北京五輪のノルディック複合で、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪のノーマルヒル個人では、ともに銀メダルを獲得している渡部暁斗(北野建設)が、5回目の出場となる今回、ラージヒル個人で意地の銅メダルを獲得した。ラージヒルでは渡部暁斗らしい…

 北京五輪のノルディック複合で、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪のノーマルヒル個人では、ともに銀メダルを獲得している渡部暁斗(北野建設)が、5回目の出場となる今回、ラージヒル個人で意地の銅メダルを獲得した。



ラージヒルでは渡部暁斗らしいジャンプと走りを発揮し、銅メダルを獲得した

 今季のW杯は5位が最高で、総合ランキング10位で臨んだ北京五輪。大会前からジャンプの調子がなかなか上がらず、9日のノーマルヒルでジャンプは98mの9位。108mを飛んでトップだった山本涼太(長野日野自動車)に1分16秒差のクロスカントリースタートながら、距離だけのタイムなら全体4位の24分24秒1で滑り、7位入賞を果たしていた。

 そこからラージヒルに向けて徐々にジャンプの調子は上がり、15日のラージヒル個人では「北京に来て一番いいジャンプが飛べた」と、1位のヤールマグヌス・リーベル(ノルウェー)に54秒差の5位と、メダルの見える位置につけた。

「いいジャンプはしたのですが、(走る)ポジションとしては複雑な部分があるというか......。前を54秒差で追わなければいけないのに周りに走るのが速い選手がいないし、自分の40~50秒くらいうしろにいる速い選手たちが、固って追いかけてきそうなので、逆に取り残されちゃった感もありますね。ひとりくらい、一緒に走ってくれるような選手がいたらよかったんですが......。」

54秒前にいるリーベルは、昨季まで3年連続W杯総合優勝を果たし、今季も8勝している選手。走りも渡部より少し落ちるだけの選手で、差を簡単には詰められない。そこそこ走れそうなのは、渡部の7秒前にスタートするマヌエル・ファイスト(ドイツ)くらいで、自分でペースを作って走らなければいけない状況だった。

【ハードなレース展開】

 最初の1kmで追走集団の先頭に立った渡部だが、最初の周回を終えて2周目に入るところで、先頭のリーベルがコースを間違えてからコースに戻るミスをしたため、その差を一気に詰めることに成功した。

3.5km手前からはファイストとリーベルと一緒の3人先頭集団になったが、このレースの苦しさを渡部はこう振り返る。

「ポジション的には自分が1位になったなと思ったけど、そこでペースを崩してはいけないから『冷静に』と思って走りました。ただ、けっこうサインも出したけど、協力してくれる選手がいなくてあまり引っ張ってくれないから、いいペースを作りながら走らなければいけないなと思いつつ、うしろとの差を見つつという感じで、すごくハードなレースでした」

6kmを過ぎてからは、渡部の33秒後にスタートした今季W杯総合1位のヨハネス・ランパルター(オーストリア)が追いついてきて4人の集団に。だが、最後の周回に入る頃にはうしろの集団も12秒差ほどまで詰めてきていた。

「うしろに大きな集団が来ているのが見えていたので、『自分で引っ張るのは嫌だな』と思っていたらランパルターが(前に)行ってくれました。そこは彼の心意気にすごく感謝したいと思います。それで最終周回に入った最初の上り坂でリーベルが遅れたので、これはランパルターとの勝負になるかなと思っていたら、彼もかなり疲れていたみたいで、『もしかしたら金が巡ってくるかな』と思いました。でも、最後にはうしろから来たふたりにサクッとやられたので、『思うようにはいかないな』とゴールしてから改めて反省しました」

 渡部が先頭に立ったが、最後はうしろから追いついてきたヨルゲン・グローバクとイェンスルラース・オフテベロ(ともにノルウェー)に襲い掛かられ、グローバックには0秒6差、オフテブロには0秒2差で3位となった。先頭を引っ張る場面も多く、最後まで力は残っていなかった。

【平昌大会以降の変化】

 ソチ大会と平昌大会で2位になった当時、渡部は五輪のメダルよりW杯総合優勝に重きを置いていた。「それこそが、ノルディック複合の王者の証」と思っていたが、そのW杯総合優勝を平昌五輪シーズンに獲得してからは、「まだ手にしていない五輪の金メダルに興味を感じる。獲りたいという気持ちが大きくなった」と心境に変化が起きた。

さらに子どもも生まれたことで、「もうこれ以上、自分のためだけに時間を使うわけにはいかない」と臨んだ北京大会でもあった。ただ、過去2大会のように自信があるわけではなかった。

「今日はいいジャンプでしたけど、W杯では表彰台もなくここまで来ていたので。五輪前には『金メダルを獲る』と言って自分にプレッシャーをかけてきたけど、本当に今回に関しては自分のことを全然信じられなくて、大丈夫かと思いながらスタートしていました。だから今シーズンの戦いを考えれば、メダルが獲れただけで上出来だと思います。それに、最後の最後まで金メダルをあきらめずに走れたとも思います」

金メダルまでは0秒6とわずかな差だった。だが渡部は、「ソチ五輪や平昌五輪のほうが金メダルに近いところにいました。今回は本当に遠いところにいたと思います」と言う。だからこそ、「銅メダルに届いたことが本当によかった」と安堵していた。

「思い返せば『なんで最後のストレートでもうちょっと頑張れなかったんだろう』と思うことはありますけど、レースの最中はそこまで考えられなかったですし、エネルギーを頭ではなく体に使おうとだけ考えていました。それでもメダルが獲れたのは執念でしょうね。それはメダルに対してと、自分という人間に対しての両方で。

 色はともかく手ぶらで帰るわけにはいかないという思いと、もう自分のためだけに100%の時間を使うのは最後にすると宣言しての挑戦だったから。そういう意味でも出し尽くして終わりたいと思ったし、最後の最後は自分が空っぽになるくらいの気持ちでやり尽くそうという執念でもあったかもしれません」

 これは2大会獲得している銀メダルと変わらない価値のある、彼の努力の積み重ねがもたらした、勲章ともいえるメダルに他ならない。