東京2020パラリンピック カヌースプリント男子ヴァーシングル(VL3)の日本代表。今井選手のこれまでの人生を3回に分けてお届けする。前回は学生時代に取り組んだ剣道の話からオーストラリアでの事故の話。第2回はカヌーを始める経緯について。 …

東京2020パラリンピック カヌースプリント男子ヴァーシングル(VL3)の日本代表。今井選手のこれまでの人生を3回に分けてお届けする。前回は学生時代に取り組んだ剣道の話からオーストラリアでの事故の話。第2回はカヌーを始める経緯について。

<第1回はこちら>

――カナダもワーキングホリデーで行ける国ですね。

今井:そうです。カナダでは学生ビザでオタワにあるフレンチの専門学校に1年通い、それで満足して帰国しました(笑)。

 

――カナダで料理人として働くことは考えなかったのですね。

今井:はい、帰国した後は知人の勧めもあり、広島市内にある洋菓子店に勤務することになりました。カナダの料理学校でフレンチ以外にも、お菓子作りのコースも選択していましたので約2年半洋菓子を作っていました。

実は洋菓子作りは、長時間労働で立ち仕事という体力勝負の仕事なので、段々と身体がもたなくなってきました。なので別の仕事を探し始めました。せっかく得た食の知識があるので「食品関係」の仕事がないかなと。たまたま大手の食品関連メーカーの広島営業所が契約社員を募集していたので、そこに入社しましたね。それが2007年34歳の時です。

 

――その会社では何をされていたのでしょうか?

今井:営業です。ここでは2013年までの6年間勤めていました。担当エリアが広島県内だけでなく山口・島根・岡山・愛媛と車で移動することが多く、店頭で商品の陳列作業もありましたが、以前の職場のように立ち続けているわけではないので身体の負担は軽減されてよかったんですが…

この会社に勤めているときに、左足の筋肉に癌が見つかり、手術で太ももを切断することになりました。義足で仕事を続けることは可能だったのですが、重いものを持つ業務もあったので、迷惑をかけることになるかもしれないと思って辞職しました。


 

――病を克服されてから今に至るまでは何をされていたのでしょうか?

今井:『この病は命を左右する』と診断されたことで、私の人生観も大きく変化しました。

自分の身体へ意識が向き、キャリアチェンジを考えるようになりました。実は10年くらい通っていた鍼灸治療の方から「今井さん、この仕事あっていますよ」と言われていたことが頭に引っかかっていました。実家から1番近くにある鍼灸専門学校が香川県にあり、そこに入学するために2014年4月、40歳の時に香川に移住しました。2017年3月に卒業し2020年9月まで自営業で鍼灸師をしていました

その後、アスリート雇用で株式会社コロプラに所属。今は競技中心の生活をしています。

 

――香川県での生活は長いですね。

今井:そうですね。香川で結婚しましたので広島にはもどらず、香川8年目になりますね。

 

――今井選手はカヌー以前に競泳でも全国大会優勝しています。いつ水泳は始めましたか?

今井:癌の治療が終わり、退院した後すぐに始めました。

2013年に癌が見つかり、抗がん剤治療で体力が落ち、身体もボロボロになっていました。義足生活になると行動範囲も狭くなるかもしれないという懸念もあり、意識的に身体を動かさないといけないと思いました。健常者より身体を強くしておかないと何かの時に対応ができないというと思いもありました。そこで、助けを借りずに1人で出来て、環境が整っているスポーツは何かを考えたところ、水泳だと思いつき、退院した翌週にはプールに通い出していました。

 

――行動が早いですね。

今井:思った時にすぐに行動したいんですよ(笑)。2013年10月に退院し、翌年4月には鍼灸の学校に通うために香川に移住を決め、移住してすぐに近所でプールを探し、水泳ができる環境を作りました。水泳を始めた時「全国大会と名のつくものに出場したい」、そして「やるからには優勝したい」と考えていました。鍼灸の学校に通いながら週4〜5回はプールで泳いでいましたね。実は、そのプールで出会ったのが今の妻です。

 

――学生の部活なみの練習量ですね(苦笑)。

今井:「俺、なぜこんなに練習しているのだろう?」と思いながら泳いでました(笑)。2015年に開催された全国障害者水泳大会(和歌山県)に運良く出場でき50m自由形で優勝しました。「目標を達成できた!」と、その後も水泳は続ける一方、自分の中では水泳には一区切りついていましたね。

 

――カヌーを始めたキッカケはなんでしょうか?

今井:妻が学生時代、カヌーをやっていましたので、「カヌーやってみたいな」と妻に言うと、「学生時代の後輩が国市カヌークラブで指導をしているから連絡をした」とすぐにカヌーに環境を作ってくれました。それが2017年ですね。

最初、競技用のカヌーを見た時、「えっ、こんな(細い)ものに乗っているの?」と驚きました(笑)。「競技としてカヌーに取り組みたい」と話したら、健常者の競技艇しかなく…それは安定性が悪いため、片足がなくバランスがとり辛い私には相当危険な乗り物でした(苦笑)。カヌーを始めた頃はパラ用の競技艇があるかどうかも分かりませんでしたのでこの(健常者用競技)カヌーに乗らないと競技ができないんだと思って乗る練習をしました。当時は、周りの人は誰も健常者のカヌー競技は知っていてもパラのカヌー競技のことは知らない。そもそも競技艇のレギュレーションが違うことを知らなかったんです。

カヌー始めたのが11月で、水が冷たかった記憶があります(苦笑)。その頃は自営で鍼灸師をしていたので練習は日曜日のみ。週一の練習だと水の感覚を忘れてしまうので、競技艇に安定した状態で浮くことが出来るまで5ヶ月くらいかかりましたね(苦笑)。

 

――初めてカヌーに乗った時の感想を教えて下さい。

今井:やったことはありませんが「綱渡りってこんな感じなんだろうな」という感じ気持ちでした。自分で体験したことでいえば、初めて自転車に乗った時のような「これ、ホントに乗れるのか?!」っていう気持ちでしたね(笑)

――カヌーを漕がないまでもバランスが取れるようになったのは2018年頭くらいでしょうか?

今井:そうですね。2018年3月に香川県の府中湖で日本障害者カヌー協会主催の合宿が香川県府中湖カヌー競技場で行われました。毎年3月にカヌースプリント競技の海外派遣選考会大会が開催される会場で、その大会の3週間前に合宿を行うことが当時は恒例になっていました。それに参加させて頂き、そこで初めてパラカヌーの競技艇を見ました。自分が今まで練習していた健常者用競技艇より安定していたので「これだったらなんとかなりそうだ」という感触を掴み、競技者として挑戦しようと思いました。

すぐにパラカヌーの競技艇を注文しましたが、海外から取り寄せるので半年近くかかります。ジュニア選手が使うカヌーがパラカヌーに近い仕様になっているということを教えてもらったので、艇が届くまでそれを借りて練習していました。

 

――その頃、今井選手はどのくらい練習していたのでしょうか?

今井:自営業なので時間の都合はつきます。日曜日にガッチリ練習して、平日は2日前後練習していました。

 

――練習していく中、いつ頃から東京2020パラリンピックを意識していましたか?

今井:先ほどの2018年3月の日本障害者カヌー協会の方々にお会いした時、2020年東京で行われるパラリンピックでカヌーは種目採用されていると伺った時からです(笑)。

 

――すごい(笑)。水泳を始めた時も「よし!全国大会でトップを獲ろう」と決断しました。今井選手は目標を設定したら、そこに向けて努力ができる方ですね。

今井:練習はどこを目指そうが辛いものです。ハイレベルなものを目指すなら、なおさら辛くなります。「どうせ辛いことに力を使うなら高いところを目指さないともったいない!」という僕なりの発想があります(笑)。ですから東京2020は自国開催でもあるし二度とないチャンス、目指そう!という気持ちになりました。

また、カヌーは水泳より自分の身体の運動機能を活かせるという直感もありましたね。

<第3回に続く>

 

今井航一/イマイ コウイチ 広島県広島市出身
株式会社コロプラ 所属/香川県パラカヌー協会 所属

主な成績
2019日本選手権 男子KL3 2位/男子VL3 1位
2020日本選手権 男子KL3 1位/男子VL3 1位
2021 東京2020パラリンピック 男子VL3 12位

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所属:株式会社コロプラWebサイト
香川県パラカヌー協会 Twitter

一般社団法人 日本障害者カヌー協会Webサイト
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取材・文/大楽 聡詞
写真提供/今井航一・(一社)日本障害者カヌー協会