「スポーツの言葉学」、マリーナ・ズエワが引き出した力 コロナの影響により、以前のように観客席から声援を送ることはできない。それでも立ち上がって拍手を送る人々の姿から伝わるのは、心からの「歓声」だった。その真ん中に、村元哉中と高橋大輔(関大K…

「スポーツの言葉学」、マリーナ・ズエワが引き出した力

 コロナの影響により、以前のように観客席から声援を送ることはできない。それでも立ち上がって拍手を送る人々の姿から伝わるのは、心からの「歓声」だった。その真ん中に、村元哉中と高橋大輔(関大KFSC)の笑顔があった。

 11月12、13日、東京・代々木第一体育館で行われたフィギュアスケートのNHK杯。アイスダンスの村元と高橋はリズムダンス70.74点、フリーダンス108.76点、合計179.50点と、そのすべてで国際スケート連盟公認における日本歴代最高得点をマークし、2組が出た日本勢で上位の6位で大会を終えた。

 結成して2シーズン目だ。しかも高橋にとっては、足を本格的に踏み入れて2年も経っていない新たな世界だ。それを思わず忘れるほど、1年前のNHK杯から長足の進歩を見せた。

 リフト、スピンともに最高レベルであるレベル4を獲得し、GOE(出来栄え点)もすべて加点を得た。リフトの安定感も昨年とは大きく異なる。

 技術面ばかりではない。プログラム全体に和の装いが広がるリズムダンスの『ソーラン節&琴』、クラシックバレエの名作に基づくフリーダンスの『ラ・バヤデール』と、対照的な世界観を体現してみせた。

 2人にも、確かな手応えがあった。

 村元は言う。

「自分たちが練習してきたことを発揮できて、表現面も昨シーズンと比べて、すごく余裕をもって滑れたと思います。不安要素がなく、エレメンツ(要素)に一つひとつ挑めているなと演技を通して感じました」

 高橋も笑顔だった。

「リズムダンス、フリーともに大きな舞台を終えることができたので一つ自信になりました。緊張感が非常にありましたけど、落ち着いて演技できたのは、練習をちゃんとできていたからかな、と」

 この話でも、それ以外でも、しばしば「緊張」という単語が聞かれた。それに押し潰されず、集中して力を発揮できた背景に、ある「言葉」があった。

高橋の心に残った言葉「今の貴重なこの瞬間を大切に楽しみなさい」

 大会には、2人のコーチであるマリーナ・ズエワが駆けつけた。ズエワは大会期間中、2人に言葉をかけ続けた。

 村元が印象に残っているのは次の言葉だ。

「何をするかじゃなくて、今、自分たちができるものをどう見せるかが一番大事だよ」

 村元はこのように受け止めたという。

「やはり、トップのチームとどうしても比べてしまったりする時もあるんですけど、比べたところで変わらない、何もいいことはないので、今自分たちができることを、どういう風に表現してパフォーマンスするかが大事だな、と。マリーナに言われてそれを意識してやった結果、いい評価も得られたし、表現面でも昨シーズンよりできたのかな、と」

 高橋はズエワから「今の経験は今しかできないから、今を楽しみなさい」と毎日言われ続けたことを前置きとして、心に残る言葉があったと言う。

「『お客さんもあなたのスケートが見たくて、楽しみに応援してくれているのだから』と言われ、『上手くやらなきゃ』でなく『どうやって楽しんでもらえるか』を考えながら滑りました。『自分たちが楽しまないと周りに伝わらない、今の貴重なこの瞬間を大切に楽しみなさい』と言われて、緊張感は高かったけれど、楽しむことを一番に演技することができたので、上手くいったのかなと思います」

 2人が目標に掲げるのは、北京五輪出場。だが、アイスダンスの日本の出場枠は「1」のみ。しかもここまで日本のアイスダンスを牽引してきた小松原美里、小松原尊(ティム・コレト)組がいる。NHK杯にも出場していたから、村元の言うように意識せざるを得ない局面はあっただろう。高橋がたびたび「緊張」と語ったのも無理のない状況があった。

 ズエワはそれらを解きほぐすために必要な言葉を2人に与えた。コーチそして振付師として、長年、世界のトップスケーターをはじめ多くの選手を見てきたズエワだからこそだった。

NHK杯で見せた印象深い演技、ワルシャワ杯では初の表彰台

 同時に、2人への信頼もそこにうかがえる。ズエワはこれまでも2人の豊かな可能性に触れてきた。そして高橋の見違えるように鍛え上げられた身体が象徴するように、2人の努力も見てきた。持てる力を発揮できればいい、そんな信頼感にも裏打ちされた言葉であった。

 結果はコントロールすることができない。ただ、自分(たち)のパフォーマンスは自分たちで変えることができる――その真実にも思いが至る言葉とともに、真摯に努力を積み重ね、そして試合ではやるべきことに力を尽くした末、NHK杯で印象深い演技と成績を残した。

 だが、2人は満足していない。試合を終えた翌日、高橋は言った。

「やっとスタートラインに立てたのかなと思います」

 NHK杯の翌週にはワルシャワ杯に出場。リズムダンスで75.87点、フリーダンスは114.29点、合計190.16点。すべてにおいてNHK杯で出した日本歴代最高得点を更新して2位となり、国際スケート連盟公認大会で初めての表彰台に上がった。

 今を大切に、そしてより高みを目指し、2人は進んでいく。(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ?高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦?』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。