女性の台頭が難しかったモータースポーツ界で、井原慶子氏はなぜレーサーとして成功できたのか。今後、日本の”自動車産業やモータースポーツ界に女性が参画することの意義とは。そして、女性が活躍するためには何が必要なのか。3月16日東京アメリカンクラ…
女性の台頭が難しかったモータースポーツ界で、井原慶子氏はなぜレーサーとして成功できたのか。今後、日本の”自動車産業やモータースポーツ界に女性が参画することの意義とは。そして、女性が活躍するためには何が必要なのか。
3月16日東京アメリカンクラブにて、アジア女子大学によるファンドレイジングイベントが開催され、ゲストスピーカーとして井原慶子氏が登壇した。そこで、アジア女子大学が掲げるミッションの一つ「女性のエンパワーメント」に因んだインタビューを行った。
井原慶子氏(以下敬称略):私はレースデビューを日本でしましたが、日本での活動は一年間だけでした。その後は海外にいました。なぜなら、一年日本国内でレースをしていて「あぁ、女性は活躍できないんだな」と悟ったからです。結果は残しましたが、それでも、女性が活躍するにあたって、非常に大きな壁があると感じたのです。
----:「壁」というのは具体的には何を指すのでしょうか。
井原:“これ以上、上に行かせない”という圧力がかかったのです。そうはっきりと発言される方もいらっしゃいましたし、遠回しにも、私が上に行かせないための圧力がかかったように思います。今まで自分が生きてきた中では、全く想像もしなかったようなことを、その時に体験しました。これまで私は世界70ヶ国程をまわってきましたが、このようなことは、日本に特有のことだと感じています。
しかし一方で、海外では全然環境が違いました。結果を出せば素直に受け入れてもらえる。そして次のチャンスをいただくことができ、ステップアップすることができました。
----:その環境の全く異なる海外で、例えばWEC世界耐久選手権及びルマン24時間レース参戦し日本人初、世界女性初の入賞を果たすなどの結果を出されています。日本に帰って来たとき、「上に行かせない」ようにされていた方々はどのような反応だったのでしょうか。
井原:いろんな人が“俺が育てた”と言っていましたね。私を批判していた人も含めて。でも、それはすごい良いことだと思っています。私が世界に出たからこういった実績をつくれたとは言いますが、それを支援してくれたのは日本人であり、日本の企業ですので。
最初から応援してもらえない人にも、地道にコミュニケーションをとっていくと、応援してもらえるようになったことはあります。ですから、はじめは明らかに潰そうとしている人にも、自分から積極的にコミュニケーションをとって、理解を得て、逆に応援してやろうという気持ちになってもらえるような雰囲気をつくることは大切だと思います。
ただ、私が日本に帰ってきて最も驚いたのは、私が日本で活動していた17年程前と、2016年の今の日本の状況が何も変わっていないということです。世界のなかで時が止まっていたんだなと感じました。
例えば、現在私が育成している女性ドライバーの一人は、デビューから半年程で、10年、20年もの経験のある男性ドライバーを追い抜いてしまったんです。その結果は数値として出て、ランキングで差が明らかになりますよね。すると、それまでは「いいね、かわいいね」と言って、積極的に応援してくださった人々の態度が、豹変しました。自分と同じレベルや、自分よりも上の結果を出すようになった瞬間に、いきなりその女性ドライバーの環境は変わってしまいました。彼女を育成するプロジェクトを終わらせるような圧力もかかりました。
こういったことは、自分が後進を育成していなかったら、気づくことはなかったと思うんです。なぜなら、私自身の状況は変わっていますので。今では周囲の人たちは、私に対して「すごいね」と言って応援してくださる。ただ、後進を育成しはじめると、振り出しに戻った感じがします。これからレースをはじめる女性達の置かれている環境は、昔から何も変わっていないことに気づきます。
もちろん、ここ数年は女性活躍の風潮があるので、少しは変わってきていると思いますが、それでも女性の活躍を妨げるような風潮が、特に自動車産業、技術産業にはまだまだありますね。
----:この風潮を変えて、女性も活躍できるようにするためには、どうすればよいと思われますか。
井原:理解者を増やすことが大切だと思います。そうしながらムーブメントをつくるのが一番早いとおもいます。ムーブメントがあったら、それまでは全然「女性の活躍」に興味のなかった人や取り組んでいなかった企業も、“とりあえずやらなきゃいけないか”という感じで、協力してくださるかもしれないわけですよね。
だから「女性レーサーを育成する」という様な、話題性の高い尖ったプロジェクト等を口火に、ムーブメントを興していくことが大切だと思っています。
----:現在井原さんが具体的にされているのは、どのような活動でしょうか。
井原:“Women in Motorsport”プロジェクトを展開しています。日本でも、自動車産業やモータースポーツ業界で、女性が活躍することを推進することを目的にしています。FIAという国際自動車連盟が、2009年に提唱しはじめた活動で、私が世界最高位をとったことから、このプロジェクトの全世界の女性ドライバー代表に指名されました。こういった活動を機に、ムーブメントを興していくことに貢献したいと思っています。
やはり、今の日本の“風潮”を変えるためには、一企業という規模ではなくて、組織横断的に、国全体で女性活躍に向けた活動を起こす必要がありますので、私も昨年から現在にかけて、自動車メーカーをはじめとする各組織をまわって協力を呼びかけているところです。
----:協力を呼びかけに、企業等を訪問された際、お相手の反応はいかがでしたか。
井原:はじめは面倒くさい、という感じでした。でも、マツダさんが賛同してくださったことにはじまり、徐々にいろんな方々が賛同くださるようになったように思います。
----:賛同に至った決め手は何だったのでしょう。
井原:“女性”の活躍というよりも、モータースポーツでいえば、世界一を目指すというレベルではなくても、単純に車に乗って愉しむ方を増やすような、広い層を巻き込むことができることに魅力を感じていただいたように思います。プロジェクトを通じて、自動車に関わって仕事をする人が増える可能性があるという点で価値を感じて賛同されたのではないでしょうか。
なお、マツダさんのケースでは、女性のお客様も重要だということで賛同くださったのだと思います。女性の気持ちを理解したモノづくりができてこそ、女性が購入したくなる車をつくることができますので。
----:いままで井原さんをはじめとする女性の方々が、自動車産業やモータースポーツの世界に与えた影響、また今後与えうる変化の可能性について、どのようにお考えでしょうか。
井原:それはすごく大きいなと思っています。日本では、やはり基幹産業が自動車産業であり、自動車産業は裾野が広く、日本人の10人に1人と言われる程、多くの人が関わっていますよね。これと同時に言えることとして、日本の自動車産業自体が、このままの規模を維持・発展していくことは簡単ではないと思っています。
今の日本人に「日本の自動車メーカーが一社もなくなるようなことがあるか」と尋ねたら「ない」と答えるでしょう。ただ、私はそんなことは無いと思うのです。
かつてイギリスからジャガーやロールスロイス、ベントレー等、世界の人々が憧れる自動車を生み出してきた英国自動車メーカーは、今では一社も無くなってしまったように (モーガン等の、高級自動車の受注生産する高級自動車メーカーは除く。一般的乗用車を大量生産する自動車メーカーにおいて)、栄枯盛衰のビジネスの世界で、そんな簡単にずっと生き残ることはできないと考えています。
こういった認識のうえで、今後自動車産業が生き残り、発展していくためには、従来とは全く異なる、製造業のサービス化や、モノづくりのスタイルの変革等の取り組みを進めていくことが必要になると考えられるのですが、それは今、自動車産業にいる人材だけでは、実現できないと思います。
したがって、新たな視点を採り入れるという意味で、女性のみならず、外国人の方なども含めて、いままで雇ったことが無いような人たちの視点を採り入れていくことが必要であり、国境を越えて多くの人々を支え、そして支えられている自動車産業が、今後も生き残るために大変重要だと思っています。
井原慶子氏《撮影 Martin Hladik》
井原慶子氏《撮影 Martin Hladik》