「みなさん、こんにちは。インディアンウェルズ大会以来、左股関節の痛みで試合に出られず、いろいろなリハビリも試したのですが、今週、チームとも相談して、内視鏡による手術を受けました」 錦織圭の公式アプリにこのメッセージが投稿されたのは、全豪オー…

「みなさん、こんにちは。インディアンウェルズ大会以来、左股関節の痛みで試合に出られず、いろいろなリハビリも試したのですが、今週、チームとも相談して、内視鏡による手術を受けました」

 錦織圭の公式アプリにこのメッセージが投稿されたのは、全豪オープン開催中の1月26日のことである。

 南半球のメルボルンが連日の熱戦に沸く最中、錦織圭はその喧騒から遠く離れた日本で股関節にメスを入れた。同じく自身のアプリで「全豪オープンを欠場する」と発表した時から、18日後のこと。復帰の目途は「6カ月後」と、投稿内につづられていた。

 錦織が最後に公式戦を戦ったのは、昨年10月のことである。かねてより腰の痛みを訴えていた彼は、インディアンウェルズ(BNPパリバオープン)後に出場を予定していたシーズン残りの試合をキャンセル。年が明けても痛みが引かぬなか、このたび手術の決断を下した。



昨年10月の試合を最後にコートから離れることになった

 今回、錦織が負った股関節の故障は、フットワークとベースラインからのストロークを武器とするテニス選手の"宿命"とも言えるものだ。

 股関節の手術といって記憶に新しいのは、元世界ランキング1位のアンディ・マリー(イギリス)。2016年、当時からすでに痛みを覚えていたマリーは、目の前に迫った世界1位に向けて鬼気迫る勢いで試合を重ね、その地位を見事に射止める。

 だが、代償は大きかった。

 ケガで苦しんだ2017年シーズンを経たあと、2018年1月8日にマリーは股関節にメスを入れる。この時の手術は、今回の錦織と同様に「内視鏡での施術」である。復帰は6カ月後の6月18日。英国開催の芝の大会で、復帰戦ではニック・キリオス(オーストラリア)にフルセットで敗れている。

 その後、マリーは3カ月間で11試合を戦ったあと、シーズンを早めに切り上げた。術後も痛みが消えず、「テニスはおろか、靴紐を結ぶことすらつらい」と涙ながらに明かしたのは、翌年1月の全豪オープンの時。その時は引退の意向も口にしたが、2月上旬に人工股関節の手術を受け、奇跡的な復活を果たした。

【ヒューイットは何度も手術】

 今年、マリーは全豪オープン前週に開かれたシドニー国際で決勝進出。全豪オープンでは2回戦でダニエル太郎に敗れるも、その2日前の初戦では世界23位のニコロズ・バシラシビリ(ジョージア)をフルセットで破っている。なお、最初の股関節の手術を受けた時、マリーは29歳だった。

 プレースタイルや体格という意味で、錦織との符号がより多いのは、こちらも世界ランク1位在位者であるレイトン・ヒューイット(オーストラリア)だろう。

 180cmと小柄ながら驚異のフットワークでランキングを駆け上がったヒューイットは、1998年の16歳の時にATPツアー初優勝。ちなみに、この時のヒューイット以来の年少記録でツアータイトルを獲得したのが、2008年当時18歳2カ月の錦織である。

 ビッグサーバーの台頭が目立つ時代にあって、ヒューイットは20歳の若さで世界1位に君臨した。ベースラインから下がらず、左右に鋭く切り返す圧倒的なスピードと敏捷性、そして誰もが「ツアーきってのファイター」と称賛する闘争心が、小柄な彼をして王者たらしめた要因だ。

 だが、そこからの彼のキャリアは、ケガと手術、そして復活劇の履歴である。股関節に限定しても、2008年の夏に左側を、そして2010年には右側を手術している。

 これも不思議な符号であるが、ヒューイットが2010年に手術を受けたのも、全豪オープンの時期だった。同大会の4回戦でロジャー・フェデラー(スイス)に敗れたヒューイットは、その直後に手術に踏み切った。

 その後に行なった会見では、「前回のケガと、ほぼ同じ症状。股関節唇の損傷で、じん帯にも少し問題があった」と発表。「5月のクレーコートシーズンには戻ってきたい」と語り、実際には4月に復帰した。なお、5月上旬にはデビスカップで日本と対戦し、杉田祐一と伊藤竜馬から勝利を得ている。

 さらには復帰の2カ月後には、ウインブルドンの前哨戦であるゲーリーウェバーオープンで優勝。決勝で破った相手は、「芝の帝王」ことフェデラーだった。

【錦織のランキングはどうなる?】

 錦織とヒューイットが初めて対戦したのは、この翌年のウインブルドン初戦である。競った内容ながらセットカウント1−3で敗れた錦織は、「苦手なところを攻められた」と、自分と似たタイプの元王者の老獪さに脱帽した。この時、ヒューイットは30歳。

 その後、両者は2014年のブリスベーン国際・準決勝でも対戦し、錦織が第1セットを取るも逆転負けを喫している。ヒューイットと錦織の公式戦での対戦は、この2度のみ。錦織が勝利を得られぬまま、ヒューイットは2016年の全豪オープンをもって、万雷の拍手を浴びながら20年のプロキャリアに幕を引いた。2度目の股関節手術後も、3つのツアータイトルを勝ち取っている。

 ひと口に股関節の故障といっても、状態は当然ながら個々人で異なりはする。ただ、マリーもヒューイットも、術後4〜6か月で実戦のコートに戻ったのは共通する点だ。

 股関節唇の内視鏡手術の一般的なケースでは、痛みが取れるまで3〜4カ月。完治には6〜9カ月かかるという。本人の「6カ月後」という目途に鑑みても、足もとが滑りやすい芝は避け、夏の北米ハードコートからの復帰が妥当な線かもしれない。

 なお、その間にランキングは下がるが、公傷で半年以上のツアー離脱者には"プロテクトランキング"が大会エントリー時に適応される。錦織の場合、プロテクトランキングは47位前後。復帰の時期にもよるが、9大会で適応される可能性が高い。

 全豪オープンでマリーと対戦したダニエル太郎は、「これだけ体にダメージがあっても、自分の好きなことを続けるために何でも犠牲できる、スポーツへの愛。それを一番尊敬します」と対戦相手に敬意を表した。

 オーストラリアの人々が錦織とヒューイットに相似性を見るのは、体格やプレースタイルのみならず、いかなる窮状でも勝利への光を見いだす不屈の精神にある。

 錦織も尊敬するふたりの先達が切り開いた道を、彼もまた、歯を食いしばり歩んでいくはずだ。