北京オリンピック2002特集【五輪以降も競技を続けたい】「親には『オリンピックよりも就活しろ! 就活しろ!』って言われていて......」 2020年初頭からのコロナ禍によって、競技活動の苦境に立たされるアスリートは少なくない。大会中止の煽…

北京オリンピック2002特集

【五輪以降も競技を続けたい】

「親には『オリンピックよりも就活しろ! 就活しろ!』って言われていて......」

 2020年初頭からのコロナ禍によって、競技活動の苦境に立たされるアスリートは少なくない。大会中止の煽りを受けてアピールの場が失われ、競技活動のためのスポンサー獲得が思うようにいかないためだ。



スノーボードのスロープスタイルとビッグエアの2種目に出場する飛田流輝

 スノーボード日本代表として、スロープスタイルとビッグエアの2種目で、北京冬季五輪のメダル有力候補に挙げられている飛田流輝もそうした選手のひとりだ。

 飛田は現状打破の起爆剤にするために、北京五輪への意気込みをこう語る。

「僕は競技が好きなんですよ。来シーズン以降も競技を続けていくために、北京五輪までのすべての滑りに思いっきりフォーカスしていきます」

 平昌五輪後の2018/2019シーズンから国際大会をまわるようになった飛田は、「最初は海外選手との技術差を感じ」ながらも、そこから一段ずつ世界の頂点との距離を詰めた。参戦2シーズン目の2019/2020シーズンにはスロープスタイルでW杯年間優勝。シーズンに目覚ましい功績を残した選手を表彰するSAJ(全日本スキー連盟)の『SNOW AWARD』にも輝いた。

 しかし、2020年3月頃からの新型コロナウイルスの感染拡大によって、飛田がスポットライトを浴びるはずだった昨年のSNOW AWARD表彰式は中止。個人スポンサー獲得に向けて絶好のアピールの場は失われた。

「SNOW AWARDをいただいたのはありがたいんですけど、もらってることを誰も知らないんですよ。世界のW杯で総合優勝したのにコロナのせいで......メンタル的にこたえますよ」

 これだけの実績があって五輪のメダル候補ともなれば、普通なら競技活動を支援するスポンサーは現れるものだが、コロナ禍で歯車は狂った。やり場のない悔しさを抱えている飛田に、SAJの方針転換も追い打ちをかける。

 コロナ禍によって2020年に主催大会を行なえなかったことで、JOC(日本オリンピック委員会)からの補助金が激減したSAJは、昨年7月に強化選手の遠征費などで選手負担の比率を変更。Sランクは従来どおりの全額補助だが、Aランクは50%、そのほかは75%を選手側が負担することになった。

【遠征費の半額が自己負担に】

「これまでは全額補助してくれていたので、それが続くと思っていました。それなのに急に遠征費の半分を負担と......。すぐに準備はできないですから、遠征費は借金です。今季はオリンピックシーズンなんですよ。一番大事なシーズンで、一番お金のかかるシーズンなのに......」

 今シーズンはAランクの飛田は、遠征費の半分を自己負担している。スノーボードの海外遠征費は1シーズンで600万円〜1000万円ほど。その内訳は大会や合宿の行なわれるヨーロッパやアメリカへの飛行機代のほか、ひとたび遠征に出れば長期にわたる宿泊費なども含まれる。

「コロナ禍以前は大会で表彰台に乗っていたので、オフシーズンの強化費も捻出できていたんですけど、大会そのものが中止になっていたので厳しい状況です。いまは大学が協力してくれていますが、来シーズンは卒業しちゃうので......。用具は提供スポンサーがあって助かっていますが、やっぱり大きいのは遠征費。卒業後に競技を続けようにも、いまのままでは難しいんですよ」

 シーズン前にクラウドファンディングで活動資金を募ったものの、目標額には届かなかった。それだけに「2020年のSNOW AWARDが開催されていて、自分の名前がもっと数多くメディアで取り上げられていたら」という思いは強まった。

 日本体育大4年に籍を置く飛田は、他競技でトップレベルにあった大学同級生たちが、競技を辞めて就職活動に励むのを目の当たりにしてきた。それもあって冒頭のコメントになるのだが、それでも飛田は競技への熱い思いは揺るがない。

「コロナ禍で競技を続けるのが難しいからと、みんなは就活していました。でも、僕は卒業後も競技を続けたいから就活はしなかった。いまは来シーズンも競技ができるように企業などの所属先を探していて。僕にとって北京五輪は就活みたいな感じです(笑)」

 そんな飛田に朗報が飛び込んだ。1月に不動産会社ウィルレイズとの所属契約が決まったのだ。

【僕のジャンプは見栄えがいい!】

 3歳でスノーボードを始めた飛田は、小学校低学年時にはハーフパイプで年代別大会の関東大会に優勝し、全国大会でも2位となった。中学から高校にあがるタイミングでオリンピック出場を意識してスロープスタイルに転向した。

「もともとハーフパイプをやっていたんですけど、ハーフパイプの日本人選手の層の厚さと自分の持ち味を見つめ直した時に、ジブは得意だったのでジャンプを磨けば五輪は夢じゃないと思い、そこからスロープスタイルを練習するようになりました。高校3年の時に平昌五輪があって、それを見て4年後はこの舞台で勝負してやると思いました」



「ジブは得意だった」という飛田 photo by Getty Images

 ジブとは、600m〜1000mほどの斜面を滑走して繰り出した技の採点を競うスロープスタイルの前半部に設定されたセクションで、ボックスやレールなどの障害物を使いながら滑っていく。後半部のセクションはキッカーが設置され、選手たちはそれぞれのスタイルを出しながらジャンプを繰り出していく。

 ジャンプのトレーニングを積むことで、飛田はスロープスタイルで世界トップを争うまでになったが、その副産物的にビッグエアでも目覚ましい進歩を遂げた。

 3本のジャンプを行なって、回転数の異なる2トリックの合計点で争われるビッグエアで、2020年3月の世界選手権で4位。バックサイド1620ステイルフィッシュで90.50点という高得点をマークすると、逆転優勝を狙ったラスト3本目のランではフロントサイド1800(5回転)の大技を繰り出して着地に成功しかけたが、勢い余って前方に投げ出された。

「あれが決まっていたら優勝でしたね。僕のジャンプは人より高さはあるし、遠くに飛べるんで見栄えがいいんですよ。自分で言うのもなんですけど(笑)。コロナ禍になってからはウエイトトレーニングをしっかりやって筋力アップしたので、自分自身でも世界選手権からどれくらい進化したかを確かめるのが楽しみです。着地を決めれば点数は出ると思っているので、筋力アップした分と自分のイメージを微調整していけば、北京五輪ではエイティーン(フロントサイド1800)を決められると思っています」

 自身初めて5回転に挑んだ世界選手権から2年。その間、国際大会は中止が続いたなかで『いまできること』に最大限に注力してきた飛田にとって、北京五輪で大きな成功を手にするためには、失われた試合勘を北京五輪までの今シーズンで取り戻すことにある。

「スロープスタイルは採点競技なのでジャッジの評価が大事なんですが、そればかりを追わないようにしたいです。コロナ禍前のシーズンに自分の滑りを追求すれば結果はつながる手応えを得ているので。ビッグエアは世界選手権以降はまったく飛んでこなかったから、北京五輪に向けて、いまの自分の体の感覚と技を確かめていきたいです」

 北京五輪のスノーボード競技は2月5日からスタートし、男子スロープスタイルは6日に予選、7日に決勝がある。ビッグエアの決勝はスノーボード競技の大トリとなる15日に行なわれる。

「自分がスロープスタイルでメダルを獲って日本チームに勢いをつけて、みんなの活躍で日本中の目をスノーボードに向けてもらって、最終日にド派手にジャンプを決めますよ! いろいろあったけど、『どうだ! 見たか!』って言えるオリンピックにします!」

飛田流輝
とびた・るき/ウィルレイズ所属。1999年5月7日生まれ。東京都出身。身長171cm。日本体育大4年生。3歳で始めたスノーボードのほか、父親の影響で釣り(バス釣り、海釣り、渓流釣り)やサーフィン、スケートボードを趣味にする。オフシーズンの週1日のレスト日には、早朝から釣りとサーフィン、夕方に再びサーフィンに興じる。