箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、東京国際大学・大志田秀次監督の自主性を重んじる指導 毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。今年度の大学駅伝は例年以上に混戦模様。各校はいかにして“戦国時代”を生き抜くのか…

箱根駅伝「ダークホース校の指導論」、東京国際大学・大志田秀次監督の自主性を重んじる指導

 毎年1月2日と3日に行われる正月の風物詩、箱根駅伝の開催が近づいている。今年度の大学駅伝は例年以上に混戦模様。各校はいかにして“戦国時代”を生き抜くのか――。「THE ANSWER」では、強豪校に挑む「ダークホース校」の監督に注目。2020年の箱根駅伝で総合5位と躍進した東京国際大学の勢いが止まらない。今年10月の出雲駅伝で初出場初優勝の快挙を達成し、伝統校を脅かす存在となるなか、駅伝部の大志田秀次監督に自主性を重んじる指導について話を聞いた。(取材・文=佐藤 俊)

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 今年の出雲駅伝で初出場、初優勝という快挙を達成し、一躍、大学駅伝の表舞台に踊り出た東京国際大学。その後の全日本大学駅伝でも5位という成績を残し、箱根駅伝では優勝を争うチームの一つとして挙げられている。創部10年で常連校から強豪校への移行期にあるチームを指導するのが、大志田秀次監督である。2011年、部員3名でスタートしたチームは今や80名もの部員を抱えるまでになり、全国の高校から優秀な選手が集まるようになってきている。

――大志田監督が指導する上で大事にしていることは、どういうことでしょうか?

「私が、というよりも選手が何を目標にして、何をやるのかということを自分で考えて行動することを一番大事にしています。選手がレースのスタートラインに立った時、自分の能力を理解して、その力を100%出すことが大事なのですが、そのためには例えば今日の練習メニューがあったとして、選手がこのコンディションでは無理だと思っているのに無理やりやらせて途中でやめたり、やるけど気持ちが入ってない、やるだけになってしまうと意味がないんです。今日の練習を明日に繋げていくことを考えると練習に気持ちや心を入れてやらないといけない。選手にはそういう練習を積み重ねてほしいと伝えています」

――自主性を重んじる指導は、創部当初からだったのですか?

「このチームをスタートさせた当時、中大でコーチをした時の練習を応用していたのですが、選手たちは半分もできなかったんです。できない練習をやってもまったく強くならないんですよ。それを消化することに疲れ果ててしまうし、私に言われたことを叱られないようにやるというのが見えてきてしまったんです。これは選手のためになっていない。いくつか選択肢を与えてあげるのが大事なのかなと思うようになりました」

――レールの上に乗せて、やらせるだけでは強くならないということですか?

「そうですね。最初は、自分の練習をやらせることに満足していたんです。でも、練習が100%できないし、レースでも走れない。指導は自分の満足ではなく、選手が納得して練習し、満足することが大事。それを積み重ねていくことで結果が出る。走るのは選手なので、選手が強くなりたいとか、そのためにこうしないといけないと考えて練習するのが一番なんですよ。そうして個が強くなったものがチームになるので、チームになるためには個が何をするのかというのがすごく大事なんです」

強豪校の合宿を体験、選手の「目の色が変わった」

 大学からは、5年間で箱根駅伝出場を実現してほしいと言われた。入学時の校内放送で駅伝部の募集をアナウンスして集まったのはわずか3名。そこからスカウティングを始め、軸になれる選手を1人でも多く作ることを意識して、チーム作りを進めていった。

――チームに手応えを感じたのは、スタートしてどのくらいだったのですか?

「4年目ですね。最初に入ってきた選手が4年生になった春、青学大と東洋大にお願いをして、2泊3日で合宿所に宿泊させてもらったんです。優勝を争うチームは、どのように生活して、どのように競技に取り組んでいるのか。当時、4年生は自分たちが一番上なので、生活面も競技もけっこうダラダラしていたので、そういうチームを見て、自分たちの甘い部分やすべきことを理解してほしかったんです」

――見て、選手は変わりましたか?

「変わりましたね。合宿所に泊まった選手に話をしてもらい、自分たちの良いところ、足りないところを精査して、最終的に箱根の強豪校と自分たちは何が違うのかを考えてもらいました。彼らは、普段の生活の厳しさや競技に対する選手の意欲の違いを感じてくれたようで、そこから目の色が変わりましたね」

――どういうところに変化がありましたか?

「練習への意欲です。彼らが1年生の時は、20キロを走らせると、終わった後、道に寝転がったり、膝を抱えて休んでいたり、走れなかったんですよ。箱根の予選会は20キロなので、その距離を走れないと話にならないんです。でも、できないことをやらせても選手の力にならないので、まずは16キロから始めようということにしました。16キロを走れるようになって余力があれば、あと4キロだからいけるよなって感じですね。

 そうして距離を伸ばしていったんですが、4年になって寮での経験を経た後、『今日は30キロ走をやろう』と言うと、選手から『いや、監督、今日は40キロやりましょう。ハーフの倍を走れるようにならないと勝てないので』と言ってきたんです。この時、強いチームを見たことの効果を感じましたし、箱根に出られるかどうか分からないですが、予選会では悔いのない、いい戦いができそうだなって思いましたね」

 選手の芯に刺激を与えるのは100の言葉よりも一つの真実を見せた方が容易だ。そうして根付いた変化の芽が着実に成長し、最初の4年生たちが卒業した翌年である2016年、創部5年目で東京国際大は悲願の予選会突破、箱根駅伝出場を果たすことになる。(佐藤 俊 / Shun Sato)

佐藤 俊
1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。