ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(5) フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2…

ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(5)

 フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2018年からトロロッソ(現アルファタウリ)と強力タッグを組み、そして2019年からはレッドブルも加わって優勝争いを演じるまでに成長した。そして2021年、ついにチャンピオンを獲得。有終の美を飾ってF1活動を終了した、ホンダF1の6年間に及ぶ第4期を振り返る。

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ガスリーの4位入賞にトロロッソとホンダは歓喜した

 2018年、ホンダはトロロッソと組み、新たなスタートをきった。

 マクラーレンとの関係は、RA617Hの挑戦的開発の失敗で急速に悪化。2017年の夏には決裂が決定的となった。ホンダは供給先がなくなり、「撤退を余儀なくされる」という屈辱的な危機に直面した。

 だが、FIAとFOMの仲裁もあって、2017年9月のモンツァでマクラーレンとトロロッソ、そしてホンダとルノーの4者間による劇的なトレードが締結。ホンダはトロロッソとタッグを組み、F1撤退の危機を回避することができた。

 ホンダ側の体制も大きく改革し、開発責任者には第2期F1活動の初期メンバーであり、その後はN-BOXなどのヒットを飛ばした先見の明を持つ浅木泰昭を据えた。現場の責任者には第2期と第3期に現場のエンジニアを歴任した田辺豊治、そしてモータースポーツ部長の山本雅史がホンダ本社のF1活動運営を采配するかたちとなった。

 投入されたRA618Hは、前年型RA617Hをベースにした進化型。そしてシーズン後半のスペック3からは新たな燃焼コンセプトを導入し、その後のレッドブルとの飛躍に繋がる土台となった。

 つまり、2017年は大失敗に終わったものの、長谷川祐介総責任者がリスクを背負って骨格変更というチャレンジをしたからこそ、その後の飛躍はあったのだ。

【日本人を熟知していたトロロッソ】

 田辺テクニカルディレクターはRA618Hについてこう語る。

「基本コンセプト、つまりMGU-H(※)などのレイアウトは変えていません。ただし細々したところ、昨年壊れたところや懸案があるところは変えてきています。ある部品(の開発者)の立場でいえば、小さなパーツでも丸ごと変わっていれば、それは"ガラチェン"だという人もいるでしょう。それなりにいろんなところを変えて、正常進化をさせて連続的にアップデートしてきています」

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 トロロッソは、かつてラルフ・シューマッハのマネージャーとして日本で1年間過ごしたフランツ・トストが代表を務めており、日本人の性格や文化を熟知していた。それをチーム全体に理解させるために文化講習会を開いたり、とにかくチーム全体がホンダを歓迎するムードに包まれていた。

「トロロッソのホンダに対する姿勢は、我々の思うことや懸案を伝えるとそれをきちんと聞いてくれて、何が最善の方法なのかを一緒になって考えてくれます。『それは知らない、そっちで片づけて』なんていうことは一切ありません。『なんでも言ってくれ、逆に我々もなんでも言うから、一緒に考えて一緒にクルマを作ろう』という姿勢はものすごく感じました」(田辺テクニカルディレクター)

 ルノー製パワーユニットを前提に開発が進められていたSTR13も、突然のパワーユニット変更にもかかわらず、思いのほかスムーズに開発は進んだ。テクニカルディレクターのジェームス・キーはパワーユニット変更を受けてマシン後半部分の開発に専念するという判断を下し、RA618Hのコンパクトさが大きなアドバンテージになったと説明する。

「車体の性能を左右する最も重要な要素は、やはり空力だ。その点、ホンダ製パワーユニット(のコンパクトさ)はリアのパッケージングの大きな助けになった。ギアボックスに対しても、まったく新しいアプローチをしてマシン構造を見直したしね。

 現時点では、フロントのエアロは昨年型の正常進化型でしかないが、マシンのリアは極めて新しい。昨年型マシンでは空力面に問題があったけど、その解決作業はうまくいったよ」

【ホンダのパワーは劣っていなかった】

 ジェームス・キーは新型マシンについて、続けてこう説明する。

「ただし、エアロというのはフロントとリアとマシン全体が一体となって効果を発揮するものだ。現時点のマシンはローンチ仕様であって、これから様々な新パーツが投入されていく。開幕戦オーストラリア、第2戦バーレーン、第4戦バクーと、どんどんマシンの見た目が変わっていくのが見られると思う」

 事実、この年のトロロッソはシーズン後半戦まで、意欲的にマシン開発を続けていく。

 車体のダウンフォース量とドラッグ量のバランスは、当然ながら馬力との兼ね合いで理想値を決める。前年のマクラーレンが最高速の遅さに散々苦言を呈していただけに、その点は懸念されていた。だが、ルノーと比べてもそれほど大きな差があったわけではなかったとキーは明かした。

「我々はシミュレーション上で最も速く走ることができると考えられるダウンフォース量とドラッグ量のままでマシンを設計している。実際のところ、ホンダのパワーはルノーと比べてもそんなに大きく離れているわけではない。

 去年はいろんな記事の見出しがメディアに躍ったけど、真実はまったくそんなことはなかった。去年のマクラーレンがどのように考えていたのかは私にはわからないが、我々としては現時点で自分たちの空力フィロソフィを(レスダウンフォースに)変えなければならないことはないし、ホンダのパワーがあれほど大きく劣っているようなこともないよ」

 これについてはホンダの開発総責任者である浅木も、開幕前テストでの好走を見て同じ感想を述べている。

「ウチのパワーユニットもそんなに言われているほど悪くはないのかなと思いました。まだルノーに劣っていることは確かなんでしょうけど、クルマが変われば(最高速も)これだけ変わるものなんだなと思いました。

 去年までは1チームとしか経験がなかったから、(車速が伸びないのが)パワーユニットのせいなのか車体のせいなのかもわかりませんでした。そういう意味では、こうしてトロロッソにスイッチしたことにも意味があったなと思います」

【ガスリーがホンダの気持ちを代弁】

 浅木はまず、マクラーレンからの重圧で「少しでも性能を上げなければ」と次々改良を投入しては壊れていた"負のスパイラル"をあらためた。信頼性の確保に重点を置いて、開幕前のテストをしっかりと走り込むという目標を立てた。

 ホンダと決別し、「ルノーを積めばレッドブルと同じように表彰台争いができる」と豪語していたマクラーレンは、開幕前テストではオーバーヒートなどのトラブルが多発。開幕戦オーストラリアの予選では2台ともQ2敗退に終わったものの、決勝ではフェルナンド・アロンソがレース巧者ぶりを発揮して5位でフィニッシュし、「Now we can fight!(やっと僕らは戦える!)」と宣言してみせた。

 ホンダへの皮肉ともとれる言葉だったが、その後のマクラーレンはパワーユニットのせいにできない状況になったことで、自分たちの問題と向き合うことになる。そして新たな首脳陣の下で改革を進めたからこそ、今に至る復調を遂げることになった。

 一方、トロロッソ・ホンダは懸案だったMGU-Hにトラブルが発生してしまった。新設計のMGU-Hの開発が開幕に間に合わず、ようやく完成したのは第2戦バーレーンGPだった。

 トロロッソ側も空力をアップデートし、メカニカル面のセットアップを見直すことでマシン性能を大幅に向上させた。

「新しいパーツも持ち込んだし、マシンセットアップに対して新しいフィロソフィも採用した。メカニカル的にマシンをどう扱うか、という考え方を変えたんだ。それが大きな後押しになったし、マシンパフォーマンスという点では非常に満足のいく週末になったね」(ジェームス・キー)

 これによってピエール・ガスリーは中団トップを快走し、全開率が高くホンダにとっては苦手としていたはずのバーレーンで4位入賞を果たしてみせた。

「Now we can fight!」

 2週間前の悔しさを晴らすように、そしてホンダの気持ちを代弁するかのように、ガスリーがアロンソの言葉をそのまま、アロンソよりも上の順位で言い返してみせた。

【ホンダがF1をやるからには...】

 それはマクラーレンとアロンソへの意趣返しではなく、ホンダがこれまで味わってきた苦悩を受け止め、共有し、ともに戦ってくれる、そんなパートナーがそこにいるという喜び。チェッカーを受けて飛び跳ねるように歓びを分かち合うトロロッソにも、ホンダにも、そんな喜びが満ちあふれていた。

 田辺テクニカルディレクターは、感情を抑えながらも言った。

「4位ですからね、まだまだです。10年ぶりと言っても『久しぶりの4位ですからうれしいですね』と言うわけにはいきませんよね。大きなことを言うつもりはありませんし、一歩一歩進んでいくつもりですが、ホンダがF1をやるからには上を目指します。自分たちが今どのポジションにいるかをわかったうえで、ひとつひとつ階段を上がるしかないんですけど、やるからには1番を目指していますからね」

 こうしてホンダは、4年目にして最大の危機から最高のリスタートをきったのだった。

(第6回につづく)