花選手は17歳からオリジナルメンバーとしてチームを支えてきました。以前に「楽しい時間だけでなく、苦しい時間もあった」と発言していますが、どういった点で苦しさを感じていたのでしょうか。

「今でこそ、チームをサポートしてくれるスポンサーさんや、支えてくれる方々の存在に感謝できていますが、当時はそういった状況を理解するまでに、正直時間がかかりました。カーリングにプロはないけれど、(所属する会社から)お給料をもらってカーリングを続けることは、ある意味ではプロのような環境です。とても誇らしいですし、幸せなことなのですが、そこにはどうしても責任が伴う。純粋に『楽しいから続けてきた』というカーリングが、真剣に打ち込んで結果を出さなければいけないものになってしまって、当初は戸惑いのようなものを感じていました」

――そうした状況のなか、2014年ソチ五輪に姉の吉田知那美選手(当時、北海道銀行フォルティウス所属)が代表メンバーとして出場。複雑な思いもあったのではないでしょうか。

「あの頃は(お互いに)ライバルチームに所属していて、話はするけれど、なんとなくカーリングの話題にはならなかったと思います。家族は応援しづらかったでしょうね。にもかかわらず、普段どおりでいてくれた家族には、申し訳ないというより、感謝しています」

――お母さまは、ソチまで知那美選手の応援に行かれたと伺いました。夕梨花選手はテレビでご覧になっていたのでしょうか。

「いえ、まったく覚えていませんから、試合は見ていないと思います。ただ、他のチームにいながらも、姉を見ていたら、私とは違う悩みや戸惑いがあって、彼女なりに揺れていたりしたことは感じ取れた。そんな姿はなんとなく覚えています」

――その姉である知那美選手がソチ五輪明けのシーズンに、さらに2015年には藤澤五月選手がロコ・ソラーレに加入。そして、2016年の日本選手権で初優勝を飾って、直後の世界選手権では銀メダルを獲得しました。

「誰がいいとか悪いとかという話ではなく、選手が入れ替わるっていうのは、エネルギーの方向が変化するんだな、ということは実感しましたね」

――世界選手権などを経験したあと、世界で勝つための戦術など意識し始めたのでしょうか。

「時期的にはそれくらいかもしれません。ただ、世界戦というより、(ワールドカーリングツアーの最高峰タイトルである)グランドスラムに出たい、出られた、ということが大きかったかもしれません。やっと出られたグランドスラムが思っていたより楽しい場所で、あそこで勝つためには何が必要か、考えるようになりました」

――世界のトップ15(あるいは16)が集うハイレベルな舞台ですが、世界選手権や五輪とはまた違うものなのでしょうか。

「会場の盛り上がり方が、本当に別格で、楽しいです。2019年のトロント(プレーヤーズ・チャンピオンシップ)だったと思うんですけれど、どこかの試合で私の投げたフリーズ(ハウス内にあるストーンの前にぴったり寄せる難易度の高いショット)に、カナダのライアン・フライ選手が大きな拍手をしてくれたのをすごく覚えています。

 また、さっちゃん(藤澤五月)の投げたラストロックを、夕湖さんと必死にフルスイープして得点した時には、会場全体でスタンディングオベーションしてくれたこともありました。ああいう選手同士もそうですし、観衆を巻き込むような一体感は本当にうれしかったです。カーリングを続けていてよかったな、といちばん強く感じた瞬間かもしれません」

――2018年平昌五輪に出場し、銅メダルを獲得したことよりも、心に残る強い印象なのでしょうか。

「そうですね。オリンピックについては、すごい経験だったと思いますし、あのなかで戦い切ったことは大切な財産になりました。自分の人生に大きな影響を与えていると思います。でも、大事なんですけれど、それがすべてではない、という気持ちもあります」

――そうなると、夕梨花選手ご自身の、競技としての"ゴール設定"はどこになりますか。

「どこなんでしょうね。自分でもわかっていないのかな......。グランドスラムで優勝したら、『これでよかったな』と満足するんですかね? 満足してしまったら、その時が引退じゃないですか。もしくは『もう1回、次は違う大会で勝ちたいな』という欲が出てくるのかもしれない。どちらにしても、自分自身が『もうこれ以上、成長しないな』と感じたら、そこで終わりだと決めてはいます」

――来年は北京五輪があります。その先、2026年の開催地はミラノ・コルティナダンペッツォ(イタリア)で、その次の2030年には札幌での五輪開催が期待されています。

「2030年となると、37歳か。ちょっと想像できませんね。スイープできるのかな。でも、少なくとも私は、選手としての自分を4年で区切ってはいません。大切なのは、その時に自分が楽しめるかどうかなんですよ。『楽しみを見出せなければやめちゃえ』と自分で思っているので。

 2030年までやっているかどうか、そこまでの自信は、今はあまりないです。ただカーリングって、一度現役を離れてもまた挑戦できる競技ではあるので、どうなるのか......。やっぱり、まだわかりません」

――将来について、選手以外のキャリアのことを考えていたりしますか。

「最近はカーリングにもどんどんデータが入ってきて、特にカナダのジェイソン・ガンラグソン選手が本格的にデータ解析をしていたりして、積極的に活用しています。カーリングだけでなく、日本のマイナースポーツにもアナリストのような仕事が将来的にどんどん増えればいいと願っていますし、私も個人的に興味があります。コツコツと何かを蓄積して解析する、みたいな過程はわりと好きで、そういう作業は得意なんですよ」

(つづく)


吉田夕梨花(よしだ・ゆりか)
1993年7月7日北海道北見市生まれ。幼少の頃からカーリングを始め、2010年のロコ・ソラーレ結成時からオリジナルメンバーとしてチームを支えている。2014-2015年シーズンからリードのポジションを担い、高いデリバリー技術や正確なスイープで2016年の世界選手権銀メダル、2018年の平昌五輪銅メダルなど、日本カーリング史上初の国際大会でのメダル獲得に貢献した。2021年の目標は

「なるべく献血をしようと思っています。まだ1回しかしてないけど」