大阪ハーフマラソン、福士加代子が現役最終レース 大阪ハーフマラソンが30日、大阪・ヤンマースタジアム長居発着の21.0975キロで開催された。大阪国際女子マラソンと同時スタートとなり、引退レースの福士加代子(ワコール)は1時間16分4秒の3…

大阪ハーフマラソン、福士加代子が現役最終レース

 大阪ハーフマラソンが30日、大阪・ヤンマースタジアム長居発着の21.0975キロで開催された。大阪国際女子マラソンと同時スタートとなり、引退レースの福士加代子(ワコール)は1時間16分4秒の30位で完走。数々の名シーンを残してきたランナーがラストランを終えた。これまで数々の“名言”を残した39歳。レース後の引退セレモニーも会見も、最後まで「福士語録」を連発し、シューズを脱いだ。

 福士は途中で笑みを浮かべながら走る場面も。長居公園に入ると、苦しそうに脇腹を押さえたり、腕を回したりして大きく減速。時折歩くシーンもあった。追い抜く周りのランナーまでもエールを送る。トラックに入ると観客から声援。福士は笑顔で手を振りながら駆け抜けた。2006年に当時日本記録の1時間7分26秒をたたき出したハーフ。最後の瞬間まで力を尽くし、ファンに激走を届けた。

 しかし、福士らしさはレース後に全開となった。引退セレモニーでは、山あり谷ありだった現役生活を振り返り「自分とよく会話をしました。その中で毎日やれるんじゃないかという希望と、もしかしたら走れなくなるのではという不安もあった。ちっこい胸ですけど、痛んでました」と“福士節”で笑顔を届けた。

「やめたくなかったかなー! 走るの楽しかったもん!! でも今日は走れなくなったので終わりにします!」「最後はエアハグをしましょう。ぎゅ~~~!! みなさん辛い時には自分を抱きしめて下さい!」と呼びかけ、明るく振る舞った。そして、最後は記者会見。ここでも、多くのファンに親しまれた“福士節”を織り交ぜながら語った。

――レースを振り返って。

「引退らしからぬ明るさでびっくり。明日から寂しくなるんでしょうね。転んだ時の再来かと。今日は苦し紛れにできた。最後の方は『頑張ってください!』って言われて希望を持てるんだなと感じました。苦しい中でも楽しかったです。逆に私からありがとうと思って走れた」

――大阪でラストレース。

「こんなにダラダラでズルズルになって走るとは思わなかった。慣れ親しんだところで、知り合いがいっぱいいた状況で走れてよかった。やっぱり一番最初のきつかったレースを思い出す。勝っているけど、ここでマラソンを始めたのをきっかけに自分のいろんな感情を出せた。よかったことも悪かったことも忘れるんでしょうね。あまり言いたくないけど、マラソンをやってよかったなって思います。散々走りたくないとか思っていたけど、マラソンをやっていてよかった。言いたくはないですけどね」

――マラソンをやってよかった理由は。

「マラソンのおかげでちょっと走る時間が長くなって、道具は靴しかないので自分と会話するしかない。毎日どうやったら走れるだろうと会話した。それで自分の嫌いなところも含めて全部好きになった。自分と向き合えたのはマラソンのおかげ」

――明日以降はどんな過ごし方を。

「たぶんダラダラの生活しかしないと思う。朝も起きない。夜まで起きている。体形、体調維持のために走ろうとは思うけど。無理せずやると思います」

――本も出す。

「本を出します! 買ってください! そしたら私の生活が凄く楽になる。ワコールには残るので、企画したり、イベントがあれば行ったり。それくらいしか考えていません」

笑顔で走れる原動力「楽しんでいた。走るのが好き」

――今日はレース後半で立ち止まっていた。

「見られていましたか。見ていたんですね。どうにもこうにも動かなくて、ちょっと休んだら動くかなと。(初マラソンのように)もう二度とあんな転ぶなんて再現してはいけないと。ちょっと休もうかと思って屈伸した。痙攣以外で屈伸したら走れなくなるとわかった。これからの人に伝えたい」

――笑顔で走れる原動力。

「楽しんでいたのだと思う。今日も前に集団があってレース感とかがある。走るのが好きなんでしょうね。嫌なところも、苦しいところもある。楽しいってずっと笑うことだと思っていたけど、苦しいことがあるから楽しいことがあるんだなってわかりました。走り終わって、今日できたじゃんって思えば今日は楽しかったと思う。それが毎日できたと思う」

――苦しいと思う理由。

「苦しいのが嫌だもんって言ったからですかね。それを言わずにやっていたけど、それを辞めて『きつい、こんなの嫌だ』って言ってからスタートする。それで1本やると、意外と走れているってなる。マラソンは嫌なことだらけ。隠しようがないし、気持ちを出した方がいいと思うようになった。なんで自分でそんなに追い込むのかと思って、周りに言うようになった。それでやるしかないって腑に落ちた」

――セレモニーでは「辞めたくない」と。

「心残りはないです。走るのが楽しかったので。思うようにできずに勝負になっていないと思うようになったので、ずるずるになってもしょうがない。一番いいところを知っているので、そこまで行く気力も見えない。もうそこはいいかなって。思っている引退とは違いましたけど。やっぱりダメにならないと終われないんでしょうね」

――長年見守ってくれた永山監督には。

「来ないって言っていたのに、走る1時間前に『ゴールで待ってるから』って。ウルっときました。ウォーミングアップをしたらもう忘れていましたけど(笑)。でも、いてくれるだけで安心する。感謝してますね」

――永山監督はどんな存在?

「監督。うっふっふっふ」

――え、ただの(監督というだけ)?

「はい!」

――今日得たものは。

「今日は希望を持てると思った。ランナーを見ていて。スポーツは希望を持てるものなんだと思えた。一生懸命走る姿、ランナーの走る姿、一緒に走る空間を見ていたら、この人たちを見ていたら面白いなって。これが希望というものなんだと。陸上は希望が持てると思う」

――今までの陸上人生で最も印象的なレースは。

「それが難しい。どんどん忘れていくので。今、一番印象に残っているのは今日です(笑)。今日のが印象に残っている」

プライベートで挑戦したいことは「どこまで寝ないで人は生きていけるのか」

――プライベートで挑戦したいことは。

「どこまで寝ないで人は生きていけるのかって(笑)。ダメですね。何ですかね、特にまだないですね。自分を追い詰めずに優しく生きていこうかと思います!」

――トラックで日本の長距離を切り拓いた。五輪はあと一息で入賞を逃した。今はそれを越える選手もいるが、トラック種目への想いは。

「マラソンに移ったタイミングは勝てなくなったこと。トラックで勝てなくて憤りを感じて、マラソンは楽勝だろうとなめてかかった。そしたらあんな感じに。トラックのスピードは向いていないだろうと思っていた。それでマラソンに推移した。トラックも面白かったですけどね。トラックはわかりやすかったです。やったらやった分だけ出る。スピードを出す変化、技術を求めるのが面白かった」

――話は尽きないですが、お時間も迫っているのでこちらで終了で。

「皆さん、ありがとうございましたーー!!」

 報道陣から大きな拍手を受けた福士。新たに多くの「福士語録」を残し、退場した。(THE ANSWER編集部)