歓喜の瞬間は、唐突に訪れた。 スタートで出遅れたマックス・フェルスタッペンは、ソフトタイヤでプッシュしようとも、先にピットインしようとも、2ストップ作戦に変更して20周もフレッシュなタイヤで攻めようとも、ルイス・ハミルトンとの差は縮まらな…

 歓喜の瞬間は、唐突に訪れた。

 スタートで出遅れたマックス・フェルスタッペンは、ソフトタイヤでプッシュしようとも、先にピットインしようとも、2ストップ作戦に変更して20周もフレッシュなタイヤで攻めようとも、ルイス・ハミルトンとの差は縮まらなかった。

 7年連続王者メルセデスAMGの壁はあまりにも高く、レース終盤を迎えた挑戦者レッドブル・ホンダとフェルスタッペンには、もう打つ手は残されてはいなかった。

 あとは、奇跡を願うしかない。

 そんな状況で、まさに奇跡が起きた。



フェルスタッペンがついにF1王者となった

「とても疲れたよ。スタートはよくなかったし、レース序盤は明らかにペースが足りなかったけど、それでもできるだけ彼についていって、何ができるか模索したんだ。かなり苦しかったけど、チェコ(セルジオ・ペレス)がすばらしい仕事でルイスを抑え込んでくれて、またギャップが縮まった。そこから再スタートしたけど、また彼が引き離していった。

 VSC(バーチャルセーフティカー)が出たところで(2ストップ作戦に切り替える)異なるトライをしたけど、やはり速さが足りなかったから、それもうまくいかなかった。状況を打開するチャンスすらないんじゃないかと思った。でも最後に、セーフティカーが出てものすごくクレイジーな展開で状況が一変したんだ」

 53周目にクラッシュが発生し、セーフティカー導入。すかさずレッドブルはフェルスタッペンをピットに呼び入れ、ソフトタイヤに交換する。首位ハミルトンがピットインすれば、失うもののないフェルスタッペンがコース上にとどまって首位の座を奪い取る。だから、ハミルトンはピットインできなかった。

 レースは残り1周で再開。

 44周も走ってきたハードタイヤのハミルトンを、予選で3周スロー走行しただけのソフトタイヤを履くフェルスタッペンが抜き去るのは時間の問題だった。

 それでもハミルトンは、ターン5であえてインを空けてフェルスタッペンを先行させ、自分は立ち上がり重視でトウを使って車速を伸ばし、フェルスタッペンに襲いかかる。フェルスタッペンはターン2〜3で疲労のピークに達した右脚が痙攣し、それでもターン5のブレーキングからスロットルを全開で踏み続けた。

【ペレスの献身的なサポート】

 ハミルトンは2本目のバックストレートでもトウ効果を得て、接触寸前までフェルスタッペンのテールに食らいてアウトに並びかける。だが、フェルスタッペンはインを死守して首位の座を維持し、ここで勝負あった。

 フェルスタッペンとレッドブル・ホンダは、絶望的な状況から奇跡の大逆転でアブダビGPの勝利を掴み獲り、そして2021年のドライバーズタイトルも勝ち獲ってみせたのだ。

 チェッカーを受けて豪快な雄叫びを上げたフェルスタッペンは、ヘルメットのなかで嗚咽を漏らしていた。

「ものすごく感情的になっていたよ、それは間違いない。バイザーを閉じていれば、誰にも見られなくて済むからね」

 もし、最後のセーフティカー導入時にハミルトンから14秒以上引き離されていれば、ハミルトンは迷わずピットインしてソフトタイヤに履き替え、フェルスタッペンの前でコースに戻り、そのまま確実と思われていた勝利とタイトルを手にしていただろう。

 しかし、フェルスタッペンがあきらめることなくプッシュし続け、18秒あった差を11秒まで縮めていたからこそ、掴み獲ることができた幸運だった。

 それだけでなく、セルジオ・ペレスが自分のレースを犠牲にしてでも第1スティントを21周目まで引き延ばし、垂れきったソフトタイヤで必死にハミルトンと攻防を繰り広げて、6秒のタイムロスを喫させていた。この6秒がなければ、最後にセーフティカーが入ろうともハミルトンは悠々とソフトタイヤに履き替えて勝利していたはずだった。

「チェコがいなければ、僕は今日ここに座っていなかったと思う。あのブロックがなければ、ルイスは(最後のSC導入時にポジションを落とさずピットインできる)セーフティカーウインドウを得ていたはずだからね。間違いなく今日のチェコはすばらしいドライビングをしてくれたよ」

 ペレスは最後、パワーユニットを使い切り、コース上でブローアップすればセーフティカーからのレース再開がなくなってフェルスタッペンの逆転チャンスを奪いかねないため、そのリスクを避けるべくマシンをピットに戻し、自分のレースを犠牲にした。

 チームが一丸となって可能なかぎりの力を尽くし、最後まであきらめなかった。だからこそ、この幸運が巡って来たのだ。

【F1史上最も緊迫したシーズン】

「僕はずっと、簡単に成し遂げられるようなものなんてないし、最後までプッシュし続けなければならないんだと自分に言い聞かせていた。とにかく僕は最後までプッシュし続けたよ。そのおかげでルイスはセーフティカー導入時にフリーストップができなかったんだ」(フェルスタッペン)

 最後のリスタートを巡っては、レースディレクターの周回遅れ整理や再開タイミングがレギュレーションの定める通常の流れと異なっていたために混乱も起きた。

 事故処理と周回遅れの整理が終わらなければ、本来は再スタートが切られないはずだった。セーフティカー先導のままレースが終われば、タイトルはハミルトンのものとなる。

 しかし、そのまま終わるかと思われた残り1周のタイミングで、レースは再開された。それを制したのが、フェルスタッペンとレッドブル・ホンダだった。

 整理する周回遅れの数を減らし、レギュレーションの規定を超越する例外的な措置で再開して1周きりのタイトル決定バトルが行なわれたことに、最優先すべき安全性と公平性を蔑ろにしてエンターテインメント性を優先したのではないかという批判もあり、メルセデスAMGは控訴の意思を表明しているため結果は暫定扱いとなっている。

 ただ、そこに問題があったとすれば、これはあくまでレースディレクターの落ち度だ。どちらのドライバーも、どちらのチームも、何の落ち度もない。

 彼らは最後の最後まですばらしいレースを全力で戦い、最高のバトルを繰り広げきった。彼らが繰り広げたレースはまさしく、F1史上最も緊迫した2021年シーズンの終わりにふさわしいレースだった。

「僕とルイスによって繰り広げられてきたバトルのクオリティは極めて高かったと思う。あらゆる瞬間まで、僕らはお互いに限界ギリギリまでプッシュしあっていた。最初から最後まで全開でプッシュして、フィジカル的にタフなレースもあったし、休む暇なんて1周たりともなかった。

 僕はルイスに対して大きな敬意を持っている。そのルイスとメルセデスAMGを相手にとてもタフな戦いを続けてきて、彼らを打ち破って勝つことは本当に大きな満足感を与えてくれたよ」

【一番じゃなきゃダメですか?】

 このレースを最後にF1から去っていくホンダにとっても、ようやく手にした栄冠。2015年から7年間にわたって苦難を乗り越え、彼らもどんなことがあってもあきらめずに全力を尽くし続けてきた。

 ホンダの田辺豊治テクニカルディレクターも、ようやく肩の荷が下りたという表情で喜びを噛み締めるように静かに語った。

「2015年から参戦してここまで7年間、非常に苦しい時代から徐々に上向いてきて、去年は王者メルセデスAMGから離されてかなり厳しい状態でしたが、今年は両チャンピオンシップを戦えるところまで来られたことを非常にうれしく思っています」

 勝ちにこだわって頂点を目指してきたからこそ、どんな苦しい時も乗り越えてこられた。

 あまりに高すぎて届かないのではないかと思えるようなライバルの背中を追えたのも、自分たちの技術力を信じることでやって来られたと田辺テクニカルディレクターは振り返る。

「執拗に勝ちにこだわった開発を続けてきた技術陣、それを支えてくれたオペレーション陣、メンバーを海外に送り出す家族のサポート、そういったことがあっての結果だと思っています。ホンダF1に携わってくれた人たち全員ひっくるめて、全員の努力の結果です。本当にありがとう、本当におめでとうという気持ちでした」

 ホンダにとっては、1991年のアイルトン・セナ以来となるタイトル。

 30年間目指し続けた「一番」に、ようやく手が届いた。だが、本当に何よりも価値があるのは、その結果よりも、夢を追い求めここまで歩んできたという事実だ。

「『一番じゃなきゃダメなんですか?』という言葉がありましたが、その一番を目指す、そこに向かってみんなで努力する、という過程が重要なのではないかと思っています。結果として一番にならなければダメということよりも、一番を目指して本当に本気でやったかどうか、というところが自分たちの肥やしになると思います。

 私たちは全員が本気で勝ちにこだわってやってきたんです。たとえ両タイトルともに獲れなかったとしても、その努力とこだわりは、我々のメンバーが仕事をしていくうえで非常に貴重な経験になるでしょうし、将来に大きく生きるものだと思っています」(田辺テクニカルディレクター)



ホンダF1は7年間、常に挑戦し続けて頂点を掴んだ

【挑戦を、夢を、ありがとう】

 どん底からでもあきらめず、夢に向かって挑戦し続けた。時に泥臭く、時にスマートに。情熱とイノベーションで世界の頂点まで辿り着いた。まさしくそれを体現したような、最後のシーズン、最後のレース、最後のラップだった。

 この7年間、ホンダが私たちに見せてくれたのは、そんな情熱と感動のストーリーだった。

 挑戦を、夢を、ありがとう。

 また会う日まで。