東京パラリンピックで2大会連続の銅メダルを獲得した車いすラグビー日本代表。大会から1カ月が経った現在、チーム唯一の女子選手として活躍した倉橋香衣選手はどんな気持ちを抱いているのか。オンライン取材に応じてくれた倉橋選手に、思いの丈を語っても…

 東京パラリンピックで2大会連続の銅メダルを獲得した車いすラグビー日本代表。大会から1カ月が経った現在、チーム唯一の女子選手として活躍した倉橋香衣選手はどんな気持ちを抱いているのか。オンライン取材に応じてくれた倉橋選手に、思いの丈を語ってもらった。



東京パラリンピック・車いすラグビーで銅メダルを獲得した倉橋香衣

── 東京パラリンピック、お疲れ様でした。少し時間が経った今、日本代表の銅メダルという現在地について倉橋選手はどのように感じていますか?

「今も悔しさのほうが大きいです。オーストラリアに勝った3位決定戦よりも、イギリスに負けた準決勝のことをよく考えていますね。前回のリオ大会からの5年間、ずっと『金メダルを獲る』と言ってきて、いろんな人たちの協力を得て強くなったはずなのに、結局届かなくて。うまく表現できないんですが、心が散らかっているというか、人生で初めての気持ちになりました。ただ、"現在地"は結果として受け止めています。東京パラリンピックで戦った5日間は、自分たちができることはすべて出しきったと思えているので。それから、会社の人たちや周りの友人たちが『おめでとう』って言ってくれて、すごく喜んでくれました。その姿を見て、やっぱりメダルを獲れてよかったなと思えるようになりました」

── パラリンピックに出場後、周囲の変化を感じることはありますか?

「『車いすラグビーを見たよ』って言う人が急増しました。車いすラグビーを見たことがなかった友人も『すごいルールがよくできてる競技なんやな』『楽しいな』って言っていて。無観客試合でしたが、テレビなどの映像を見てこの競技を知る人が増えたことがすごく嬉しいです。私は自分から情報を発信することが苦手で、これまでSNSは一切やってこなかったんですが、競技をより知ってもらうひとつの手段やと改めて思ったので、ちょっとだけ考えようと思います」

── 倉橋選手がパラリンピックを通して得た成長と課題については、いかがでしょう?

「成長できたかわかりませんが、私はローポインター(守備的な選手)なのでふだんの練習から味方を生かすためのプレーや助けるプレーを意識していて、今大会はそれを実行できたなと思います。一方で、競っていたり負けている試合の時にみんなの士気が落ちているなと感じたら、いつもならわざとニコッと笑ったりするんですが、準決勝ではそれをし忘れていたというか......。そういう気持ちの面でも、チームにいい影響を与えられるように成長していきたいと思いましたね」

── 前回のリオ大会を制したオーストラリアとは予選と3位決定戦で2度対戦し、世界トップレベルと称されるライリー・バット選手ら相手のハイポインター(攻撃的な選手)の動きを、倉橋選手が何度も阻止したプレーが印象的でした。

「ありがとうございます。新型コロナウイルスの影響で海外チームとの試合は1年半以上できていなかったんですが、日本代表には池透暢選手や池崎大輔選手ら、ライリーたちに勝るとも劣らないハイポインターがたくさんいるので、合宿でしっかり練習できていましたし、本番で戦術どおりに各選手がプレーしたから勝ちにつながったのかなと感じています」

── 倉橋選手から見た日本代表はどんなチームでしたか?

「ふだんから先輩方が話しやすい雰囲気を作ってくれていて、若手もベテランも関係なく、みんなで言い合えるし、コミュニケーションがとれるチームです。私は率先して意見を言うタイプではないし、できれば本当にしゃべりたくないんですが(笑)。キャプテンの池選手を中心によくまとまっているチームだったと思いますね」

── パラリンピックを最後まで戦い抜いた今、車いすラグビーに対してどんな気持ちを持っていますか?

「やっぱり車いすラグビーは楽しかったです。パラリンピックにピークを合わせるコンディション調整はすごく難しいと、いろんな選手が話しているのを聞いていましたが、私もそれを実感しました。それでも、5日間ずっと『終わってほしくないな』と思っていたし、初戦が始まる前からもう一回やり直したいくらいです」

── 初めての選手村の生活で印象に残っていることは?

「なんか現実から離れた夢の国にいるみたいで、めちゃくちゃ楽しかったですね。私はよく食堂で人間観察をしていました。いろんな障害の選手がいて、外国の選手なんかはスケボーやキックボードに乗って来る人とかがいて面白かったです。脚がなかったら義足や車いす、クラッチ(杖)を使うって思っていたけど、移動手段は何でもいいんやなって思いました。自由に行動している感じが、なんか素敵やなって思いながら見ていました。

それから、選手村では選手同士が同部屋で過ごしたりするんですが、今のチームでは女子選手は私ひとりなので女性スタッフと一緒でした。海外遠征ではいつものことなんですが、パラリンピックの選手村で選手同士の部屋っていうのに憧れを持ちました(笑)」

── イギリスのカイリー・グライムズ選手とは同じ女子選手ということで、話す機会はありましたか? 倉橋選手やグライムズ選手の活躍を見てて、車いすラグビーが男女混合競技であることも広く知られたのではないでしょうか。

「そうですね。カイリーは表彰式の後に『女子で写真撮ろう』と言って来てくれました。嬉しかったですし、女子選手がもっと増えたらいいなと強く思っています。2017年12月に女子選手の強化を目的とする女子選手のみの大会がパリで開かれて参加したんですが、スピードは遅いし、当たる力も弱いけど、みんな『わ~! きゃ~!』って言いながらプレーしていて、すごく楽しかったんですよ。私は負けず嫌いやから、どんな試合でも勝ちにこだわるけど、そのなかでも『私も楽しんでやろう!』って思えた瞬間でした。この経験があって私は車いすラグビーがさらに好きになったので、日本でも女子選手が増えたらもっと楽しくなるかも、と夢を見たりしています。

日本代表チームでは、男女関係なく基本的に同じ練習メニューに取り組みます。ただ、私はがむしゃらにやりすぎて肩の調子を整えるためにチームを離脱したことがあって、自分に合った負荷量も考えないといけないんだと学びました」

── 来年には世界選手権が開催されます。新シーズンに向けての意気込みを聞かせてください。

「自分が今後どうするかはまだ考えている最中ですが、今年4月にクラブチームをBLITZ(ブリッツ)からAXE(アックス)に移籍したので、まずは新しい環境で心機一転、頑張りたいですね。今後の世界選手権やパリパラリンピックについては、「選ばれたら頑張る」のではなく、目指して頑張るとはっきりと決めてから、しっかり取り組んでいきたいという想いが強いです。今は自分の心のなかがまだモヤッとしていますが、日々のトレーニングは継続してコツコツやっているところです。その結果が先につながったらいいなと思いますね」

── 車いすラグビーの魅力をより感じるお話でした。ありがとうございました。

倉橋香衣
くらはし かえ/1990年9月15日、兵庫県生まれ。商船三井所属。中学と高校で体操に取り組み、教員免許の取得を目指して大学に進学後は、トランポリン部に入部。大学3年の時に練習中に着地に失敗し、頸髄を損傷。胸から下に麻痺が残った。リハビリ中に車いすラグビーに出会い、大学復学後にクラブチームBLITZに入団。ケビン・オアー日本代表ヘッドコーチに見出され、2017年に日本代表に選出された。持ち点0.5点(最も障害が重い)のローポインターとして頭角を現し、2018年の世界選手権では日本の初優勝に貢献。初出場の東京パラリンピックでも5試合すべてに出場した。今年4月からAXEに移籍し、新たな環境で練習を積んでいる。