ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(7) フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2…

ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(7)

 フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2018年からトロロッソ(現アルファタウリ)と強力タッグを組み、そして2019年からはレッドブルも加わって優勝争いを演じるまでに成長した。そして2021年、ついにチャンピオンを獲得。有終の美を飾ってF1活動を終了した、ホンダF1の6年間に及ぶ第4期を振り返る。

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夢のような逆転劇で優勝を飾ったピエール・ガスリー(右)

 2020年10月2日、F1ファンの間に激震が走った。

 ホンダが突如として、F1からの撤退を発表したからだ。

 2015年にマクラーレンと組んでF1に復帰した時、ホンダはF1の頂点を目指すとともに、ずっとこの世界にとどまり続けるつもりだという強い意思表示をしていた。そのいずれも果たさぬまま去っていくことに、熱心なファンほど怒りと悲しみを覚えたはずだ。

 カーボンニュートラルの時代に向けて、新たな革新を生み出さなければホンダは消滅してしまう。ホンダがホンダらしく生き残っていくための苦渋の決断。それを発表する八郷隆弘社長(当時)は、あえて感情を抑えて淡々と語り続けたが、本心は違ったはずだ。

 マクラーレンとの決別によりF1撤退の危機に直面した際、これに賛同する役員が多数を占めるなかでも、なんとかトロロッソとのタッグを組みF1にとどまるという筋道を見つけることを後押ししたのは、ほかならぬ八郷社長だったと聞く。

「最もうれしかったのは、アルファタウリとピエール・ガスリー選手とともにイタリアGPで勝利を挙げたことです」

 八郷社長は撤退発表会見でこう語った。2019年オーストラリアの初表彰台でもなく、2019年オーストリアの初優勝でもなく、2020年イタリアのアルファタウリの優勝。背景を知らなければ、不思議な答えだと思うかもしれない。

開幕前テストで強い手応え

 しかし、現場で指揮を執る田辺豊治テクニカルディレクターや山本雅史マネージングディレクターも、ことあるごとにトロロッソへの感謝を口にする。

 ホンダがF1に残ることができたのも、レッドブルとタッグを組むことができたのも、そして頂点へと駆け上がることができたのも、すべてはトロロッソが手を差し伸べてくれたから----。

 F1を愛し、どうしてもF1への挑戦を続けたかった者たちは、そのことが痛いほどわかっている。だからトロロッソへの感謝を常に忘れない。八郷社長もそのひとりだった。

 2020年、ホンダは開幕前テストで強い手応えを感じていた。

 目標としていたメルセデスAMGはトラブルが散発し、パワーでも回生量でもホンダは同等かそれ以上の勝負ができると分析していた。

 しかし、新型コロナウイルスの影響で開幕は延期となり、7月の開幕直前になってMGU-H(※)のエネルギーマネジメントについての規定が技術指令書で変更され、ホンダが目論んでいた回生量を増やす手法は封じられた。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 開発責任者の浅木泰昭はこう振り返る。

「2019年の最後には、メルセデスAMGもそろそろ頭打ちで、来年こそは戦えるんじゃないかと思っていました。しかしフタを開けてみると、メルセデスAMGはまだ余力を持っていたことが明らかになりました。

 回生量についても、オーストラリアGPの時点では認められていた制御がオーストリアGPの直前に急に禁止され、回生量がガックリと下がってしまいました。パワーも負けているし、回生量も戦えないということで、非常に苦しいシーズンになってしまいました」

 レッドブルの車体もナンバーワンとは言いがたく、どのサーキットでもメルセデスAMGに差をつけられた。メルセデスAMGがタイヤに苦しんだ70周年GPで勝利を拾うのが精一杯で、レッドブルは最終戦アブダビを制して2勝にとどまった。

まぎれもなくホンダの実力

 そんななか、イタリアGPの勝利は異彩を放っていた。

 もちろん、赤旗中断という幸運による部分は大きい。ガスリー自身は早めにピットストップを終えて15位まで後退し、その直後にセーフティカーが導入されたため、本来はむしろ圧倒的に不利な展開だった。

 しかし、ピット入口が停止車両のため閉鎖されて誰もピットインを済ますことができず、隊列が整ってからピットインすることになったおかげで、ガスリーは逆に15位から3位へと大きくポジションを上げることに成功した。さらには、首位ルイス・ハミルトンがピット閉鎖中にピットインしたことでペナルティを科されるという幸運もあった。

 だが、28周目の再開から53周目まで残り26周のレースを制したのは、まぎれもなくガスリーとアルファタウリとホンダの実力だった。

 カルロス・サインツ(マクラーレン)の追撃を振り切りながら、甚大なプレッシャーのかかる状況下で一切のミスを犯すことなく、ガスリーはトップでチェッカードフラッグを受けてみせた。

「正直言って、まったく信じられないよ、何が起きたのかまだ現実味がない。ものすごくクレイジーなレースだったし、赤旗の幸運もあったけど、クルマもすごく速かったし、これだけパワーがモノをいうサーキットでしっかりと戦えたのは、ホンダのおかげでもある。こんなにパワーセンシティブなサーキットでメルセデスAMG、フェラーリ、ルノーの全車に勝てたんだから、最高だよ」

 ガスリーは前年度にレッドブルへ昇格を果たしたものの、リアの不安定マシンに苦戦し、前半戦を終えた時点でトロロッソへ再降格という屈辱を味わっていた。

 そしてそれと時を同じくして、子どもの頃からルームメイトとしてともに切磋琢磨してきた親友のアントワーヌ・ユベールを事故で亡くしてもいた。

 それでもガスリーは前を向き、今自分が置かれた状況のなかで、やれるかぎりのことをするしかないと戦い続けた。それがガスリーを強くし、レーシングドライバーとして大きく成熟させた。モンツァの走りは、まさにそんな成熟ぶりを体現した26周だった。

苦楽をともにしてきた同志

「レースをリードして、コーナーごとに自分の走りに集中して走るという、GP2時代のことを思い出していたよ。最後の数周はミラーに写る彼(サインツ)の姿がどんどん大きくなってきたなかで、僕はターン1出口のトラクションがかなり苦しいのはわかっていた。

 彼が仕掛けてくるとしたらDRS(※)を使ってターン1で来るか、第2シケインだと思っていた。だから、1.5秒差になるまで僕はエネルギーをセーブしておいて、彼が仕掛けて来たらそれを使ってディフェンスしようと備えていたんだ。最終ラップにそれを使い果たしたけど、なんとか彼を抑え切ることができてよかった」

※DRS=Drag Reduction Systemの略。追い抜きをしやすくなるドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制システム。

 ホンダにとっても、ガスリーはF1昇格前のスーパーフォーミュラ時代から苦楽をともにしてきた同志。2018年にトロロッソと組み、「僕らは戦えるんだ」と自信を与えてくれたのも、ガスリーだった。

 そしてホンダは、カスタマー供給を行なうほかのパワーユニットマニュファクチャラーとは違い、レッドブルとアルファタウリの両方にまったく同じ陣容でパワーユニットを運用している。エンジニアの数も、ファクトリーでのバックアップ体制も、そして現場でのセッティングやレース中のモード変更もだ。

 つまり、モードの選択肢が少ないカスタマーチームとは違い、ホンダはアルファタウリにレッドブルと同じレベルの細やかなパワーユニット運用を行なえる。だから、守る時には守る、攻める時には限界ギリギリまで攻める、ということができる。

 2019年ブラジルGPで最終ラップにガスリーがハミルトンのメルセデスAMGを抑えきるどころか引き離して2位表彰台を獲得したのも、雨の2019年ドイツGPでダニール・クビアトが3位表彰台を獲得できたのも、そんなホンダの姿勢があったからでもある。

ホンダにとって最高のシーン

 ホンダにとって、アルファタウリは特別だった。

 タイトル争いの同志はレッドブル。アルファタウリは表彰台も難しい中堅チーム。しかしそれでも、ホンダはトロロッソが救ってくれた恩義を絶対に忘れず、態度で示し続けた。

 だからこそ、八郷社長は「一番うれしかったのはイタリアGP」と寸分の迷いもなく言いきった。

 イタリアGPで劇的な初勝利を挙げたガスリーが、それまでの長く苦しい時間を噛み締めるかのように表彰台でひとり座り込んでいる姿は、ガスリーとアルファタウリにとってだけでなく、ホンダにとっても最高のシーンだった。

「チームとパワーユニットマニュファクチャラーが組んで仕事をするとなると、昔から往々にして『クルマを速くするにはパワーユニットはこうしろ』といったつき合い方になるなか、アルファタウリはとにかくオープンにつき合ってきてくれました。

『ホンダは何がしたいのか?』『活動する上で不都合はないか?』といったように、技術面でも運営面でも非常にオープンに我々を受けいれ、一緒にやって来てくれました。2019年からはレッドブルテクノロジーを通じてレッドブルとも一緒にやっていますけど、その基礎を作ってくれたのはトロロッソだったわけです。我々が今ここにあるのは、彼らのおかげだと思っています」

 田辺テクニカルディレクターは、うれしそうにそう言った。

 そしてその背景では、すでに決まっていた2021年かぎりでのF1撤退に向けて、一度は棚上げされていた新骨格パワーユニットの開発プロジェクトが再び動き始めていた。

 F1の頂点を獲るという挑戦は、まだ終わっていない。最後の戦いに向けて、技術者たちは全力で戦い続けていた。

(第8回につづく)