北京五輪、フリー『ボレロ』を演じる宇野昌磨【大舞台で見せた生きざま】 2月10日、北京五輪フィギュアスケート男子シングル。宇野昌磨(24歳、トヨタ自動車)は平昌五輪の銀メダルに続き、銅メダルを勝ち獲り、2大会連続のメダリストとなっている。今…



北京五輪、フリー『ボレロ』を演じる宇野昌磨

【大舞台で見せた生きざま】

 2月10日、北京五輪フィギュアスケート男子シングル。宇野昌磨(24歳、トヨタ自動車)は平昌五輪の銀メダルに続き、銅メダルを勝ち獲り、2大会連続のメダリストとなっている。今回は団体戦での銅メダル獲得にも、先鋒で貢献。日本人フィギュアスケーターとして、史上初の3個のメダルを手にした。

 4年前の平昌五輪後、宇野は無邪気に語っていた。

「どの試合とも変わらず、"オリンピックだから"という特別な意識はなかったです。ただ、シーズンのなかでも一番気持ちの高ぶりがあって。何が理由かはわからないですが」

 当時はまだ若く、純真さだけで、無心の境地に入れたのだろう。それは彼の才能だったが、さらなる高みが見えた時、心に変化が生まれた。変らずにはいられなかった。

「"宇野昌磨の生き方はこうなんだ!"っていう姿を見せたい」

 2018年12月の全日本選手権、宇野はその志を口にしていた。

 以来、スケートを極めるため、あえて信頼するコーチたちと袂(たもと)を分かち、苦しみながらも新たなコーチと出会い、プログラム難易度を高め、ケガにもくじけず手を尽くし、次々に冒険的選択をしてきた。心を砕かれるような苦難の局面もあったし、祝祭のような歓喜の瞬間もあった。しかし、自身は一貫して「成長」という言葉を繰り返し、「逃げない、攻める」と邁進してきた。

 北京で、彼はその生きざまを見せたと言える。



SP『オーボエ協奏曲』を演じる宇野

 2月8日、宇野はショートプログラム(SP)でリンクに立って、『オーボエ協奏曲』のプログラムを滑っている。グレーを基調に惑星の輝きを思わせる衣装。シーズンを通してメインで使ってきたものだ。

「試合につながる練習を」

 宇野はそう言ってきたが、練習の質の高さは彼を裏切らない。

 冒頭、4回転フリップを美しく降りる。GOE(出来ばえ点)は3.77点で団体戦の時の点数を上回った。4回転トーループ+3回転トーループの連続ジャンプは氷に手をついたが、成功に等しく、後半のトリプルアクセルも完璧に降りた。特筆すべきはスピン、ステップ、団体で落としていたレベルを、すべてレベル4に引き上げた点だ。

「ステファン(・ランビエル)がいたので、(団体戦後に)スピン、ステップ、どこで取りこぼしたのか、という原因を話し合えました」

 宇野はそう振り返ったが、おかげで105.90点とハイスコアをたたき出し、自己ベストを更新した。3位につけ、コロナ問題でどうにか大会に間に合ったランビエルコーチとの息は合っていた。

「ステファンには、『4(回転)・3(回転)は失敗したけど、4・2で成功するよりも価値あるジャンプだった』と言ってもらえました。英語なので、勝手に解釈しているところはありますけど(笑)。練習ではほとんど4・3で跳んでいるので、あとは試合でしっかりと跳べる癖をつける大切さを感じています。スピンはよかったですが、ステップはステファンにも『もっとできた』と言われましたし、ちょっと甘かったなって」

 宇野は短い間で技を改善させ、「成長」を示していた。

【思いが詰まった銅メダル】

 2月10日、フリー。宇野は黒を基調にゴールドのストーンをちりばめた衣装で颯爽とリンクに登場している。白いほおが紅潮した。昂揚はあっても、恐れや焦りは見えなかった。

 まずは4回転ループで成功している。高難度のジャンプで3.45点のGOEを獲得。昨年11月のNHK杯で完璧に降りるまで苦戦していたジャンプだが、自分のものにしていた。そのあとの4回転サルコウはNHK杯の3日前に跳べるようになったジャンプで、回りきったように見えたが、q(4分の1回転不足)がついてしまった。4回転フリップも転倒した。

「ループはすごくよかったですが。サルコウはよくなかったし、フリップもよくなくて。演技前から跳べる自信が湧いてこず、跳べるかな、という気持ちに向いていたので、硬くなったのが要因で。それでも、この点数で収まったのは練習してきたおかげで何とか耐えられたのかなって」

 事実、粘り強いスケーティングで一つひとつの要素を成功させていった。トリプルアクセルを降りたあと、後半も4回転トーループ、4回転トーループ+2回転トーループを鮮やかに決めた。最後の3連続ジャンプは、3番目の3回転フリップがシングルになったが、まとめ上げた。そこから解き放たれたようなスピン、ステップで観客を魅了し、『ボレロ』の人々をひとつにする旋律を表現していた。

 187.10点で、フリーでは5位。本来の彼のスコアではないだろう。しかし、昨年12月の全日本選手権でのケガが思った以上に長引くなか、スケート人生をかけて得たひとつの成果である。トータル293.00点で、銅メダルを勝ち獲った。

「この順位が4年間の成果で。今日の演技がどうであれ、この舞台に立って、この結果を残したことは誇れることだと思っています。前回の銀メダルよりも、4年間の思いが詰まっているな、と」

 宇野はそう言って、ふたつの五輪をかけた年月を総括した。

「根本的には(4年前と)変わらず、どの試合も僕には特別で。オリンピックもひとつの試合で。終わって考えているのは、帰って一刻も早く練習して、次の世界選手権に向け、もっとうまくなりたいという思いで。(大会で見つけた課題は)ジャンプの完成度は大切だなって。ショートは着氷後のステップを取り入れていますが、フリーはまだその余裕がなくて。今の構成でもそこはもっと詰められるし、コンビネーションもセカンドループも練習しないと。それに、新たなジャンプでも自分に合う種類を探しながら」

 戦い終えたばかりだが、技を改善する好奇心が先だった。それが宇野昌磨というスケーターの本性なのだろう。明るく澄みきった野心だ。

 まずは今年3月の世界選手権、ランビエルが魂を込めたと言われる『ボレロ』のプログラムで完成形を目指す。