一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第28回は陸上・山縣亮太 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」を配信し…

一人の記者が届ける「THE ANSWER」の新連載、第28回は陸上・山縣亮太

 2021年も多くのスポーツが行われ、「THE ANSWER」では今年13競技を取材した一人の記者が1年間を振り返る連載「Catch The Moment」を配信してきた。現場で見たこと、感じたこと、当時は記事にならなかった裏話まで、12月1日から毎日コラム形式でお届け。第28回は、6月に陸上男子100メートルで日本記録9秒95を出した山縣亮太(29歳、セイコー)が登場する。歴史を塗り替えた瞬間に取材エリアも熱狂。報道陣に好感を持たれていると感じた瞬間だった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 衝撃の日本記録が生まれる3時間前だった。6月6日、布勢スプリント(鳥取・ヤマタスポーツパーク陸上競技場)の男子100メートル予選。山縣は速報値10秒03で五輪参加標準記録10秒05を突破した。場内実況は「気になるのは風」とアナウンス。追い風2.0メートル以上の風が吹くと、公認記録にならない。東京五輪出場へ、日本選手権前に10秒05を突破しておきたい状況。正式タイムを待つ間、スタンドは沈黙した。

「何とかしてあげて……」

 隣にいた記者が祈るようにつぶやいた。フィニッシュから17秒後。電光掲示板には追い風1.7メートル、10秒01と表示された。山縣はパチンと手を叩き、両腕のガッツポーズに安堵の想いを滲ませた。予選全3組のうち、他の2組は追い風参考2.6メートル。この組だけ風に恵まれた。

 3時間後の決勝でも想いは乗り移った。予選とは比較にならないほど、フィニッシュライン付近の取材エリアは沸きに沸いた。

 綺麗にスタートを決めた山縣が、中盤で隣の多田修平に並ぶ。ラスト10メートルを切って体一つ抜け出した。「これはいい!」「キタ!」。記者たちが叫ぶ。今度の速報値は9秒97。日本人4人目の9秒台だ。「うぉっ!!」と声を上げる人、絶句する人、よくわからんけどひとまず一番前に出ようとする興奮した人。取材そっちのけ、冷静な人を見つける方が難しい状況だった。

 さあ、風はどうか。祈るのは本人だけではない。会場全体が固唾をのんで静まり返った。フィニッシュから1分。長い待ち時間の末に表示されたのは「9.95 +2.0」だった。公認ギリギリのまさに“神風”。サニブラウン・ハキームを0秒02上回る日本新が生まれ、記者も、カメラマンもタイム板の隣で記念撮影を行う山縣のもとへとダッシュした。

 短距離において、風はタイムに大きく影響する。陸上ファンならよく知るところだが、山縣のキャリアは風に恵まれなかった。10秒00は過去2度あり、17年9月が0.2メートル、18年8月が0.8メートルで、ともに物足りない追い風。この2レースは少しの例に過ぎない。走りもいい、体の状態もいい。9秒台はいつ出てもおかしくないと期待されたものの、長い間0秒01を縮められなかった。

担当記者に“より”好かれる理由「繊細な短距離走を言語化する能力が高い」

「何とかしてあげて」というつぶやきには、そんな背景を知る記者の願いが込められていた。私は陸上専門の記者ではなく、山縣に深くは触れたことがない。でも、取材現場に行くと、彼が担当記者に好かれているんだなと感じさせられる。もちろん他の選手が好かれていないわけではないし、それによって報道に差が生まれることはない。

 山縣が“より”好感を持たれているのはなぜなのか。長年陸上を担当してきた記者はこう語る。

「山縣選手は理路整然と、丁寧に話してくれます。記者は書くのが仕事。基本的には相手から伝えられたことを書くか、重ねてきた取材から汲み取るしかありません。難しく、繊細な短距離走のことを言語化する能力が高いと思います。普通なら感覚論で終わってしまいますが、それも言葉にするのが上手。話を聞いていてシンプルに面白いと感じさせられます。競技人生にもドラマがある。もちろんずっと強い選手もいいのですが、波のある過程に共感性があります」

 近年の山縣は苦難の連続だった。19年6月の日本選手権直前に肺気胸を発症し、同11月には右足首靱帯を負傷。保存療法を選択し、回復したところで20年にも右膝蓋腱炎を抱えた。日本選手権は2年連続欠場。最もつらかった時間は、20年から21年にかけての冬だという。度重なる怪我の真っ最中ではなく、意外にも回復に向かった時だった。

「それまでの肉離れとかは治る感じがあったけど、膝は治っても同じ動きをしたらまたやってしまう。完治しないので、動きから変えないといけない。大改革が必要だった。ちょっと膝が痛い時に『なんか俺、続けられないかも……』という気持ちがあった」

 心は折れかけたが、頭を使うことだけはやめなかった。「怪我は走りの課題を突きつけてくれるもの。しっかり克服できれば良い走りができる」。今年4月の織田記念国際で復活優勝。思えば、この時の取材エリアも熱かった。

 怪我や病気に苦しんできた。間近で見てきた記者たちは、そんな時代もよく知っている。

 9秒95を出した直後の会見。山縣は風に恵まれなかった時期を振り返った。「風は運。これまで行いが悪かったんですかね(笑)」。ペンを握る記者たちも一緒になって笑っていた。決して「運」だけで打ち立てた記録じゃないとわかっているから。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)