「ちょいと一杯」がお好きな方なら「ホッピーミーナ」さんをご存知の方も多いだろう。ニッポン放送でオンエアされている『看板娘ホッピーミーナのHOPPY HAPPY BAR』はこの7月で放送4,000回を迎…

「ちょいと一杯」がお好きな方なら「ホッピーミーナ」さんをご存知の方も多いだろう。ニッポン放送でオンエアされている『看板娘ホッピーミーナのHOPPY HAPPY BAR』はこの7月で放送4,000回を迎えた長寿番組。「ミーナさん」の愛称はすっかり定着しているものの、この方はホッピービバレッジ代表取締役社長・石渡美奈さん、その人である。

彼女がスーパーGT「HOPPY Team TSUCHIYA」の「共同オーナー」である点をご存知の方はそう多くはないのではなかろうか。

日本でもっとも人気あるレースカテゴリーでホッピーロゴのマシンが走り回る様は興味深いものの、なぜホッピービバレッジがGTをスポンサーし、さらに「オーナー」という立場でレースに関与しているのか、そんな謎を解き明かすため、ミーナさんご本人を直撃した。

■跡取り同士の冗談から「共同オーナー」へ

ホッピービバレッジ本社にて 撮影:SPREAD編集部

きっかけは当時まだ現役のレーシング・ドライバーだった土屋武士さんとの出会いだった。つちやエンジニアリングは武士さんの父・春雄さんが立ち上げたレース企業。ホッピーはミーナさんの祖父・秀さんが立ち上げた飲料メーカー。双方ともに独自路線を歩む、独立系企業の跡取り同士とあって、意気投合することになった。

とは言え2003年にスタートしたのはあくまでパーソナルスポンサーという協力関係。「ホッピー」という小さなワッペンが武士さんのユニフォームに表示されるに過ぎなかった。しかし、つちやエンジニアリングは経済難もあり09年に活動を停止。一方で武士さんは活動休止中の10年より、自身でレーシングチームを新規で立ち上げ参戦を継続。この粘りが実ってか、15年にはつちやエンジニアリングを復活させスーパーGTに再参戦を果たした。

18年からはホッピービバレッジがメインスポンサーとなり、ついに「ホッピーカラー」桜色のマシンがサーキットを走るに至った。そして20年、Wオーナー体制としての新しい取り組みが始動した。

「きっかけは共通の友人からの紹介でした。当時、武士さんはワークスのドライバーでしたが、彼はレース企業、私は飲料メーカーの同じ『跡取り』という立場があり、お互いを理解し合える点が多々あると感じました。人と人とのつながりだけ。見返りを求めていたわけでもない。『いつかはオーナーになってミーナ号を走らせよう』などとノリで語っていましたが、こんなにも長いご縁になるとは思ってもいませんでした」。

ミーナさんは特にクルマ好きというわけでもなかった。スーパーGTとは何か、スーパーフォーミュラとは何かも知らなかった。当時、ミーナさんはホッピービバレッジにおいて副社長という立場、社長は父・光一さんだった。

「もともと父は『やってみなさい』と言わんばかりにやらせてくれるタイプでしたので、特に反対はありませんでした。むしろ父はクルマが大好きでしたし、武士さんのことも可愛がっていました」。

こうして、「土屋武士のドライバー日本一を応援する」、ホッピービバレッジによるサポートがスタートした。

■「気づいたらレースに呼ばれていた」

サポートを続けるにつれ、次第にレースに惹かれるようになった。「気づいたらレースに呼ばれていた」と振り返る。

小さなサポートにもかかわらず、一年が終われば武士さん本人が毎年の戦績をまとめた手作りのブックレットを必ず持参し、年間の活動を丁寧に説明してくれた。彼はホッピービバレッジに対して感謝の気持ちを常に表わしていた。そのような点からも信頼度は年々高まっていった。

しかし、つちやエンジニアリングの活動は08年に経済的理由から一旦停止となった。「私も跡取りですから、事業の行く末は丁寧に説明されなくてもすぐに理解できました。ただし武士さんはレース界に必要不可欠な方なので、必ずレースに戻るだろうと考えていました」。

ミーナさんの見立てどおり、武士さんは10年から個人チームでレースに復帰。ホッピービバレッジは創業100周年を機に、ミーナさんが3代目代表取締役社長に就任した。また、つちやエンジニアリングも15年にスーパーGTに復帰した。そのような中、サポートのきっかけとなった武士さんご本人は、未だ日本の頂点に立つことができずにいた。

かつて総合優勝をとげた「ホピ子」の雄姿 提供:HOPPY team TSUCHIYA

16年夏、武士さんから「後進の育成のために引退する」との相談を受けた。実は、この頃までにミーナさんの中で「私がサーキットに応援に行くと勝てない」というジンクスが出来上がってしまっていた。

引退話を聞いた直後、「このまま行くと、今年はドライバーズチャンピオン獲得かもしれない」と耳にし始めた。やはり、武士さんがチャンピオンを取れないままでは、後進の育成などチームのためだけではなく、レース界にもあとを引くのではないかという想いが過ぎった。「現役に思い残すことなく、悔いのない一年にしたいだろう」と。

そして、ついに最終戦のもてぎ、このレースに勝てば年間チャンピオンという日がやって来た。このレースで実質の引退……そう思うと、ジンクスよりもやはり最後に声援を送りたいのが人情だ。

レース当日、ホッピービバレッジの本社がある赤坂に、観戦に向かうバスが到着。しかし、そのままバスの出発を待たせて1時間も逡巡、決断ができなかった。「私が行くと優勝できないかもしれない……そう思うとふんぎりがつかなくて(苦笑)」。

それでも最後は観戦を選んだ。もてぎに足を運んだものの、今度はレース展開にはらはらし、居ても立ってもいられない。見ていられず、場内のレストランへ。験担ぎのために「勝つ」カレーとクリームソーダをオーダーし、黙々と食べ始めた。

当時を回想するミーナさん 撮影:SPREAD編集部

「実は社員の間でも私の小食は有名で、それがカツカレーを「私に話しかけないで」というオーラを出しながら一心不乱に食べるものですから、社員たちもびっくりしたそうです」。

レース中盤、意を決してパドックに戻ったところ、武士さんは2位につけていた。その後あれよあれよという間に、優勝! 武士さんは、なんと引退シーズンの最終戦で、念願のチャンピオン獲得を果たした。

土屋武士・松井孝允組/ VivaC team TSUCHIYAはドライバー/チームとしてスーパーGT300クラスでWチャンピオン。武士さん引退の年に、個人としては初めてのタイトル獲得。ホッピービバレッジは微力ながら、まさに日本一になるまでをサポートできたわけだ。

◆【インタビュー後編】「人生の縮図」レース沼にはまった石渡美奈Hoppy team TSUCHIYA共同オーナー 独立企業、跡取りたちの戦い

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著者プロフィール

松永裕司●Neo Sports General Manager

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ マイクロソフトと毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Director of Sportsなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークとアトランタで過ごし2001年に帰国。