「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連…

「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子

 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。元フィギュアスケート五輪代表の鈴木明子さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、競技に関する話題はもちろん、現役時代に摂食障害を患った経験から、アスリートの健康問題なども語る。

 今回のテーマは「アスリートのメンタルヘルス問題」前編。今年、にわかに注目を浴びることになったスポーツ界の課題。鈴木さんも現役時代は精神安定剤を服用しながら競技に取り組み、謂れのない誹謗中傷に思い悩んだ時期もあったという。前編では現役ラストと位置付けた2013-14年のソチ五輪シーズンに受けた重圧で、葛藤に揺れながらも服用するに至った経緯をありのままに明かした。(構成=長島 恭子)

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 今年、アスリートのメンタルヘルスの問題が注目されました。

「心技体」という言葉があるように、スポーツではこの3つが安定した三角形となって初めて、よいパフォーマンスが発揮できると思います。練習が順調にいけばメンタルも安定し、本番のよいパフォーマンスにつながります。

 でも、体調が悪かったり、ケガをしたりすれば「調整に失敗した」とメンタル面が落ちますし、逆に何もかもがうまくいっているにも関わらず、「本番でミスをしたらどうしよう」と不安がよぎったことで、力や技術を発揮できなくなる場合もあります。

 そして、重要な試合や周りの期待が大きい程、「心技体」をバランスする作業も繊細になります。すると、ひとつの不安がほころびとなり、ちょっとした「良くないこと」がガタガタと崩れてしまう。

 それでも、常日頃から厳しいトレーニングを積み重ねることで、どんなときも調子を大きく崩さず、高いレベルのパフォーマンスを発揮する。それが、トップアスリートといわれる人たちです。

 私自身はどうだったかというと、精神的に安定しているとは言えない選手でした。

2014年ソチ五輪シーズン「引退するその日まで精神安定剤を服用していました」

 いつも周りの選手たちがすごく強く、自信を持っているように見えていましたし、彼らと自分を比べては「なんで私はこんなに弱いんだろう」と感じていました。弱さは自分の「短所」。どこかに不安を抱えながら競技を続けていました。

 その不安が爆発したのが、競技生活最後のシーズンです。2014年ソチ冬季五輪の出場をかけたシーズンでもありましたが、私は引退するその日まで、精神安定剤を服用しながら、スケートを滑っていました。

「五輪に行けても、行けなくても、このシーズンをもって自分は引退する」。そう決めたのは、ソチ冬季五輪のちょうど1年前です。

 私にとってソチ大会は前回のバンクーバー大会に続く、2度目の五輪挑戦でした。報道や周囲の様子から「五輪出場」の期待の大きさが伝わり、バンクーバー前よりもはるかに大きなプレッシャーを感じていました。

 しかも、競技生活、最後のシーズンです。代表選考で落ちた時点で、選手人生も終わり。後悔をしたくない、過去最高の状態に持っていきたいという強い想いも重なり、自分を追い詰めてしまいました。

 結果、思うように調子が上がらず、五輪代表選考に関わるグランプリ(GP)シリーズで、満足のいく結果を残せません。そして、毎年出場していたGPファイナルへの出場権を逃してしまいます。

 この結果にますます焦りと不安が強くなり、競技生活で初めて「眠れない」という状態を経験します。常に気が張っているため、横になっても「ぐっすり眠れた」という実感がなく、一方で電車のなかでストンと寝入ることもできませんでした。

 また、眠りが浅いため、当然、心身ともに疲労から回復しません。すると練習内容も悪くなり、コーチからは厳しい言葉をかけられ、ますます追い詰められていく。そんな悪循環のなか、眩暈を感じながら滑っていました。

弱さを認められなかった自分、当時の想いは「薬に頼る=負け」

 そしてある日の練習中、ダブルアクセルを跳んだ瞬間に平衡感覚を失い、体が吹っ飛んで膝から落下。そこで初めて、病院で診察を受けることになります。

「今はきちんと睡眠をとって、体だけでなく心もしっかり回復しましょう」。診察後、お医者さんに提案されたのが睡眠安定剤の服用でした。

 その時、真っ先に「薬を飲まなければいられないなんて、私はなんて弱いんだ」と頭をよぎりました。当時の私にとって「薬に頼る=負け」。今思えば「謎のアスリート魂」としか言いようがありませんが(笑)、周りの選手は普通に練習して試合に出ているのに私にはできないのか……と受け入れがたい気持ちでした。

「今あなたが一番したいことはいいパフォーマンスをして試合に持っていくことでしょう? しっかり眠れるようになれば、今抱えている問題は解決する。ドーピング検査に引っ掛からない薬を使ってみましょう」と先生。

 それでも、自分の「弱さ」をどうしても認めることができなかった私は、「ありがとうございます。お薬を飲んでしっかり寝ます!」とは言えませんでした。

 当時の私は、ずーっと不安と戦い、1日中、神経が高ぶっている状態でした。処方されたお薬を飲むと、フッと心が落ち着き、しっかり眠れるように。おかげできちんと練習ができるようになり、練習ができているという自信から、心も安定。パフォーマンスも、どんどん上がっていきました。

 そのとき気づいたのは、「スポーツ選手に弱いところがあって、何が悪いのだろう」ということです。

 アスリートであっても、すべてにおいて強くなくてもいい。このお薬は、自分が心技体を整えるために必要なもの。弱いなら弱いなりにやっていこう。私は自分の弱さを受け入れたことで、やっと前に進めました。

 その後、全日本選手権で初優勝し、ソチ大会の出場権を獲得。引退試合となった世界選手権を終えて、お薬も手放しました。

(12日掲載の後編「便箋4、5枚で『お前なんて早く引退しろ』 鈴木明子が考える誹謗中傷からの心の守り方」へ続く)(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。