「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連…

「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子

 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。元フィギュアスケート五輪代表の鈴木明子さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、競技に関する話題はもちろん、現役時代に摂食障害を患った経験から、アスリートの健康問題なども語る。

 今回のテーマは「アスリートのメンタルヘルス問題」後編。今年、にわかに注目を浴びることになったスポーツ界の課題。鈴木さんも現役時代は精神安定剤を服用しながら競技に取り組み、謂れのない誹謗中傷に思い悩んだ時期もあったという。後編では便箋で4~5枚にもわたる心ない手紙を受け取った経験を明かし、実体験からアスリートが心を守るために必要なことについても考えを語った。(構成=長島 恭子)

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 前回、お話しした通り、私は2014年ソチ冬季五輪の出場をかけた現役ラストシーズンに、周囲の期待の大きさや結果が出ない焦りから、精神安定剤を服用しながら競技を継続。それは、引退するその日まで続きました。

 アスリートは周囲から、すべての面においての強さを求められます。メンタル面に問題を抱えていたことを公表した大坂なおみ選手も、まさにそういった状況に置かれていたと思います。

 是非は別として、大坂選手が会見を拒否したこと、その後、メンタルヘルスの問題を公表したことなどの一連の報道を、あぁ、本当に大変なプレッシャーを背負ってここまでやってきたのだな、という気持ちで見ていました。

 選手たちはメディアや世間が求めている、期待している言葉を敏感に感じ取ります。それはだいたいが「金メダルを獲りにいきます」「優勝目指して頑張ります」という強さをアピールする言葉です。

 でも、目標を口にすることで自分を鼓舞し、プレーの弾みになる選手もいれば、言葉にしたがゆえ、心が惑い、プレッシャーに苦しむような選手もいます。

便箋4~5枚に書かれていた「おまえなんて早く引退しろ」

 私は「きっと優勝します、逆転します、という言葉が欲しいんだろうなぁ」と感じてはいても、順位についてはあまりコメントせず、「順位よりも、今までやってきた全てを発揮できるようにパフォーマンスに集中したい」という風に答えていました。言葉にすればプレッシャーになるとわかっていたからです。それを冷静に判断できたのは、テレビのインタビューをよく受けるようになった頃はもう、20代だったことが大きかったと思います。

 それから、私の競技選手だった頃は、今ほどインターネットから流れてくる情報量も多くなく、SNSも浸透していませんでした。自分に対する世間からの言葉を日常的に目にしなかったことは、今思うと救いです。

 当時は、観ている方からの厳しい言葉は、手紙で届きました。ときには「スケートをやめてしまえ」という類のものもあり、そういった手紙を読んだときは自分一人では心の整理がつかず、コーチや母に伝え、気持ちを吐き出していました。

 ちょうど、競技引退か、続行かを悩んでいた頃も、便箋に4枚も5枚も「おまえなんて早く引退しろ」という言葉が続く手紙を受け取ったことがあります。

 そのときもコーチたちに「どうして私のことを何も知らない人に、辞める時期を決められなくちゃいけないの? 私の辞め時は私が決めるし、まだ頑張って競技続けるわよ!」と気持ちをぶつけました。すると、「今まで引退の時期を決められないって言っていたのにね。この人は明子の真のファンかもしれないよ」とみんな大笑い。周りの人たちが笑い飛ばしてくれたことで、本当に救われました。

 多分、私だけでなく母やコーチたちも、それらの手紙を読んでショックだったと思います。でも、一切私には見せず、笑ってくれた。「あなたが頑張っていることはわかっているよ」と言ってくれる人たち、「私にはこれだけの味方がいるんだから、それで十分」と思わせてくれる人たちの中にいれたことに、今もすごく感謝しています。

 また、私自身、「すごくイヤな気持ちだ」と周囲に言えたこともよかったと思います。恐らく、摂食障害を患う以前の私だったら、完璧主義で、人に弱さを見せるような言葉を一切、口にできなかった。きっと、悔しいとか傷ついたとかいう気持ちを、自分の中に溜め込んでしまったと思います。

 私は決して強くなれたのではありません。周りが守って支えてくれたからこそ、弱い自分を受け入れたまま立っていられた、と感じています。

選手はアスリートである前に人間、たった一言が心に深く刺さる人もいる

 今では「世の中には私のことを好きな人、嫌いな人、興味のない人がいて当たり前」と思えるようになりました。

 でもこれは、競技選手、プロスケーターとして長くスケートを続けるなか、大人になっていったから受け止められること。まだ10代の選手が、SNSなどでふと自分に対するマイナスの言葉を見つけてしまったら、すごく傷つきますし、受け止めきれないと思います。

 選手たちはたとえ何百の励ましの言葉に溢れていたとしても、たった一通のバッシングの手紙を見ただけで、メンタルはガタガタと崩れてしまいます。しかも、以前なら、わざわざ文字を書き、住所書き、切手張ってポストに手紙を投函するまでしないと、選手に言葉は届かなかった。

 ところが今は、スマホでちゃちゃっと書き込むだけで、さらに匿名でコメントできる。手間がかからないからこそ、深く考えず、誹謗中傷の言葉を書き込まれることが増えたのではないでしょうか。

 選手はアスリートである前に、人間です。「アスリートだから何をいっても大丈夫」とか「メンタルも最強」という前提で言葉を発しないでほしい。周囲の声を気にしない人もいれば、たった一言が心に深く刺さる人もいます。

 アスリートのなかには私のように、弱さと向き合いながら競技を続ける選手もいます。誹謗中傷までいかなくとも、例えば「あの選手にこの演技は似合わない」「あの点数はどうなのか」など、何気なく発した言葉に傷つくかもしれません。人に対し言葉を発するのであれば、やっぱりそのことを一人ひとりが自覚するべきだと考えます。これはもちろん、選手も含めてです。

 また選手側も、周囲の声が気になってもエゴサーチはしないなど、不要な情報を遮断する勇気を持つこと。本当に向き合うべき言葉は何かを考えることが、大事だと考えます。(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。