初出場だった2018年の平昌大会に続いて、2回目の五輪をメダルが見える位置で迎えようとしている小林陵侑(土屋ホーム)。前回の五輪をこう振り返る。「普段のW杯とは雰囲気も違って『面白いな』と感じる大会でしたが、競技面ではまだ世界は遠いなと感…

 初出場だった2018年の平昌大会に続いて、2回目の五輪をメダルが見える位置で迎えようとしている小林陵侑(土屋ホーム)。前回の五輪をこう振り返る。

「普段のW杯とは雰囲気も違って『面白いな』と感じる大会でしたが、競技面ではまだ世界は遠いなと感じました。すごく調子がよくても7位(ノーマルヒル)と10位(ラージヒル)。世界のトップとはジャンプのレベルもまったく違うし、まだまだ遠くて、経験が足りないなと思いました」



日本のスキージャンプ男子を牽引する存在になった小林陵侑

 小林のW杯デビューは、19歳の時に出場した2016年1月23日からのポーランド・ザコパネ大会だった。日本の主力選手が29日からの札幌大会に備えて帰国したための代替え出場で7位。ソチ五輪個人2冠のカミル・ストッフ(ポーランド)を1.1点差で抑える想定外の結果を残した。

 その後は札幌大会を経て世界ジュニアでも個人2種目で3位になると、シーズン終盤の2大会にも出場。個人戦5戦のみの出場ながら、W杯総合ランキングでは55ポイントを獲得して日本勢4番手の42位になっていた。

 だが、開幕戦から全試合に出場した2016~2017年シーズンは33位が最高で、30位以内が獲得できるW杯ポイントはゼロという結果になった。その屈辱を晴らそうと臨んだ平昌五輪シーズンは兄・潤志郎がW杯第1戦で勝ち、その後もひと桁順位を続けて好調をキープするなか、自身は年末のオーベルストドルフで12位になると、安定してポイントもとれるようになった状態で五輪を迎えたのだった。

 平昌のノーマルヒル7位とラージヒル10位はともに日本人最高順位。そこで感じたのは「まだまだトップとは差がある」という現実だったが、そこまで辿り着いたことで、その差が何なのか明確になった。

 トップ選手の滑りを参考にして、アプローチの滑りから飛び出しを改善しようと臨んだ翌シーズン。靴のかかと部分を高くするなどの道具の調整にも取り組み、トップ選手と同じような鋭い飛び出しや、そのスピードを落下し始める地点の最大限まで維持できるようになった。

 サマーグランプリ白馬大会2試合を連勝して臨んだ冬シーズンは、W杯初戦で3位になると2戦目で初勝利。その後も好調で年末から年始にかけてのジャンプ週間では史上3人目のグランドスラム(4連勝)を果たして優勝し、シーズン通算では歴代2位の13勝を挙げて日本人初の総合優勝も果たした。

 その勢いそのままに臨んだ2019~2020年は、チームのコーチが変わったなかでも3勝して2位2回、3位3回で総合3位。咋シーズンは3勝と2位2回で総合4位とトップレベルは維持したものの、納得はできなかった。

「(2018~2019シーズンにW杯で)総合優勝したことで、ジャンプという競技を知らなかった人まで注目してくれたと思うし、やっぱり1番は獲りたかったです。でも、ジャンプは50人のなかでひとりしか勝てないし、勝ち続けることが難しい競技。それを知って欲しいという思いもありました。

 ただ、そういうなかで、勝てないことよりもいいジャンプをできないことにモヤモヤしていました。シーズン30戦くらいのなかで3勝するのもすごいとは思うし、勝った瞬間はうれしいけど、毎週試合があるので、そこで満足していられないじゃないですか。継続できてこそ本当の強さだと思うから、総合優勝というのは複合の渡部暁斗さんが言うようにすごいと思います。確かに五輪で勝つこともすごいことですが、"ずっと強くて、ずっと楽しい"というのを求めたいなと思います」

 毎年のように身体の状態は変わり、道具も変化していく。「総合優勝の翌シーズンが、一番ジャンプが狂っていたと思います。それはたぶん、自分の求めているパフォーマンスが他の人より高くなっていたから、空回りした部分もあったと思います。自分のやりたいパフォーマンスができないもどかしさはあったけど、求めているものが高すぎるというのもわかっていたので、自信をなくすまではなかったですね」

 だだ、昨シーズンも感覚がブレたままだと感じたことで、この夏は意識を変えた。自分の感覚を求めるだけではダメだと思い、考え方を一度リセットして、他の選手たちの映像を見るようにして、助走の滑り出しの感覚から踏切の感覚、空中の感覚をトータルでイメージするようにした。

 その結果が9月末から2試合出たサマーGPの2位と1位につながった。なかでも勝利した最終戦は、2本ともトップで2位に24.1点差をつける勝利。帰国してからの札幌3連戦でもすべて圧勝と好調だ。 

 そんな小林にとって五輪は、小さい頃から見ている特別な大会だ。

「W杯で勝つこともすごくうれしいけど、多分五輪でメダルを獲るのもすごくうれしいでしょうね。めちゃくちゃいいパフォーマンスをして、めちゃくちゃ飛べたら楽しいと思います。でもその楽しさって一瞬なので、また何回も経験したいと思うはず。だから勝ったとしても、それで『自分がすごくなった』とは思わないと思います。

 ただ、五輪で勝たないとみんな見てくれないじゃないですか。僕の記憶に残っている最初の五輪は2010年のバンクーバー大会で、すごい大会という印象とシモン・アマン(スイス)が勝ったこと(ノーマルヒルとラージヒルで金メダル)しか覚えていないんです。その頃はW杯があることも知らなくて、そういう僕みたいな子も多いと思います。

 ジャンプをやりたい子供たちでも、『五輪はすごい大会なのは知っているけれど、見た内容は覚えてない』となる。でもそこで日本人がメダルを獲ったらきっと変りますし、これからのジャンプ界が盛り上がるかどうかもメダル次第だと思うし、自分が勝てる圏内にいるからこそやりたいですね」

 北京五輪のジャンプ台は、完成後もコロナ禍でプレ大会が開催できず、どんなジャンプ台でどんな風が吹くかもわかっていない。12月4日からコンチネンタルカップは開催されるが、トップ選手はW杯とスケジュールが重なるため、出場できずぶっつけ本番になる。それでも小林は「調子が悪かったら不安になると思うけれど、今年は夏がよかったので、そんなに不安になっていません」と話す。

「雰囲気もわからないし、会場への移動もどうなるかわからないのでそういう怖さはありますね。でも、バスで3時間かかって寒いという過酷な移動はW杯開幕戦のニジニ・タギル(ロシア)で経験しているし、平昌でも寒いなか長時間待たされる経験もしているので。ただ五輪は、ふだんのW杯だったら中止になるような状態でも試合を続行させるから、いつもよりゲーム感があって楽しいです。

 僕はスノーボートも好きだから、応援に行けたら楽しいし、久しぶりにボードの選手とも会えるのもうれしい。それに中国の大会は今までなかったから、食事もどんな中華料理を食べられるかな、と楽しみがたくさんあります」

1回できていたことができなくなって苦しむことも多いが、経験すればするほど、求めるものが高くなるとも言う。

「それに到達したいと考えると、終わりのないスポーツだと思います」と笑う小林は、その先の夢をこう話す。

「今、思っている究極の夢は、2030年に札幌五輪が開催されたらそこで金メダルを獲って、そのシーズンのW杯総合(優勝)も獲り、その次も......と何年間か強くい続けることですね。その先はW杯で戦い続けたいと思うかわからないけれど、飛ぶのは楽しいので続けたいとも思います。北京五輪もメダルを獲らなければそこへ向けての通過点にはならないと思うし、金メダルを獲ったらどのくらい日本のジャンプ界が変わるのかな、というのもあるから、それも楽しみです」

「北京五輪へ向け、まずはW杯で1勝したい」と話していた小林は、開幕戦で2位、第2戦は予選のスーツ違反で失格になって初勝利は逃したが、第3戦のルカ大会では2本目に最長不倒の143mを飛んで優勝を果たした。その後、PCR検査で陽性反応が出たことにより、次の出場は第6戦からとなる見込みだが、「症状も出ていなくて元気」と言うだけに、W杯総合優勝をした3シーズン前のような快進撃も期待できそうだ。