山を制する者が箱根を制す・後編前編(3代目山の神・神野大地が語る5区のポイント)はこちら>>2020年、箱根駅伝6区の区間記録を出した館澤亨次  箱根駅伝5区は、往路の最終区間だが、6区は復路のスタート区間になる。 箱根芦ノ湖駐車場から小田…

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2020年、箱根駅伝6区の区間記録を出した館澤亨次

 箱根駅伝5区は、往路の最終区間だが、6区は復路のスタート区間になる。

 箱根芦ノ湖駐車場から小田原中継所まで20.8キロを正確には上って、下るコースだ。区間記録は、2020年、館澤亨次(東海大―DeNA)が持つ57分17秒だ。それまで小野田勇次(当時・青学大)が持っていた区間記録の57分57秒を40秒も短縮し、「驚異的」と言われたタイムだった。なぜ、館澤はこの区間記録を出すことができたのか。そして、今回、新たな下りの神が生まれるとしたら、どういう条件が必要になるのだろうか。

 2020年、箱根駅伝当日、館澤が気にしたのは天候だった。

「6区は、雪が降ったり、路面が凍結していて選手が転んだりするシーンも過去にあるじゃないですか。転倒の不安があると思いきって走れないので、レース当日の早朝、まだ暗いなかでジョグをした時に、気温と路面を確認したんです。寒いけど路面が凍ってはいなかったので、『これなら行ける』と思いましたね。区間記録を更新するようなタイムを出すには、もちろんよい走りをすることは大切ですが、気象条件も大きなポイントになってくると思います」

 ひとつ、条件はクリアした。

 その数日前、館澤が立てた6区のレースプランは、シンプルなものだった。

"最初の上りの5キロで前を走る選手に迫り、頂上から下り5キロはスピードを維持し、あとは想定ペース。ラスト3キロは追い込んで終わる"

 6区は、スタートから最高地点まで4.6キロは上り基調になり、上りきるとそこから一気に下っていく。そして、箱根湯本駅から小田原中継所まで2.8キロが平地になる。館澤は、上りが得意だったのでスタートしたあと、5秒差で前を行っていた東京国際大をすぐにつかまえ、1分49秒差で前を行く国学院大と3分22秒差の青学大を追った。

「スタートして、最初の1キロの通過タイムは3分ちょうどくらいと思っていたんですが、時計を見たら2分50秒をきっていて。ちょっと早いかなとは思っていましたね。そこからどんどん上りになるし、上りきるまでは気を抜くとつらくなると思ったので、それ以降はもう時計を見なかったです。それで、最高地点でタイムを確認したら15分30秒をきっていて......。前年の区間記録保持者の小野田(勇次)さんのタイムが16分ちょっとだと聞いていたので、事前のプランでは16分前後が目安かなって思っていたんです。でも、予想以上に早くて、『やっちゃったかな』と思いましたね」

 ややオーバーペース気味に突っ込んだが、「あとは下るだけ、惰性でもいける」と気持ちを切り替えた。だが、そこからしばらくはメンタルを削ぐようなロードが続いた。頂上から恵明学園前の約3キロは道幅が狭く、クネクネしており、観客が唯一いないエリアだ。立っているのがチームの人間で、ラップや先行するチームとのタイム差などを教えてくれるだけだ。

「ここが6区のなかで、ある意味もっとも厳しいところかもしれないですね。車も人もいないんですよ。似たような景色が続いて、ちょっと下り勾配がゆるやかになるのもあって一気にスピード感がなくなるので、精神的にキツいんです」

 だが、館澤は、ギアをマックスにして下って行った。

「最高地点から小涌園のユネッサンまでは急な下り坂が続くので、そこで貯金を稼いでおきたいと思い、かなりペースを上げていました」

 館澤は、テンポよく、足を回転させて下っていく下り特有のスタイルではなく、大股の独特なフォームで坂を下って行った。下り走行のセオリーとは正反対だが、「下りを速く走るためだけにフォームを変えないといけないとか、気にしすぎるのは僕にとってはよくないと考えていました」と語るように、早ければフォームなど気にする必要がないのだ。

 また、館澤は、下りに特化した練習をほとんどしていなかった。レース前の11月に故障から戦列に復帰し、戦えるコンディションを上げていくのに精一杯で、その練習をこなすのだけの時間も余裕もなかったからだ。

 順調に下っていくなか、函嶺洞門の付近で、館澤の足が突然、悲鳴を上げた。左足の踵が焼けるような痛みになり、そこから頭のなかは「激痛」で満ち、走りに集中するのが難しくなった。そこで館澤が取った行動は、より自分を追い込んだ壮絶な走りだった。

「もう痛すぎて、頭のなかが『痛い』しかないんですよ。でも、(心肺的な面で)極度に苦しくなると、その痛みが薄れていくんです。足の爪もめちゃくちゃ痛かったんですけど、走りで苦しめば痛みが消えると思って、湯本あたりからはひたすらペースを上げ続けるつもりで走っていました。走り終えたらしばらくは休めるので、『もうどうなってもいい! とにかく早く走る!』という感じでした」

 箱根湯本を越えると監督車が合流し、一度、上って下ると前方の景色が開けていく。館澤の視界に入ったのは前を走る国学院大のうしろ姿だった。

「うっすらと国学院大の姿が見えた時は、テンションが上がりました。よし、ここまで追いつくことができたんだ、と。そう思うとラストもう一回スピードを上げることができたんです」

 監督車の両角速監督からは「館澤、すごいぞ」という声が飛んだ。だが、館澤は何がすごいのかよくわからなかった。このままいけば59分をきれるぐらいになるのかなと思い、それを維持させるために少し煽っているのかなと思っていた。

 足の痛みを我慢しつつ、がむしゃらに走った。国学院大の背中が大きくなっていくにつれ、気持ちがより前へ、前へと向かった。

 館澤は、倒れ込むようにしてゴールラインをきり、そのまま倒れ伏した。国学院大との差は、5秒差になり、青学大との差は2分ちょっとになった。

 57分17秒というタイムは待機所に戻ってから聞いた。

「正直、走り終えた直後は6区で自分がどんな走りをしたのかまったくわからなかったんですが、区間記録を更新してうれしかったですし、チームに貢献できてホッとしました」 

 驚異的な区間記録が生まれたわけだが、その代償は大きかった。館澤の足のかかとには血マメが広がり、足の指の爪が3本、黒ずんだ。よく6区を走り終えた選手が靴下を血で真っ赤に染めたり、足の裏の皮がベロンとむけたところを見せたりするが、そのくらい苛酷な区間なのだ。

 館澤が区間記録を立てたのが前々回大会だ。

 前回は花崎悠紀(駒澤大)が区間賞(57分36秒)を獲得したが、これまで6区で活躍してきた小野田勇次や今西駿介(当時・東洋大)といったタイプと異なり、館澤と同じ筋肉質のタイプだった。

「僕は、タイプやウエイトは関係なくて、6区に求められる特別な適性は5区よりは低いと思うんです。そもそも6区は各大学のエース級の選手が走ることは少ないように思われていますが、もしエース級の選手が走るとどのくらいのタイムが出るのかは想像がつかないですね」

 6区は、特別な適性があるというわけではないと館澤は語るが、では、そこで勝つためには何が必要なのだろうか。

「3つあって、まずは走力です。アップダウンがあってもペースを維持しながら走れる力を持っていることです。ふたつ目は度胸。最初の約5キロが上りですが、序盤ながらそこでどれだけ攻めた走りができるか。下りでは、いかに怖がらずに走れるかが大切です。3つ目は運です。6区は当日の気象条件にかなり左右されるので、雪や冷たい雨、路面凍結など厳しいコンディションになると、記録更新を狙うのが難しいレースになります」

 今回の箱根駅伝は、1万m28分台の選手が多く、レベル的には非常に高い。果たして、3つの条件をクリアし、館澤の区間記録を更新するランナーが出てくるだろうか。

「最初の5キロを踏ん張り、途中でスピードを落とさず、ラスト3キロをしっかりと動かす。ありきたりですが、それができれば区間賞を狙えると思います。ただ、区間記録の更新は、3つの条件をクリアしつつ、ベストな走りをしないと達成できない。正直、僕の区間記録はまだ抜かれたくない気持ちも少しありますが(苦笑)、抜かれるとしたら東海大の後輩たちに破ってほしいなと思います」

(おわり)
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