12月25日、全日本フィギュアのフリーに臨む本田真凜【「天才少女」の十字架】 2019年夏のインタビューだった。 当時17歳だった本田真凜は、「天才少女」という十字架を引きずっていた。2016年の世界ジュニア選手権で優勝し、同年の全日本選手…



12月25日、全日本フィギュアのフリーに臨む本田真凜

【「天才少女」の十字架】

 2019年夏のインタビューだった。

 当時17歳だった本田真凜は、「天才少女」という十字架を引きずっていた。2016年の世界ジュニア選手権で優勝し、同年の全日本選手権は2度目の出場でシニアに混ざって4位と躍進、さらに2017年にも再び世界ジュニアで準優勝。期待された2018年平昌五輪出場は逃したが、リンクに立った時の艶やかさは群を抜いていた。

ーーフィギュアスケーターとして最終形のイメージは? まだ17歳で遠い未来かもしれませんが。

「まだ17歳、という感覚はないです。(自分のキャリアは)あと4年とか、早くて次のオリンピックで終わり。それくらいの気持ちで、そこまで何ができるか、逆算してやっています。シニアで世界の舞台に出て、満足のできる演技ができるように。それが目標です」

 彼女は真っ直ぐな目で言った。

【2年ぶりの大舞台】

 あれから2年半が経過した。

 本田の現在地とは?

 12月23日、さいたま。全日本の舞台に、本田真凜(JAL、20歳)は戻ってきた。昨年は5年連続で出場も、朝の公式練習後のめまいの症状で棄権せざるを得なかった。すなわち、今回も含めて7年連続で出場権は勝ち取っていることになる。それはスケーターとしてつむいできた、紛れもない「今」と言えるだろう。

 ショートプログラム(SP)では、冒頭の3回転ルッツ+3回転トーループをみごとに成功した。しかし2本目のループは、得点がつかなかった。3本目はダブルアクセルを着氷したが、全体的に技術点は伸び悩んだ。

 それも、ひとつの現実である。4年前の全日本では平昌五輪有力候補だったが、今回のSPは55.73点で23位だ。

「全日本の前に、たくさん練習してきました。去年の全日本のあと、しばらくはジャンプを跳べず、ここまで戻るとは想像していなかったので。今はいい状態ですね」

 本田は穏やかな笑顔で現状を説明した。

「最初の3・3(3回転の連続ジャンプ)は、本番で久しぶりに決められたので、よかったんですが。それを決めることに集中しすぎたかなって。2本目は点数がつかず、ジャンプなしになってしまって、もったいないなって思います。ただ、ジャンプは(昨年の全日本以後は)離れていた時期があって、よくここまで戻してきたなって。悔しさとよかったなと半分半分です」



SPの本田。得点は伸び悩んだ

 25位以下が、フリースケーティングに進めない。彼女はどうにか足切りをまぬがれ、希望をつないだ。

「フリーで使う『LOVERS』は歌詞が注目で。戸惑いや葛藤のなかで、立ち向かう強い女性を歌った歌詞です。今の自分の気持ちと重なるところがあります」

 本田は思いを込めて語っていた。スケーターとして強くなりたい。彼女の真摯な気持ちがにじみ出ていた。

「練習の状態は、少しずつ前に戻っていると感じていて。自分の演技の前、アイスダンスの演技を見ていたら、涙が出るほど感動しました。私もそういうスケートがしたいなって、自分だってできるんだぞって久しぶりに思いました。競技生活も後ろから数えたほうが早くなってきましたので、一つひとつの試合を大切に、来年もここに戻って来られるように。スケートを続けるなら、過去の自分を超える演技をしたいなって思っています。

【悪戦苦闘、でも滑り続ける】

 彼女は、天才だった自分を超えようとしてきた。順調とは言えないキャリアだろう。単刀直入に言って、悪戦苦闘だった。

「自分はジュニアの時、試合で練習以上のものができるとやっていました」

 当時のインタビュー、本田はそう告白していた。

「世界ジュニアで優勝した演技前とか、早く日本に帰りたいな、と思っていました(苦笑)。昔は人が何回もやってできることを、自分は結構すぐにできてしまったんです。でも、それは必ずしもいいことではないんです。たとえば、ジャンプはコツコツ習得した選手よりも安定しない。今は感覚的な貯金はゼロだと思い、少しずつ積み上げている感じです」

 天才だけの懊悩(おうのう)だろう。できたはずのことができず、不安と違和感を覚え、「練習が足りないから」「競技が好きでないから」と片づけられる。平昌五輪後は一念発起し、アメリカに拠点を移した。2019年には復活の過程で、海外でのグランプリ(GP)シリーズ中にタクシー乗車中に不慮の交通事故にも遭った。そこで思うような結果が出ず、天才は天才であることに縛られ続けてきた。

 それでも、本田は滑り続けている。

 この日も、フリーは華やかさが際立った。プログラムコンポーネンツだけで言えば、11番目に高い点数を弾き出していた。スケーティングの美しさの片鱗だろう。ただ、ジャンプはダブルアクセル+3回転トーループ、3回転サルコウはクリーンに降りたが、フリップは失敗。順位は21位で、トータルも同じ21位だった。2015年、ジュニア時代に飛び級で出場した初めての全日本の9位にも及ばない。

 しかし一周まわって、彼女はスケートの楽しさと再会していた。

「4年前は(重圧で)ひどい精神状態で、ようやく人としての感情を取り戻したというか。当時と比べると、本田真凜という人生を、すごく楽しめているかなって感じます。こういう舞台で久しぶりに滑って、『やっぱりスケートってすばらしい競技だ』って感じて。もっと強くなりたいって、久しぶりに心から思えた大会でした」

 今は生まれ育った関西を離れ、新横浜に拠点を移している。練習に励み、信頼できる先生に師事。「天才」から脱却する時だ。