2021年12月22日、日本競輪選手養成所で学んでいた中野慎詞、太田海也の2人のニュースターが通常よりも3か月早く卒業を果たした。将来を嘱望されている2人はこれからどんな道を歩んでいくのだろうか 。「ニューウェーブ到来!競輪特集」ではこの…


 2021年12月22日、日本競輪選手養成所で学んでいた中野慎詞、太田海也の2人のニュースターが通常よりも3か月早く卒業を果たした。将来を嘱望されている2人はこれからどんな道を歩んでいくのだろうか 。

「ニューウェーブ到来!競輪特集」ではこの2人の成長を複数回に渡って追いかけていく。



その実力から養成所を早期卒業した期待の新星、中野慎詞

 高校時代には自転車のトラック競技でインターハイを制し、早稲田大学でも学生タイトルを獲得した中野慎詞。すでにナショナルチーム入りしている彼は、自転車競技の世界で誰もが認めるエリートだ。その中野が2021年5月に競輪選手を目指して日本競輪選手養成所へ入所。非凡な才能はそこでも如何なく発揮され、9月に「早期卒業候補者」の資格を取得し、12月に他の候補生に先んじて卒業を果たした。

 憧れの競輪選手となり、幼いころから追い求めた「世界一」の夢を掴みにいく。デビュー戦は1月1日~3日の前橋。記念すべきこのファーストレースから姿を追い続ければ、大器のサクセスストーリーを第1章から見ることができるはずだ。

「養成所に入った時から、早期卒業は目標でした。記録会で基準タイムがあって、その中でも最高レベルのものをクリアすると『ゴールデンキャップ』という金色の帽子がもらえます。そして、ゴールデンキャップ以上に厳しい基準タイムをクリアして初めて『早期卒業候補生』となり、早期卒業の資格を得られます。でも6月の記録会ではどちらもクリアできませんでした。

 アマチュアの自転車競技で使う自転車と、競輪の自転車の違いに慣れることができませんでした。自分は重いギアを踏み込んで、トップスピードを出していくのが得意なんですが、養成所では軽いギアを回してスピードを上げることが求められます。その違いには苦労しましたね」

 この1回目の記録会で中野の同期である太田海也が早々に早期卒業候補生の資格を手にしていた。それでも中野は「プロはそんなに甘い世界ではない」と覚悟していたこともあり、焦りや悔しさはなかった。

「自分は短距離選手であることに加え、普段は200mや800mなど1000m以内の訓練が多いので、3000mなど中距離のトレーニングが足りないことはわかっていました。そこからは自主的にそのくらいの距離の練習を重ねた結果、9月の記録会で基準をクリアし、早期卒業候補生になれました。うれしかったですね」

 競輪選手養成所に入った者は「選手候補生」と呼ばれ、プロアスリートとして必要な技能と知識を学ぶためにさまざまな学科と訓練が課せられる。まさに自転車漬けの生活を送るが、すでにナショナルチームに入る実力を持つ中野であっても、それは例外ではなかった。そして晴れて卒業を迎えた今、養成所で学んだことの大きさをこう語る。

「養成所では細かく生活の時間が決められていて、1分でも遅れると注意を受けます。その意味で厳しいところではありますが、慣れてしまえば問題はなかったです。同じ夢を持つ候補生同士の共同生活は楽しかったです。私は関係なかったですが、女子の候補生との恋愛も禁止されていません。ただ触れることはできず、会話が許されるだけですが(笑)。

 候補生はさまざまなバックグラウンドを持って養成所に入ってきていて、なかには高校時代にずいぶんとやんちゃだった人もいました。ただその人も『親に迷惑をかけたし、競輪選手として活躍して恩返しをしたい』とすごくまじめに自転車に向き合っていました。

 競輪はそうした人の生き方や思いが現れる競技です。自分も子供の頃からの夢を持ち、ひたむきに自転車に取り組んできました。その夢をあきらめず強い気持ちで毎日を過ごすことが、今もこれからも大切なのだと気づけました」

 中野も、自身を「野生児でガキ大将だった」と振り返り、小学校の頃は毎週のように学校から親へ電話がかかってきて叱られていたという。そんななかでも、その当時に思い描いた「世界一になる」という夢が変わることは一度もなかった。

「出身が雪国の岩手県ということもあり、3歳からアルペンスキーに取り組んでいました。子供の頃から本当に負けず嫌いで、勉強以外では何でも1番にならないと気が済まない性格でしたね。世界選手権やワールドカップの舞台をテレビで見て、『僕もこういう選手になりたい、世界一になりたい』と思っていました。

 ただ小学校3年生の時に今の師匠である佐藤友和選手の走りを見たんです。父と一緒に競輪場に佐藤選手を見に行ったら、フェラーリで来ている姿を見て、その音に驚きましたね。『競輪選手になるとあんな車に乗れるんだと』と憧れました(笑)。アルペンスキーは中学までで、高校からは自転車部のある高校に入り、競輪選手を目指そうと考えたんです。ここでアルペンスキーから競輪選手へと種目は変わりましたが、『世界一』 はずっと変わらない夢として持ち続けています」



12月に開催された全日本トラックの

「ケイリン」で第2位に輝いた中野

 世界一の目標は2024年のパリ五輪で成し遂げたいと考えている。すでに中野自身がナショナルチーム入りしているとおり、アマチュアの立場でも目指せるが、中野はこのタイミングで養成所に入り、プロを目指した。そこには2つの夢を追う中野ならではの考えがある。

「パリ五輪には国際大会に出場して実績を残し、オリンピックポイントを積み上げないと出場権を得られません。それは大会2年前の2022年度からスタートします。もちろんそれを狙いますが、パリ五輪へ出られる可能性は当然、100%ではありません。

 もし(五輪出場が)失敗してから養成所に入るのは、メンタル的にも厳しいと思います。だから大学3年までに卒業単位をすべて取り終えて、(4年時にあたる)2021年に入るのがベストだと判断しました。

 言うまでもなく競輪選手になることで高いレベルでのレース経験も積んでいけます。それはパリ五輪や世界一に近づくために必要なことで、その経験で強くなっていきたいという思いもありました」

 中野は子供の頃に憧れたように、競輪の魅力を広く伝えていきたいと考えているが、同時に自分の存在もアピールし、自転車競技の象徴となりたいという壮大な夢も持っている。その夢への第一歩がまさにここから始まろうとしている。

「自分はスピードと持久力を生かし、早めに前に出てそのまま逃げ切る『先行』というスタイルで勝負していきます。それだと圧倒的な力を示せると思うんです。僕は速いだけでなく、強い選手になることが目標ですが、世界で戦うにはまだ力が足りません。世界とのトップスピードの差を埋めるためには、持ち味である大きなギアを踏むフィジカルをさらに鍛えていく必要がありますし、戦術的な部分ももっと学ばなければなりません」

 その意味で中野は、競輪が最高の場と考えている。

「競輪選手になればアマチュア時代よりレースが多くなりますので、相手のスピードや動きを感じ取って対応する技術を学んでいきます。プロの世界は厳しいですが、そこで勝利しながら、世界一を目指していければと思っています」

 競輪の世界で『中野』と言えば、かつて世界選手権10連覇を成し遂げたレジェンド中野浩一をイメージする人が多いだろう。中野慎詞は同じ苗字ということから、高校時代から『中野2世』と期待をかけられてきた。彼もそこは意識している。

「中野浩一さんの名に恥じぬよう、そして中野さんのような偉大な競輪選手になれるように頑張りたいです」

 2022年1月1日に競輪デビューを果たす中野。彼が目指す世界一へのストーリーにはどんなワクワクが待っているのだろうか。まずはその1ページ目をしっかりと記憶したい。

【Profile】
中野慎詞(なかの・しんじ)
1999年6月8日生まれ、岩手県出身。早稲田大学在学中。高校時代から自転車競技をはじめ、高校3年時には、国体少年男子スプリントで優勝(大会新記録)、高校総体個人1kmタイムトライアルで優勝、アジアジュニア自転車選手権大会個人スプリント2位など数々の実績を残す。大学進学後も全日本トラックのケイリンで2位、全日本大学自転車競技大会スプリント1位と好成績を残し、強化指定選手にも選出。2021年に日本競輪選手養成所に入所。同年末に早期卒業を果たす。