フォアのパッシング決まり、訪れた一瞬の静寂……。待ち望んでいた瞬間を確認したバーティは、湧き上がる大歓声と共に心のうちのすべてを解き放ったかに映った。大声で叫び、ラケットをベンチへ手放した後もガッツポーズを繰り返…

フォアのパッシング決まり、訪れた一瞬の静寂……。

待ち望んでいた瞬間を確認したバーティは、湧き上がる大歓声と共に心のうちのすべてを解き放ったかに映った。大声で叫び、ラケットをベンチへ手放した後もガッツポーズを繰り返し、何度も何度も振り絞るかのように叫んだ。それは今まで隠し通してきたプレッシャーを解き放ち、勝利という形で自身の成長を示した最高の瞬間を宣言するかのようだった。

29日の全豪オープン女子シングルス決勝、大会第1シードのアシュリー・バーティは第27シードのダニエル・コリンズ(米国)を6-3、7-6(7-2)のストレートで破り、母国大会で初優勝の快挙を成し遂げた。バーティはこれでクレーの全仏、グラスのウィンブルドンに続き、ハードコートの全豪と3種の異なるサーフェスを制したことにもなる。グランドスラムにて、すべてのサーフェスで優勝を遂げている現役選手は、23度制覇のセリーナ・ウイリアムズとバーティの2人のみだ。

◆アシュリー・バーティ、初の母国優勝へ「あとひとつ」 決勝の相手はパワーヒッターのコリンズ

■自国選手による44年ぶりの全豪優勝

1ポイント目から観客のボルテージは最高潮だった。

南半球の夜空に輝く南十字星を描いたオーストラリアの国旗、「Barty」と胸に書かれたTシャツを着る人々、「go Ash」のプラカード、それはすべて愛すべき自国スターの背中を押すため。多くの観客が歴史的快挙を期待しロッド・レーバー・アリーナを訪れた。アリーナに入れなかった人々は外の芝に座り込みモニター越しに応援するほど。その熱量はバーティを興奮させ、少しばかり彼女たちの手を震わせたかもしれない。だが、コートサイドの興奮こそ、スポーツの醍醐味として大きな役割を果たすことを選手たちは知っている。

バーティとコリンズもまた観客たちの熱狂に応えるように素晴らしい試合を見せてくれた。

対戦相手となったコリンズはこんな場面でも臆することがなかった。初めてのグランドスラム決勝に関わらず彼女のバックハンドは何度もバーティを苦しめた。完全アウェイの会場は、むしろ彼女の心にも火を灯したように見えた。正直、この決勝では最初からコリンズこそが優勢な展開へと持ち込んでいた。それほどに彼女のテニスは、力強さのなかにも、バーティのチェンジアップに順応する上手さがあり、世界No.1を困らせていた。このコリンズのテニスは第2セットで5-1と大きくリードを広げ、ファイナルセットを予感させる展開を演出さえした。

しかし、女王バーティはここでするりと戦法を変えた。代名詞であるバックの滑るスライスに重きを置いた展開から一転、フォアでの攻撃を速めたのだ。その戦術はコリンズの勢いを止め、着実にゲームの主導権を奪い返し始める。それもバーティのセットアップは完璧が故、フォアで打ち込むときもノーリスクのように見えたのだから恐れ入る。

5-5に追いつかれた頃には、コリンズの不安は大きくなり、ボールコントロールに必死になっていた。逆に流れを取り戻したバーティは、タイブレークで様々ショットからウィナーを決め、ポイントを重ねていく。類まれなオールラウンダ―は、どこからでもエースを狙えるのだ。そして最後は、フォアでクロスへ切り返したパッシングショットが吸い込まれるかのようにコリンズの右側を通りすぎ、44年ぶりに自国選手優勝という爽快な瞬間が訪れた。

スポーツでは必ずしも「勝利」だけが成功の証ではない。

■バーティの優勝が残した「完璧なテニス」

だが、勝たなければ示せないこともある。バーティはこの優勝を通じて何を残しただろうか。キレのあるスライスの使い方やサービスゲームの組み立て方、または、相手の弱点を見極め、自身のテニスをフィットさせる並外れたゲームマネージメント力、それとも謙虚な姿勢と実直な人柄か……そのどれもが尊いが、この点と点を繋げた先に描かれた理想こそ後世への最高の産物だろう。

それは「完璧なテニス」だ。

5歳からテニスを始めた彼女の最初のコーチであるジム・ジョイス氏は、若かりしバーティに「すべてのサーフェスでプレーできる完全なプレーヤーになること」と課題を出したのは有名な話だ。もちろん彼女の才能を見出してからの助言だったのかもしれないが、この言葉はバーティにとって大きな役割を果たし、すべてのサーフェスで成功を収める結果を導き出した。

ラケットを持った子供たちにとって世界最高峰大会であるグランドスラムは身近なものであり、自国プレーヤーたちは最初に全豪オープン優勝を夢に掲げる。その環境下で同じような志を持つ者同士が出会い、競い合うことは今のバーティを育む大きな土台になった。

それは、テニスの豊かな歴史を持つ国の特権と言っていいだろう。

15歳でウィンブルドン・ジュニアに優勝し、あの頃に描いた「プロでの成功」をバーティは今まさに味わっているはずだ。3つのグランドスラム・タイトル、オールラウンダーとしての成功、この過程では若くして一度引退を経験したが、それも人生の醍醐味。人はみな、悩みと葛藤を抱きながら成長を遂げていく……色濃き道を歩んできた26歳はそれもすで知っていることだろう。

そうして育まれた逞しい心は、この過酷な2週間の戦いの中で選択を誤ることはなかった。勝利に必要な冷静さと我慢強さを併せ持ち、コートでスマートな試合運びを見せてきた。相手を苦しめる賢いテニス、問題解決に優れた頭脳と安定したメンタル、それは大舞台の決勝戦でも大きく変わることはなかった。その多才さは以前より一段とブラッシュアップされ、全仏制覇とウィンブルドン制覇の時とも違うレベルにあったように思われる。

これまでのバーティは時折、暴発するかのようにフォアのコントロールを失う瞬間があった。だが今季に入ってから前哨戦も含めた11試合で、常に安定したフォアを見せつけている。決勝の第2セット、ゲームの危機的状況に最大の武器として自身のピンチを救った。キレのあるショットに加えコントロール精度が非常に高く、プランを実行に移せば高い確率で成功する。それほど正確なショットが勝因となった。

バーティほど、あらゆるショットを使いこなせる現役プレーヤーは他に思い浮かばない。それほど豊かなショット・バリエーションを明晰な頭脳を持って駆使されれば、彼女ほど手強い選手もいないだろう。今日の活躍を見ているとこれから長く続くバーティの時代が来ることを予見させる。

驚いたのは、優勝後に自身のテニスについて「間違いなく、やるべきことはまだまだある」としていたコメント。これ以上にどんな成長を見せくれるというのだろうか。テニスを愛してきたものとして興味は深まるばかりだ。

また優勝した瞬間について「自分でも珍しいことだけど、感情を少し吐き出すことができたと思う」とも語り、今までの希望や困惑そしてプレーシャーを、この母国で解放できたことが今後のさらなる飛躍のきっかけになるように思われる。

終わってみれば世界No.1の圧勝劇だった。このパンデミックによる厳しい封鎖に耐えてきた母国で、新たなレガシーを生み出したアシュリー・バーティを日本人である私も誇りに思う。

◆18歳での引退からカムバック バーティが叶えた夢のウィンブルドン制覇

◆今を輝くテニス新女王アシュリー・バーティの朝活

◆元世界1位マリー相手に大金星 ダニエル太郎に見た超攻撃的スタイルの完成

著者プロフィール

久見香奈恵●元プロ・テニス・プレーヤー、日本テニス協会 広報委員

1987年京都府生まれ。10歳の時からテニスを始め、13歳でRSK全国選抜ジュニアテニス大会で全国初優勝を果たし、ワールドジュニア日本代表U14に選出される。園田学園高等学校を卒業後、2005年にプロ入り。国内外のプロツアーでITFシングルス3勝、ダブルス10勝、WTAダブルス1勝のタイトルを持つ。2015年には全日本選手権ダブルスで優勝し国内タイトルを獲得。2017年に現役を引退し、現在はテニス普及活動に尽力。22年よりアメリカ在住、国外から世界のテニス動向を届ける。