中野信治インタビュー前編「F1のメディア戦略」2021年シーズンのF1は、メルセデスのルイス・ハミルトンとレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが激戦を繰り広げ、最終戦アブダビGPの最後の1周でタイトルが決定するという劇的なエンディ…

中野信治インタビュー前編「F1のメディア戦略」

2021年シーズンのF1は、メルセデスのルイス・ハミルトンとレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンが激戦を繰り広げ、最終戦アブダビGPの最後の1周でタイトルが決定するという劇的なエンディングとなった。世界中のファンが熱狂し、「史上最高のシーズン」と語る関係者も多いなか、大成功の裏側には白熱したレース以外にもうひとつの理由があった。DAZN(ダゾーン)で解説を務める元F1ドライバーの中野信治氏は周到なメディア戦略があったと指摘する。F1を所有するアメリカ資本の大手メディア企業の策略とは何だったのか。


F1グループのCEOを務めるステファノ・ドメニカリ photo by Sakurai Atsuo

「見せ方」の大きな変化】

中野信治 僕の記憶に残っている最初のF1は、アイルトン・セナとアラン・プロストが激しいタイトル争いを演じた1980年代終盤の"セナプロ対決"です。それからずっとF1をいろんな立場で追いかけてきましたが、僕が知っている限りで2021年は最高のシーズンだと言っていいと思います。

 2021年のチャンピオン争いがここまで盛り上がったのは、ただ単にハミルトンとフェルスタッペンが同点で最終戦を迎え、最終ラップでタイトルが決着したという劇的な展開だけが理由だけではないと感じています。

 これまでと一番違ったことは、レースの「見せ方」です。5年前にアメリカ資本の大手メディア企業「リバティ・メディア」がF1のオーナーとなりました。いろいろな無線の音を聞かせたり、さまざまな映像を見せたりすることで、今まで隠されていたレースの裏側が可視化されました。それが2021年シーズンのF1が盛り上がった大きな要因のひとつだと感じています。

 モータースポーツではドライバーがヘルメットをかぶっていますので、表情が見えません。どんな気持ちでマシンを操っているのか、一般の方にはわかりづらいところがありました。またチームの監督やスタッフがレース中に何をしているのかも、なかなか伝わっていませんでした。

 でも、それらが音や映像で可視化され、単に速い・遅いだけでなく、新しい層のファンの方たちが「F1ってこんなことをしているんだ」と興味を持ってくれたと思います。特にレース中継のカメラワークは絶妙でした。たとえば、チームの首脳陣が無線で何かを話すと、そのあとに視聴者が知りたいと思うような映像が必ず入ってきます。レースを見ているファンの気持ちに寄り添って番組が作り込まれていました。僕は解説者としてレース中継に携わり、F1は変化してきたなという印象を強く持ちました。


2021年シーズンのF1について

「巧みなメディア戦略があった」と話す中野信治氏

 もちろんレースの裏側を見せることには、いい面と悪い面があります。特に2021年からオープンになったチームの首脳陣とレースコントロールの無線は、おもしろいと思う反面、ファンが「なぜチームの首脳陣がレースディレクターの判断に異議を唱えたり、圧力をかけたりするのか」とモヤモヤした気分になるのは当然わかります。

 僕自身も、それらの無線のやり取りはオープンにすべきではなかったと思います。おそらくチーム側だって、オープンにしたくなかったはず。それでもファンに少しでもレースについてわかってもらうために、最終的にチーム側はOKの判断をしたと思いますし、ファンに無線の内容を聞かれているのをわかっていて話していました。メルセデスのトト・ウルフ代表とレッドブルのクリスチャン・ホーナー代表はカメラに抜かれるのをわかってポーズをとったり、演技をしたりしていました。メディアを通じた「人間ドラマ」がおもしろかったと感じている人も少なからずいました。

【過渡期を迎え、試行錯誤】

 F1を運営するリバティ・メディアやFIA(国際自動車連盟)は今、さまざまなことを試しているのだと僕は見ています。リバティ・メディアがオーナーになった5年前の時点で、ヨーロッパ中心にずっと続けられてきたF1はいろいろな意味で限界を迎えていたと思います。世界的にカーボンニュートラルが叫ばれるなか、自動車産業やモータースポーツは過渡期にあります。

 さらにファンのF1に対するイメージも変わってきています。以前のF1は裏側を見せなくてよかったんです。F1はすごい世界だという刷り込みがあったので、それだけでファンはレースを見てくれました。しかし今ではSNSが発達し、エンターテイメントも多様化し、楽しみの方の選択肢が増えた。そんな時代の流れのなかで、F1は従来の姿のままでは生き残っていけないと判断したんだと思います。僕自身も同じ考えを持っています。

 F1が今後も世界最高峰のレースとして存在し続けるために、何をすればファンの心に刺さるのか。今は、その答えを探るための試行錯誤の期間だと思っています。2021年から試験的にスプリントレースを導入したり、各ドライバーのコーナーでの走行データをグラフで示したり、レースの裏側をエンターテイメント要素として取り入れることもそのひとつです。

 サーキット上の戦いのレベルをしっかりと保ちながら、ファンを楽しませるためのエンターテイメント要素をどれだけ取り込めるのか。スポーツとショーのバランスをどのようにするのか。いろいろな試みをすることが今、非常に大事だと思っていますので、戦っているチームやドライバー側も、見ているファンも変化を受け入れる必要があるのかなと感じています。もしいきすぎている部分があれば、運営サイドは修正してくるはず。何が正しいかどうかという判断は、もうちょっと時間が経ってからでいいのではないかと個人的には思っています。

 ルールに関しても、杓子定規に運用するのではなく、結果に大きな影響を与えない程度のペナルティーを与えてレースを続けることを最優先にするというシーンが2021年シーズンは何度か見られました。それもリバティ・メディアやFIAがレースをおもしろくするための、ある種の計算だったと思います。

 とはいえ、いくら運営サイドにそんな計算や思惑があったとしても、2チームのドライバーが最終戦の最終ラップまでタイトルを争うという映画のような展開になるなんてあり得ないんです。じゃあ、なぜそんなシーズンになったかと言えば、ハミルトンとフェルスタッペンというふたりの天才がいて、彼らを支えるメルセデスとレッドブル・ホンダという高い能力を備えたチームがあったからです。

 彼らがコース上ですばらしい戦いを見せてくれたことで、世界中のファンがF1のすごさをあらためて認識したと思います。今、僕はホンダの若手ドライバーの育成プロジェクトに携わっていますが、魅力的な世界だからこそ、あそこで走ってみたいという若者がどんどん出てきてほしいと思っています。同じように、いつかF1のスポンサーをしてみたい、メカニックやエンジニアになりたい、チームオーナーをやってみたいと思った人もいるかもしれませんね。

 ハミルトンとフェルスタッペンのチャンピオン争いは数々のドラマを生み、新たなファンを呼び込みました。同時にリバティ・メディアがコース外でいくつもの新たな試みを行ない、F1が夢を持てる、すばらしい世界だというイメージを再構築できたという意味でも2021年は画期的なシーズンだったと僕は感じています。

(中編「ハミルトンとフェルスタッペンの強さ」へつづく)

【Profile】 
中野信治 なかの・しんじ 
1971年、大阪府生まれ。F1、アメリカのCARTおよびインディカー、ルマン24時間レースなどの国際舞台で長く活躍。現在は豊富な経験を活かし、SRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール)副校長として若手ドライバーの育成を行なっている。また、DAZN(ダゾーン)のF1中継や2021年からスタートしたF1の新番組『WEDNESDAY F1 TIME』の解説を担当している。