東京五輪で1500mと5000mに初出場をした田中希実(豊田自動織機TC)。世界の選手と比べると小柄ながらも、日本新記録を出すなどしっかりと爪痕を残した。それから約2カ月が経った現在、五輪を振り返るとともに、これから進んでいきたい道につい…

 東京五輪で1500mと5000mに初出場をした田中希実(豊田自動織機TC)。世界の選手と比べると小柄ながらも、日本新記録を出すなどしっかりと爪痕を残した。それから約2カ月が経った現在、五輪を振り返るとともに、これから進んでいきたい道について聞いた。



東京五輪では1500mで日本人初の入賞を果たした田中希実

 東京五輪で最初に出場した種目は5000m。予選では、ラスト300mは着順での決勝進出圏内の4位通過ながら、最後のスプリント勝負で6位に下げると、14分59秒93の自己ベストを出しながらも決勝進出を逃した。

「2019年世界選手権の5000mで、決勝に進めて15分00秒01(当時日本歴代2位)を出した時に手応えを感じられたことで、東京五輪でも5000mが成績を残しやすいのではないかと思っていました。なので、今回の予選落ちは悔しかったし、世界のレベルがすごく上がっているなとも感じました。

 だけど、実力で負けたというよりは運で負けたという気がしています。予選を勝ち抜いた(廣中)璃梨佳ちゃんの組とは、まったく違う展開で落ちたので、力負けしたという気持ちはあまりありませんでした。そこが、すぐに1500mに切り替えられた要因だったと思います」

 その1500mでは、日本新の4分02秒33で予選を通過。準決勝では日本人女子初の4分切りとなる3分59秒19で決勝進出を果たし、決勝でも3分59秒95で8位に入賞と、大会前の予想を大きく上回る大健闘の走りとなった。

 東京五輪に向けて主軸としていたのは5000mだが、昨年の夏から800mや1500mに積極的に取り組んでいた。それは世界で5000mのラスト勝負をするためには、両種目で日本トップレベルのスピードが必要だと考えたからだった。

「1500mは去年、日本記録を出したことで東京五輪の参加標準記録の4分04秒20が見えて、記録が出せなかったとしても世界ランキングで出場権を得られるかもしれないとわかって貪欲になった感じです。卜部蘭さんはずっと1500mで日本人初出場を目指していたので、自分もそれを果たしたかったし、卜部さんとはずっと1500mでライバルとして競い合っていたので、負けたくないという気持ちもありました。お互いに切磋琢磨できたことで、ふたり一緒に出場できたのかなと思います」

 5000m予選敗退後は、周囲の人から1500mに向けて「楽しんで1本走っておいで」と声をかけられたという。だが、逆に「誰も期待していないからこそ、思い切り自分をぶつけ、本領を発揮したい」と田中の心に火をつけた。

「予選で4分02秒33を出せたことで、『まだいける』と思えたのが準決勝につながったと思います。大会前からコーチである父と『決勝に行くには4分切りが必要』と話していたので、準決勝では3分台を出さなきゃいけないとわかっていました」

 予定どおり準決勝で、3分台を出して決勝にコマを進めた。この走りを田中はこう振り返る。

「全力疾走しただけという感じで実感はあまりなかったです」

 続く決勝の舞台でも、積極的な走りをして3分台を再び出すことに成功したが、準決勝よりもタイムを落としたことに悔いが残った。

「『決勝にさえ残れたらあとはボロボロでもいい』と父とは話していましたが、いざ決勝に残って『日本人初の決勝で日本中のみんなが見てくれている』と考えたら、どうでもいい走りをしてはダメだと思いました。最低限入賞はしなければと緊張もしたので、準決勝のようにのびのび走るという部分が少し薄れたのは心残りでした」

 こうして五輪初出場ながらも大会の中で成長を見せた田中は、中学時代から注目されている逸材だった。兵庫県の西脇工業高校を卒業後、実業団には進まず同志社大に進学すると、クラブチームという形で豊田自動織機にサポートしてもらいながら競技を続行する珍しいスタイルを選んだ。

「将来的にはマラソンも走ってみたいと考えてはいますが、中学で走ったのがトラックだったので、"陸上と言えばトラック"というイメージがあって、そこでもっと記録を伸ばしたいという思いがありました。まずは、トラックでいけるところまでいきたいと考えると、駅伝も走る実業団ではトラックを追及しきれないまま、マラソンに移行することになるんじゃないかなという不安もありました。トラックに集中できる環境を作ってくださる方が周りに何人もいたことで、それなら自分のやりたいことにチャレンジしたいとクラブチームでの活動を選びました」

 大学進学は、学んだことを競技に還元している選手がいることを知り、自分もそうしたいと思ったからだという。

「ゼミの石井好二郎先生(スポーツ健康科学部)は、勉強してちゃんと結論が出たことを競技にリンクさせて次の世代に残してほしいと考えていると思いますが、私の場合は今のことをやらないと次が見えてこない性格なので、自分のことで一杯いっぱい(笑)。先生の言っていることもまだ、大会などで結果が出たあとに『あぁ、なるほど』と腑に落ちたりする感じです」

「勉強は苦手なほうですが、陸上競技以外の武器を持っておきたい」と自分の人生を考えた部分ももちろんある。

卒論は70年代中盤から80年代前半にかけて中距離からマラソンまで活躍したグレテ・ワイツ選手(ノルウェー・83年世界選手権マラソン優勝。女子初の2時間30分突破で世界記録を4度更新)のコンディショニングの体調チェックのデータを、自分の実際のデータと比較して有用性を確かめながら、より有効なチェックリストとデータを作り上げることをテーマに考察していく予定だ。

「自分のデータなので万人向けではないかもしれないけど、その一歩ということになればいいのかなと思っています」

 今年、自国開催の五輪という大舞台を経験した田中は、これからは海外の選手をライバルと考え、そんな選手たちからも意識される存在になりたいという思いが湧いてきたという。

「今大会、1500mで強い選手は5000mに出ても強いだろうなということを感じたし、5000mに絞っている選手も1500mを走れば速いんだろうなと肌で感じました。だからやっぱり両種目とも世界に通用する意識を持っていないと、結局は世界から離されてしまうことになる。だからこれからも両立にこだわっていきたいと思っています」

 それを踏まえて、これからの走りについてはこう語った。

「トラック競技を振り返った時に『もうちょっとタイムが伸びたんじゃないかな』と思うのは嫌だから、まずは1500mと5000mを突き詰めたいです。これからは5000mのための1万mも取り入れていかなければいけないと思いますが、まだ自分が会心だと思える走りは1500mと3000m止まりで、5000mではそれができていません。

 そこで自分の取り組みがある程度実ったと思えたら、『1万mを走ったらどうなるんだろう』というのがやっと出てくると思います。ただ父からは来年は800mにも取り組ませたいと言われていて。800mは年齢的にもベストな時期があると思うし、来年は日本女子初の1分台も狙いたいですね」

 五輪後も大きく崩れることなく順調に前へ歩みを進めている。来年以降も今の快進撃が続いて日本人初の道を切り開いていけば、ゆくゆくは800mからマラソンまでの日本記録樹立という夢も広がるだろう。

「同時に日本記録を保持できれば本当にすごいなと思いますが、それができる選手は競技力だけではなく、人間的にも突出した何かがあると思う。そういう人間としての厚みも作り上げないと、運も味方してくれないと思います。福士加代子さんもマラソンでいろいろ試行錯誤しながら、どんどん進化されているという印象を受けたので、私も人間として悟りを開くのが必要かなと思っています」

 彼女の力強い言葉に、今後の活躍を期待せずにはいられない。