埼玉医大G・柴田純一監督インタビュー第2回、選手が優先すべきは「病院業務」の理念 創部4年にして昨年元日の第65回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)に初出場した埼玉医科大学グループ男子駅伝部は、36チーム中20位と大健闘した。2017…

埼玉医大G・柴田純一監督インタビュー第2回、選手が優先すべきは「病院業務」の理念

 創部4年にして昨年元日の第65回全日本実業団対抗駅伝(ニューイヤー駅伝)に初出場した埼玉医科大学グループ男子駅伝部は、36チーム中20位と大健闘した。2017年に部員5人で立ち上がったチームは、いかにして短期間で急成長を果たし、実業団陸上界に新たな風を吹き込んだのか。異色の経歴を持つ柴田純一監督の指導法と、これまでの歩みを振り返る。(取材・文=河野 正)

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 2017年4月創設の埼玉医科大学グループ男子駅伝部が、昨年元日のニューイヤー駅伝に初出場した。40歳の柴田純一監督は発足当初、総監督の下で男子と女子を指導する時期もあったが、男子監督に就任してからは独自の手法で部を改革し、短期間で中堅チームへと押し上げた。

 創設メンバーは5人いたが、環境や待遇などが十分でなかったこともあり、夏には主将の山口弘晃と鴇澤駿介の2人になってしまった。「全員辞めていたら部は終わっていた。残ってくれた2人は立派です」と柴田監督は感慨深そうに語る。

 埼玉医大病院と埼玉医大国際医療センターの医務課に所属する部員は、会計や受付などの窓口業務に携わり、創部当初は午後5時半までフルタイムで勤務した後に練習場へ向かった。合宿をはじめ遠方での大会出場は認めてもらえず、創設時には寮もなく完成したのは2018年2月だった。

 名門東洋大出身の山口だが、箱根駅伝などには出場できず、実業団で競技を続けるのは難しいと考えていた折、埼玉医大から声がかかった。

 そんな経緯もあって「(埼玉医大を)辞めようとか辞めたいとか思ったことは一度もない」ときっぱり言い放つと、「うちには絶対ノルマという練習がなく、こうしてもいいよ、ああやってもOKという風に練習の選択肢をたくさん与えてくれるんです。メニューが固定化されていた今までの指導者とは、ここが決定的に違う」と柴田監督の流儀と特長を説明した。

 学校側がアスリートクラブを立ち上げた大きな理由は、快活な人材の確保にあった。職種を問わず昨今は若手の離職率が高いが、体育会で4年間鍛えた学生は真面目で辛抱強く、元気もいいと判断し、職場の戦力として期待した。その一方で金も時間もふんだんに使い、何がなんでもニューイヤー駅伝出場という考えはない。忠実に業務をこなした上で駅伝部の活動に励む、というのが基本理念で優先度はあくまで病院業務だ。

2度目の挑戦で東日本15位、ニューイヤー駅伝が「現実的な目標に変わった」

「監督の立場からすれば1秒でも速く走れるチームにしたいが、セカンドキャリアを考えると今のうちに仕事を覚えてもらいたいので、学校の方針には共感しますね。アスリートらしく元気に礼儀正しく、時間厳守でほかの仕事も手伝ってこそ、私たちの存在意義があるのです」

 そんな学校側の考えに賛同しつつも、部の強化には譲れないこともあり最低限の要求はしてきた。

 18年にはフルタイムの勤務時間を短縮してもらい、午前8時半から午後2時までとし、合宿や遠隔地での試合出場も認めてもらった。

 ニューイヤー駅伝の予選会にあたるのが、毎年11月に埼玉で行われる東日本実業団対抗駅伝で、12位以内に入れば出場権が与えられる。

 東日本には新たに5人が加入した創部2年目の18年に初出場し、柴田監督も4区を走ったが3時間55分57秒で19位。12位とは6分56秒もの大差がついた。翌年はメンバーを2人入れ替え、監督は外国人区間の2区を担当。前年を8分も更新する3時間47分55秒で15位に上がり、12位とは1分2秒差まで接近した。指揮官は「漠然と思い描いていた夢のニューイヤー駅伝が、現実的な目標に変わった」と手応えをつかむ。

 そこで外国人選手の加入を学校側と交渉。箱根駅伝出場に向け、留学生を抱える武蔵野学院大学から20年春、ケニア人のワンブア・タイタスを獲得した。昨年11月の日本体育大学長距離競技会男子1万メートルで、27分18秒89の日本学生新を記録したケニア人留学生、ワンジク・チャールズカマウも武蔵野学院大の2年生だ。

 20年の東日本は1区で17位と出遅れたものの、2区タイタスが期待に応えて区間4位の快走で9位に浮上。その後順位を落としたが、5区島田匠海から最終7区まで10位を堅持し、3度目の挑戦で悲願のニューイヤー駅伝出場を達成してみせた。

 柴田監督がスカウトした加入4年目の島田は、専修大学では実績を残せなかったが、社会人になって急成長。「個人の特長やその時の状態に応じた練習メニューを提供してもらい、最高の調整ができてタイムも伸びました」と指導法に感謝する。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、20年4月7日に埼玉県に初めて緊急事態宣言が発出されてから約2か月間は合同練習を自粛。個人がルールを順守しながら走り込み、東日本を突破した余勢を駆ってニューイヤー駅伝でも36チーム中20位と奮闘した。

チームを支えるマネージャーは1人「感謝しかない」

 実業団は監督やコーチ、トレーナー、マネージャーらの5人ほどでチームを運営するのが普通だが、「全国大会に出たうちの内情が、私とマネージャーだけと知ったら驚くでしょうね。彼女には感謝しかない」と柴田監督は、紅一点の須藤結衣マネージャーに謝辞を述べる。

 今年の箱根駅伝に初出場した駿河台大学で4年間マネージャーを務め、18年に入社した須藤さんは「部の仕事と選手は私の生活の一部なので、例えば休日が返上されるくらいはなんでもありません。男子の中に女子は私だけで、時にはしんどいこともありますが、みんなのためを思えば頑張れます」といった献身ぶり。とにかく一途に滅私奉公している。

 昨秋の東日本は12位にわずか17秒及ばず、13位となって2年連続出場を逃したが、失意の念は当日だけ。柴田監督は次に向かって気持ちを切り替え、「実業団の監督っぽくない自分ならではの指導を大事にし、10年、20年と続くチームづくりをしたいですね。当面の目標はニューイヤー駅伝での上位入賞とマラソン日本代表の輩出」と述べた。新進気鋭、風雲児の挑戦はどこまでも続く。(文中敬称略)(河野 正 / Tadashi Kawano)