社会人バレーボールを引退し、新たな道へ踏み出した矢先に両下肢麻痺になった小松沙季選手。鬱々としていた彼女はパラスポーツの測定会に参加しカヌー競技に出会う。今年3月から本格的なトレーニングを開始、5月ハンガリーで行われたワールドカップに出場。…

社会人バレーボールを引退し、新たな道へ踏み出した矢先に両下肢麻痺になった小松沙季選手。鬱々としていた彼女はパラスポーツの測定会に参加しカヌー競技に出会う。今年3月から本格的なトレーニングを開始、5月ハンガリーで行われたワールドカップに出場。そこで女子ヴァーシングル(VL2)にて5位入賞し、東京パラリンピックカヌー内定選手に。そして東京パラリンピック出場。前編は小松選手に東京パラリンピックを振り返って頂きました。

――東京2020パラリンピック、本当にお疲れ様でした。大会から1カ月以上過ぎましたが、振り返ってみてどんな大会でしたか。

小松沙季(以下小松):自国開催で「すごく大きな大会だ」というのは分かっていました。残念ながらコロナ禍にあり無観客でしたが、落ち着いていつも通りの感じで大会に臨めました。

――東京2020パラリンピックカヌー競技は、激しい雨の中行われました。そのような状況でのレースは大変でしたか?

小松:4月から合宿が始まり、5月にワールドカップがありました。その後もパラリンピックまでの期間は合宿所で過ごしていましたが、雨に降られることがほとんどありませんでした。梅雨の期間も雨が降らず「雨で練習ができない」などもなかったのに、レース当日に雨が降り焦りもありました。でも手袋を使ったりして工夫しレースを走りました。

――あの時、僕も会場にいましたが、正面から来る雨で大変でしたね。

小松:向かい風で波のコンディションも良くなかったです。

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――その状況の中、9月2日の予選のタイムが1分14秒310。翌日9月3日の準決勝のタイムが1分8秒477と約6秒も縮めたことに正直驚いています。

小松:予選の時、私自身大会の経験が少ないこともあり「早く漕ごう、早く漕ごう」という気持ちがありました。「早く漕ごう」と思うと、その分ピッチをあげて漕ぐ回数を増やしてしまいます。ただ漕ぐ回数を増やしてもパドルを入れる分だけ実質ブレーキになってしまうので見た目ほどスピードが出ない。それを予選でやってしまったので、一度冷静になり準決勝では「一漕ぎ一漕ぎ、しっかり漕ごう」と意識しましたね。

――パドルの回数を多く漕いだからスピードが早くなるわけではない...カヌーって奥が深いですね。

小松:もちろんパドルでしっかり水を掴む技術がつけば、速く漕いでもスピードが出る選手もいます。私の場合、まだ経験も浅いので「しっかり一漕ぎ一漕ぎ」の方が向いていますね。

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――予選では東京2020女子ヴァーシングル(VL2)で金メダルを獲得したエマ・ウィッグス選手と同じ組で走りました。

小松:3月から本格的にカヌーを始めて、YouTubeに世界選手権の動画とかずっと観ていました。その中でエマ選手の動画は本当に画面に穴が開くほど見ていましたね(笑)。ただ5月のワールドカップにエマ選手は不参加。実際に見るのは東京2020が初めてでしたが、ずっと画面で観ていた世界チャンピオンと一緒に並んでスタートを切るのはすごく感慨深いものがありました。

エマ選手は女子カヤックシングルKL2でも銀メダルを獲得しています。私からみれば本当にレジェンド的な存在です。

――小松選手は今年からカヌー競技を始めたそうですが、その経緯を教えていただけますか?

小松:昨年6月、入院している時にスポーツ関係者の方から「測定会みたいなのがあるので退院したら参加しませんか」と応募サイトを送ってもらいました。退院後、タイミングが合い広島会場に参加。簡単な体力測定だと思っていたら「選手発掘事業」でした(苦笑)。会場にはいくつかの競技団体の方がいて声をかけて頂きました。その中にカヌー競技もありました。

ボートや車いすラグビーもあり、最初はどの競技にするか悩みましたが地元高知県にこだわって決めようと思いました。高知県にはカヌーが出来る環境があります。私が選手として活動することで車椅子や障害を持つ人がどんどん挑戦できる環境がさらに整うのではないかと考え、カヌーに決めました。

――地元の方の応援もすごかったですよね。

小松:本当に町ぐるみで応援して頂き、東京パラが終わり帰ってきてからも沢山声をかけていただいて「すごく温かいな〜」と感じています。

――体力測定から東京2020パラリンピック出場まであっという間でしたね。バレーボールをしていた経験が大きいのかと思うのですが..

小松:元々体力はあったかもしれませんが、実際1年間入院していたので体力は相当落ちていました。それに今までバレーをやっていたとしても「下半身が利かない」ことに関しては初めての経験なので、自分の身体を一から知ることから始まりました。

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バレーでの経験が役に立ったとすれば、スポーツ競技に対する取り組み方ですね。当たり前のことですが「毎日課題を見つけ、しっかりやる」とか意識的な部分は活きたと思います。

――カヌー競技を始めてからパラリンピックまでの期間をどのくらいでしたか?

小松:初めて水上でカヌーに乗ったのが今年3月7日なので半年くらいですね。

――半年はスゴイですね。金メダリストのエマ選手と10秒離れていませんでしたよ。

小松:でも0.01秒を争う競技なので、世界で10秒といえばスゴイ差があります。競技を始めたばかりですし、まだまだ自分で潰せる課題はたくさんあるので、その課題をクリアすればタイムが伸ばせる部分はあると思っています。

――予選の走りと準決勝の走りを比べた時、準決勝で小松選手の身体から固さが取れたように見えました。「この走りが予選だったら...」と思ってしまいました。

小松:そうですね。私が出場した準決勝1組は上位3名が1分3秒台でした(小松選手は4位)。準決勝2組は3位の選手が1分7秒台。もし2組の方に振り分けられていたら決勝レースに出場できる可能性が高かったかもしれません。ただ神様から「まだそのステージに行くのは早いよ」と言われている感じはありましたね(苦笑)。

<後編に続く>

小松沙季/コマツサキ 高知県四万十市出身

小学2年からバレーボールを始める。
高校は2010春高バレーでベスト16の高知中央高等学校、2012年は全国さくらバレー選手権でベスト8キャプテン。
大阪学院大学卒業後、ブレス浜松入団。
2019年6月体調を崩し入院、両足と左手に麻痺が残る。
2020年12月パラスポーツの測定会に参加。
2021年3月本格的なトレーニングを開始。パラカヌー海外派遣選手選考会にて2位入賞。
2021年5月パラカヌーワールドカップ出場。女子ヴァーシングル(VL2)決勝にて5位。東京パラリンピックカヌー内定選手となる。