ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(2) フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2…

ホンダF1参戦2015−2021第4期の歩み(2)

 フルワークス体制で再び挑んだ第3期(2000年〜2008年)から7年----。ホンダはパワーユニットのサプライヤーとしてF1サーカスに復帰した。2015年にマクラーレンとともに歩み始め、2018年からトロロッソ(現アルファタウリ)と強力タッグを組み、そして2019年からはレッドブルも加わってチャンピオン争いを演じるまでに成長した。2021年に活動終了するホンダF1の6年間に及ぶ第4期を振り返る。

「ホンダ第4期の歩み(1)」はこちら>>

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アロンソのホンダに対する口撃は増していった

「GP2エンジン! GP2!」

 マクラーレン・ホンダの無線回線に、フェルナンド・アロンソの叫び声が響いた。

 2015年9月27日、鈴鹿サーキット。ホンダはF1に復帰して初めての母国レースを迎えていた。

 とは言ってもコンストラクターズランキングは9位で、後ろには無得点のマルシアしかいない実質的な最下位。トークン制でパワーユニットの開発が厳しく制限されているだけに、パワーがモノをいう鈴鹿でも苦戦を強いられることは明らかななかでの母国レースだった。

 スタートで12番グリッドから9位に上がったもののザウバーに抜かれ、そしてトロロッソのマックス・フェルスタッペンに抜かれたところでアロンソのフラストレーションが爆発した。メインストレートで太刀打ちできず抜かれていく姿に、ファンの間からも失望の声とホンダへの批判が噴出することとなった。

 だが、本当にそうだったのか?

 たしかにホンダのパワーユニットは、トップレベルにはほど遠かった。信頼性も乏しかった。しかし、2015年の開幕になんとか間に合わせたスペック1は、第7戦カナダGPでターボを改良してスペック2へ進化し、夏休み明けの第11戦ベルギーGPで新型ICEを投入してスペック3へと進化した。

 すでにパワーではルノーを上回り、フェラーリに近いところまで追い着いてきていた。実は鈴鹿でも10周目から20周目までレッドブルのダニール・クビアトを抑え続け、彼がピットインした20周目から25周目まではトロロッソのフェルスタッペンを1秒以内の差で抑え続けていた。メインストレートでDRS(※)を使われても、簡単に抜かれてはいなかったのだ。

※DRS=Drag Reduction Systemの略。追い抜きをしやすくなるドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制システム。

 では、マシン性能では彼らよりも劣るはずのザウバーに、序盤6周目に易々と抜かれたのはなぜか?

 それは、ザウバーが搭載するフェラーリ製パワーユニットに比べて、ERSのディプロイメントが大幅に劣っていたからだ。120kW(約160馬力)のディプロイが切れれば、簡単に抜かれてしまうのは当然だ。

 当時の新井康久総責任者はこう語っていた。

「今回持ち込んだスペックは、ルノーよりも10馬力多く出ているんです。ドライバビリティはウチのほうが圧倒的にいいはずです。ICEだけはちゃんと出力が出ています。ただしディプロイが切れれば、そんな10馬力や20馬力のICEの差はどっかにいってしまいますから......」

 ホンダRA615HのMGU-H(※)は、サイズゼロコンセプトに合わせてエンジンVバンク内のスペースに収めるべく、コンパクトに設計されていた。それゆえに回生量が乏しく、連続周回で戦う決勝ではディプロイメント量が圧倒的に足りなかった。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 前年度2014年のレベルで言えば、平均的なディプロイメント量だった。だが、ルノー以外のメルセデスAMGのフェラーリは2年目の2015年はディプロイメント量を大きく進歩させてきていたため、マクラーレン・ホンダの目標値設定が誤っていたのだ。

 アロンソの言う「GP2エンジン」は、マクラーレンとホンダがチームの総意として選んだものだ(それも正確に言えばGP2エンジンではなくGP2ディプロイメントということになる)。

 そして、MGU-H拡大にはVバンクの外に出すレイアウト変更が必要であり、トークン制に縛られた2015年シーズン中にそれを行なうことは不可能だった。つまり、マクラーレン・ホンダはディプロイメント量の乏しさを抱えたままで戦わざるを得なかったのだ。

 そんななかでもホンダはICEを改良し、最大パワーの改善を図ってきた。だから鈴鹿でもルノーPU勢を上回る最高速を記録し、ディプロイメント量が問題にならない予選ではQ3進出まであと0.5秒のところまで来た。

 パワーユニットとしては、まだまだ合格点と言えるレベルではなかった。しかし、ライバルメーカーが5〜6年かけて基礎研究をしたうえで1年間の実戦を経てきたのに対し、ホンダはわずか2年間で開発し、開発制限に縛られたなかで可能なかぎりの進歩を見せていたことも、また確かだった。

 序盤5周目にトロロッソのカルロス・サインツ、そして6周目にザウバーのマーカス・エリクソンに抜かれたところで、アロンソは「GP2のように抜かれている。恥ずかしい、とても恥ずかしいよ」と訴えた。そこから20周後にフェルスタッペンに抜かれて「GP2エンジン」発言。実は、鈴鹿でアロンソが抜かれたのはこの3回だけだ。

 自分の腕ではどうすることもできない、ストレートで抜かれることへのフラストレーションはよくわかる。しかし、ディプロイが切れていない状態ではルノーと同等の性能を発揮し、ディプロイ切れがホンダの力だけではどうすることもできないことも、アロンソはよくわかっていたはずだ。それだけに、アロンソの発言は物議を醸すことになった。

 その一方で、マクラーレンの車体MP4-30も決して傑出した性能を持っていたわけでもなかった。

 空力性能を最大化するためのサイズゼロコンセプトだったはずだが、思ったほどのダウンフォースは発生させられず、ドラッグだけが過多だった。レッドブルから空力責任者ピーター・プロドロモウを獲得してレッドブル風のハイレーキマシンに刷新されたが、劇的に空力コンセプトを変更したことで従来のデータが生かせず、開発にもセットアップにも苦労していた。

 クラッシュテストを通過できず、ショートノーズの導入が第8戦まで遅れたことからも、当時の混乱ぶりがわかる。パワーユニットの差がほとんどないはずのレッドブルと比べても、鈴鹿の予選で1.3秒の差をつけられた。トロロッソとの差は0.3秒だ。

 ハンガリーGPでは、アロンソが予選中にマシンを止めて必死にピットレーンまで押すという場面がファンの心を打った。

 しかし、マシンが止まったのは「バッテリーからシャシー全体に電気を供給するメインの電源コネクターがきちんとハマっていなくて、走行中にそれがルーズになって最終的にシャットダウンしてしまった」ため。それ以外にも、ギアボックスやハーネス(配線)など、パワーユニットだけでなく車体側のトラブルも多々あった。

 つまり、未成熟なパワーユニットも大きな足かせになったが、そのコンパクト差と引き換えに得るはずだった車体側の性能不足や熟成不足も、低迷した理由だったのだ。

 そんななかで、ランキング9位という成績低迷の責任者探しはシーズン中盤に早くも始まっていた。

 第9戦イギリスGPでは「いつまで総責任者のポジションにいられると思っていますか?」「このプアな結果が与える商業的な影響は? 優勝争い、表彰台争いをするまで、どのくらい耐えられるのか?」といったトゲのある質問がイギリスメディアから新井総責任者に投げつけられた。第12戦イタリアGPでは「ドライバーにどう謝罪するのか?」といった質問から個人攻撃まで展開されるようになった。

 マクラーレンの雇われ首脳陣たちとしては、新井総責任者をスケープゴートにして自分たちの保身とスポンサーへの面目を保った。同時に、ホンダからの莫大な資金的サポートは引き続き受け取るという狙いも明らかだった。

「成績が出ないからその理由をどこかに押しつけようとして、ホンダ側に、もっといえば私個人に押しつけている。チームとしても、スポンサーを得て経営しているわけですから、(スポンサーに対して)『私たちは悪くないんです』って言うしかありませんから。(世間にチームの実状が伝わるのは)難しいと思いますが、せめて応援してくれている日本のファンの人たち、ホンダの人たちには、日本語で真実が伝わるようにと思って、こうしてお話しさせていただいています」

 イタリアGPで総攻撃を受けたあと、新井総責任者はひっそりとそう語っていた。

 鈴鹿での「GP2発言」には、さすがのロン・デニス総帥も慌てて火消しに走った。

「ホンダに対して批判的な言葉を投げつけるべきではない。私はあらゆるドライバーにプロフェッショナリズムを保持してもらいたいし、あのような言動は許すことはできない。いずれにしても、この件については我々マネージメント陣営も含めてチーム内で話し合うべきことであり、メディアに乗せるような話ではないと思っている」

 複雑なパワーユニットという高い壁。にもかかわらず、準備不足のまま見切り発車の参戦開始。そしてシーズン中の厳しい開発制限......。

 車体側の空力コンセプト刷新と失敗。にもかかわらず、それを認められないチーム体制。そして保身のために責任を押しつけようとする政治的な駆け引き......。

 複雑怪奇なF1の世界に巻き込まれ、そのなかで自分たちの正しさを主張するだけの強さは、当時のホンダにはまだなかった。

 技術面では着実な進歩を見せた1年目のホンダだったが、その努力と成長が正しく伝わることはなかった。

(第3回につづく)