北京五輪、団体戦・男子SPに出場した宇野昌磨 北京五輪、フィギュアスケート団体戦。男子ショートプログラム(SP)、宇野昌磨は赤と黒の衣装で登場した。『オーボエ協奏曲』で105.46点とパーソナルベストスコアを記録。アメリカの世界王者、ネイサ…



北京五輪、団体戦・男子SPに出場した宇野昌磨

 北京五輪、フィギュアスケート団体戦。男子ショートプログラム(SP)、宇野昌磨は赤と黒の衣装で登場した。『オーボエ協奏曲』で105.46点とパーソナルベストスコアを記録。アメリカの世界王者、ネイサン・チェンに次いで2位につけた。

 4回転フリップ、4回転トーループ+3回転トーループ、トリプルアクセルとすべてのジャンプで高いGOE(出来ばえ点)を稼いで着氷。スケーティングは静謐(せいひつ)で曇りがなかった。本人が「重かった」と振り返ったようにスピン、ステップとレベルを落としたところはあったが、見事に先陣を飾ったと言えるだろう。

「気持ちを切り分けることができた」

 演技後、宇野はそう振り返っている。団体戦の一員としての責任、コンディションも含めた調整の難しさ、単純に失敗への恐れ、そしてひとりのスケーターとしての矜持。団体戦の1番手は個人とは異質の絡み合った重圧がのしかかるもので、上ずってしまうところもあるが、その心境は明るく澄みきっていた。落ち着き払い、地力の強さを見せたというのかーー。

【苦しみ抜き、取り戻した「楽しさ」】

 その境地に達するには、長い日々の格闘が必要である。

 北京五輪を前に、宇野昌磨は試練を迎えている。ステファン・ランビエルコーチがコロナの問題で、大会合流が遅れることになった。ふたりの師弟関係を考えれば、ポジティブなニュースではないだろう。

 しかし、宇野は人間としても選手としても成熟してきた。

「スケートにうまく向き合うことができるようになりました。今までは、うまくなりたいという意欲ばかりが強すぎましたが」



団体戦ではSP得点の自己ベストを更新した

 昨年末の全日本選手権前、宇野は胸中をそう明かしていたが、リンクで心と体のバランスを保つことができるようになっている。言うまでもないが、その品格は一朝一夕に身につけたものではない。

 2018年平昌五輪では、天性のスケーティングで意気軒昂に挑んで銀メダルを勝ちとった。同年の全日本選手権では高みを目指す気概を見せ、大会直前のケガのハンディを克服して劇的な優勝を飾っている。2019年はコーチとの契約を解消後、新コーチを探すもタイミングが合わず、ひとりで苦しみ抜いた。しかし、全日本選手権では歓喜の4連覇を遂げ、映画や小説のような復活劇となった。そして2020年はコロナ禍で他のスケーターたちと同様に万事順調とはいかなかったが、ランビエルコーチとスケートの「楽しさ」を取り戻した。

「どの試合でも成長できるように」

 宇野はそう言ってリンクに立ってきた。言うは易く行なうは難し。実際の行動が伴っているからこそ、着実に技術を高められたのだろう。団体戦では4回転に3回転をつけるのに成功し、フリーでの4回転5種類のジャンプ挑戦も今や実現に近づいている。

「やるべきことを自分に課してきて、いろいろとひとつずつこなし、そのなかで見つかった課題とさらに向き合って。いい演技とか、悪い演技とか、そこは運も含めていろいろからんでくるんだと思います。でも、自分から逃げる演技だけはしたくない」

 宇野はそう言っていくつもの「今」と対峙し、今のフィギュアスケートにたどり着いた。

 たとえば、宇野はコーチ不在で苦しんだ時期があった。しかし今となってみれば、その経験は彼を強くしたと言えるかもしれない。今回事情が違うのは、信頼するコーチは存在し、今のところ北京に入っていないだけという点だ(その後、無事に北京入りした)。

「(宇野)昌磨の(スケートに対する)姿勢を目の当たりにして、彼ならできると思っていた」

 全日本選手権後、ランビエルは宇野の試合へのプロセスを絶賛していた。トレーニングは裏切らない。日々の振る舞いが、不条理なことが起きる試合での強さに直結するのだ。

「昌磨はすばらしいモチベーションでトレーニングを重ねてきた。かなりハードなメニューをこなし、どんどんよくなっていった。大会直前に不運なケガをしたが、レギュラーな練習を積み重ねてきたアドバンテージが(今回の)演技に出た」

 一本ジャンプを失敗したら雪崩を打っていたかもしれない、というギリギリの状況で、宇野はそれを乗り越える力を見せた。試練への耐性の強さ。それは彼の武器だ。

【すべてを受け入れる覚悟で】

 2度目の五輪で、宇野は「成長」の総決算を見せられるか?

 全日本後、深夜まで続いた北京五輪代表会見の檀上で、その姿は異彩を放っていた。いつもはくだけた様子で笑顔を絶やさない彼が、表情を少しもゆるめなかった。それは代表という称号を背負う決心だったのか。全力を尽くし、観衆をわかせながら、その舞台に立つ夢が叶わない選手たちもいた。

「オリンピック代表に選ばれたのはうれしいです。でも率直に言って、自分に足りないものを感じていて」

 宇野は真剣な面持ちを浮かべ、宣誓するように言った。

「オリンピックという舞台で自分がどうありたいのか。(これまで)2番手という立場が多かったかなと思いますが、今シーズンはトップを目指せると、ずっと練習してきています。なので、オリンピックではトップを争う選手として名前が挙がる状態で挑めたらいいなと思っています。"いい演技"ではなく、成長できる舞台に」

 その言葉は混じりけなく本気だった。

「前回のオリンピックは緊張がなく、2度目のオリンピックでどんな感情が生まれるのかわかりません。でも、すべてを受け入れる覚悟で挑みたいと思います」

 前回の銀メダルから4年間、宇野は多くのものを背負い、傷つくこともあったかもしれない。しかし、逃げずに向き合い、融通無碍(ゆうずうむげ)の域に達したのだろう。2月8日、男子シングルが幕開け。五輪という舞台装置によって、彼はすべてを解き放つ。