プロテスト5度目で合格、丸山茂樹と同学年の森田徹 国内女子ゴルフツアーでは20歳前後の選手たちが勝利を重ねているが、男子ゴルフでは51歳にして、ツアー初優勝を飾ったプロがいる。森田徹。27歳でプロテストに合格し、49歳までにレギュラーツアー…

プロテスト5度目で合格、丸山茂樹と同学年の森田徹

 国内女子ゴルフツアーでは20歳前後の選手たちが勝利を重ねているが、男子ゴルフでは51歳にして、ツアー初優勝を飾ったプロがいる。森田徹。27歳でプロテストに合格し、49歳までにレギュラーツアーで獲得した賞金額は1842万6125円。一転、今季シニアツアーでは、悲願の1勝を含めて出場10試合で1357万4886円を稼いでいる。丸山茂樹ら同学年のプロは全盛期を過ぎて久しいが、森田は「シニアで自分のピークが来た」と胸を張る。勤務していたゴルフ場からも離れ、自分の腕ひとつで勝負する男の素顔に迫った。(取材・文=THE ANSWER編集部・柳田 通斉)

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 森田はその時間を楽しんでいた。8月28、29日に開催されたマルハンカップ太平洋クラブシニア(静岡・太平洋C御殿場C)の最終日。18番パー5(520ヤード)で2オンに成功し、2パットで念願の初優勝を決めた。レギュラーツアー33勝の倉本昌弘に一時逆転されながらも、再び首位を奪い返す堂々たる戦いぶり。レギュラーツアーでは経験のない優勝争いにも、最後までしびれることはなかったという。

「緊張はしましたけど、楽しい緊張でした。予選落ちを気にしながらの嫌な緊張を何度となく経験してきたもので、この舞台でプレーできることに感謝し、一打一打に気持ちを込めました」

 ゴルフは13歳から始めた。友人から「打ってみろよ」と渡された9番アイアンでナイスショット。それがきっかけだった。そして、高1でアルバイトしていたゴルフ練習場で、後に欧州シニアツアー賞金王になる海老原清治と出会い、プロを目指す指導を受け始めた。海老原の方針で、高校卒業後はアマチュアとして試合経験を積み、初めてプロテストに挑んだのは23歳。5度目の挑戦で合格した時は、27歳になっていた。

「練習ラウンドではツアープロに勝ったりするのに、テストには合格できない繰り返しでした。なので、『これでダメならあきらめる』と決めて5度目に挑んだところ、最終ホールで8メートルのバーディーパットが入って合格しました。自分の中では『2パットでも大丈夫』と思っていたら、カットライン上でした」

ここから始まったツアープロとしての苦労

 努力は報われたが、ツアープロとしての苦労はここから始まった。レギュラーツアーの出場は、デビューの97年に1試合、98年は0試合、99年に1試合。初めての予選通過は、00年日本オープン41位で賞金66万円だった。

「私はテストに合格する前から、ゴルフ場(袖ヶ浦CC)に勤務していて給与を得ていましたし、レッスンで稼ぐこともできました。ただ、周りの方々は私が試合に出て活躍することを願っていましたし、00年の日本オープンで賞金を得た時、『こういうことを重ねていけばシードが取れるのか、自分もそうなりたい』と思うようになりました」

 現実は厳しかった。01~06年の6シーズンで出場13試合。07年は19試合、08年は14試合、10年、12年も10試合以上の出場を果たしたが、トップ10入りはなし。賞金シード権獲得には遠く及ばなかった。

「試合に出続けられたシーズンは楽しかったですし、当時は勤務先から旅費を出してもらっていました。今、思えば、そうした環境に甘えていたのかもしれません。ハングリーさが足らなかったように思います」

 14年に2試合出場。森田のレギュラーツアーのキャリアは、ここで止まった。ツアー予選会は受験するも失敗。18、19年はフィリピンツアーの予選会で出場権を獲得し、数試合に出場したが、予選は通過できなかった。その状況下、シニアツアープロとして活躍するビジョンを立てていた。

「もう、シニアで勝負するしかないと思って準備をしてきました。ただ、50歳になった19年に受けた20年ツアー予選会は調子が悪すぎて失敗し、20年に受けた21年ツアー予選会で16位に入って、ようやく試合に出られるようになりました」

勤務していたゴルフ場を離れ、練習時間を確保

 ツアープロとしてのリスタート。今季シーズン入りする直前、森田は長く勤務した袖ヶ浦CCを離れることにした。プロとして練習時間を確保し、本気で上を目指すための決断だった。そして、出場2戦目のノジマチャンピオンカップ箱根で8位とトップ10入りを果たした。その後は上位に入れない試合が続いたが、マルハンカップ太平洋クラブシニアでは、第1日で6アンダーの首位スタート。このワンチャンスを生かして、優勝カップを手にした。

「反響はものすごいです。袖ヶ浦CCの方々、しばらくぶりの人からもたくさん連絡をいただきました。海老原さんに連絡したら、『お前、よくやったな~』と言ってもらいました。それは本当にうれしかったです」

 この1勝で、来季いっぱいのシニアツアー出場権は得た。一方で危機感も抱いている。

「来季になれば、横尾(要)、宮本(勝昌)、久保谷(健一)といった実績のあるプロもシニアツアーに参戦してくると思います。その中でいつまでやれるのかという思いもあります。彼らと戦えるのは幸せなことではありますが」

 不安を解消するのは練習しかない。決めているのは、「クラブは毎日振る」「トレーニングはしない」だ。

「ゴルフの調子は、いつどうなるか分からないものです。例えば、優勝した次の試合ではドライバーショットのイメージが湧かなくて、飛距離が50ヤード近く落ちたホールもありました。そうした状況を少しでも減らすにはクラブを振っていくしかない。海老原さんから教えてもらった竹ぼうきを振る練習も、体全体を使ったスイング感覚を維持するために、たまにやっています。トレーニングについては、クラブを振っていれば十分なので一切やりません。この年齢で無理してやっていくとケガにつながります。今の私にとって大事なのは、コロナにならないこととケガをしないことですから」

危機感を抱きながら広がる夢「全米シニアに出たい」

 しぶとく続けてきたツアープロ人生。「ゴルフをやめたいと思ったことは?」と聞くと、森田は「それはないです」と即答し、こう続けた。

「嫌になっても、ゴルフしかやっていないからやり続けるしかない。それに、『あきらめたら終わり』という思いでやってきて、自分のピークがシニアだったという感じです。あきらめなくて良かったですし、フィリピンツアーも含めて、この歳になって挑戦し続けられる自分は幸せ者。これまで結果を出せない中、応援してくれた全ての方々に感謝していますし、それがなければ今回の優勝もありませんでした。その恩返しの思いも込めて、もう一花、二花を咲かせられるように精進します」

 今後の具体的な目標は、全米シニアなどの海外メジャー大会出場権を得ることだ。

「年間賞金ランク10位以内(現在11位)に入れば、希望者2~4人に出場資格が与えられるので、チャンスが回ってくるかもしれません。そのためにも、早くもう1勝したいです。シーズン終了後の(男子、シニア、女子ツアーの代表選手が出場する)3ツアーズ選手権にも出てみたいです」

 遅咲きゴルファー森田徹。この先にもピークがあると信じて、あきらめず、しぶとく歩んでいく。

■森田徹(もりた・とおる)

 1969年(昭44)12月17日、千葉・成田市生まれ。成田高卒。27歳でプロテストに合格し、チャレンジ(下部)ツアーでは06年に賞金ランク4位に入っている。かつてはショット頼りのプレーだったが、戦いを重ねる中で「ミスをしても耐えてパーを取るゴルフ」が得意になったという。シニア転向2年目の今年はツアーを転戦しながら、「千葉チャンピオンシップシニア」と題したプロアマの大会を3度開催。試合への出場機会に恵まれないプロに競技の場を与え、アマにはプロと回れる機会になり、好評を得ている。168センチ、65キロ。血液型B。(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)