東京五輪で体操個人総合と種目別・鉄棒で金メダル、団体で銀メダルを獲得した橋本大輝 初出場の五輪で体操男子個人総合を史上最年少で制し、種目別鉄棒でも優勝して2個の金メダルを手にした20歳の橋本大輝(順天堂大学)。五輪から1カ月以上が経った9月…



東京五輪で体操個人総合と種目別・鉄棒で金メダル、団体で銀メダルを獲得した橋本大輝

 初出場の五輪で体操男子個人総合を史上最年少で制し、種目別鉄棒でも優勝して2個の金メダルを手にした20歳の橋本大輝(順天堂大学)。五輪から1カ月以上が経った9月上旬のインタビューで、その快挙を冷静に振り返った。

「前回の2016年リオデジャネイロ五輪で日本は団体と個人総合で金メダルを獲っていたから、僕らも同じようにしたかったし、両方で金メダルを獲れると思っていました。初出場でも、『初めてだから』というのは言い訳になる。今回の団体代表に選ばれた4人はみんな初出場だったけれど、試合をすること自体は同じだから初出場なんてことは放っておいて......。僕たちのなかでは『日本で一番強い4人が出るのだからそんなことは言ってられないよね』と思っていたし、むしろ3人は世界選手権で代表も経験していたので、『五輪だからこうしなくてはいけない』というのもなく、ふだんの試合と同じような気持ちで挑めました。僕自身も五輪というのは特別な場だとは思うけど、試合になれば特別だとは思わなかったし、練習どおりにやるだけだと考えていたので。緊張はあったけど余計なプレッシャーは気にせずできました」

 その自信は万全な準備ができ、今までにはない仕上がりだと確信していたからこそのものだった。国内大会とは違って合宿もあり、しっかりと準備ができた。また、水鳥寿思監督が対戦相手のデータを分析し、それぞれの選手の目標値も明らかにしてくれた。橋本は言う。

「(水鳥監督が)『ここを押さえておけば勝てるから、ここはこうしたほうがいい』といった話をしてくれたり、細かなことを全部準備してくれたので、僕たち選手はしっかり演技ができるように集中するだけでした。選手との距離も近くてすごくやりやすかったし、僕らからしたら本当にチームのメンバーのひとりとしてとらえられていた気がします」

 そして、大舞台へ向けた準備についてこう続けた。

「合宿では試合形式の練習が何回もあったので、そういうなかでも自分は会場の雰囲気を予想し、一つひとつの演技に集中するような準備をしていました。もし自分の前の選手が失敗してケガなどをした時に、自分の精神的な負担はどうかかるかとか、雰囲気はどうなるかというのも想定したり。試合で『自分の演技』をするのが一番難しいことだと思うけど、さまざまな状況のなかで精神面にどう負担がかかってくるか想定し、いろいろな負担を大きくかけて『これくらいだったら大丈夫だろう』と考えて練習をしていた。そうした準備は十分にできていたので、本番でも自分の演技に集中できたのかなと思います」

 チームとして目標にしていたのは団体金メダルだった。結果は銀メダルに終わったが、橋本は「やりきった感がすごくあった」と話す。そのため、中1日で行なわれた個人総合に向けては、「体力的にも精神的にもきつく、明日試合をやるのか」とネガティブな気持ちになったという。それでも、いざ試合になると集中でき、目標の金メダルに向けて「たぶんいけるだろう」と前向きになった。

 心と体の準備ができていたからこそ、予選で内村航平がミスをして決勝進出を逃したことにも動揺しなかった。

「僕も代表選考会の最初の試合では3回ミスをしてしまいましたが、体操はふだんの試合から何が起きるかわからない。五輪はもっとそういう(予想できない)ことが起きる場所だと考えていたし、内村さんのミスに影響されて僕らが団体で全然ダメだったら僕ら的にも内村さん的にも悔しいので。僕らは集中して、内村さんからいろいろアドバイスされたことを生かしてやっていくしかないとの思いでした。

 自分として本当にやりきれたと思うのは、団体決勝の最後の鉄棒でした。鉄棒は一番失敗しやすい種目だけど、僕のなかでは自信があって。あの時は僕の演技にメダルの色がかかっていて、失敗すれば銅で成功すれば金か銀という状況だったけど、記録よりも記憶に残る演技をしようと決めていた。だから最後はメダルの色は関係なく、やってきたことのすべてを出しきる気持ちで挑み、本当に完璧な演技ができたと思います。それが五輪の一番の成果だったし、他の選手も自分の役割を果たして18演技をつなげることができた。金メダルは逃したけれど、それだけ準備してきた練習の成果を出せた試合だったと思います」

 橋本は高校3年の時、19年世界選手権に出場しているが、そこからの進化は目覚ましいものがある。各種目のDスコア(技の難度点)の6種目合計は、世界選手権時点では34点台だった。だが、20年全日本選手権では35.8点にし、21年4月の全日本選手権では世界トップレベルの36.6点まで上げた。19年世界選手権で、Dスコア36.4点の合計88.772点で優勝していたニキータ・ナゴルスキー(ロシア)に肉薄する合計88.532点を出すまでになっていたのだ。

 その進化について、橋本自身は「自分自身が世界のトップに立ちたいという目標があったので、いろいろ試行錯誤してやっていました」と話す。体操は練習でもケガのリスクがつきまとう競技。ケガを未然に防ぐために、自分で「ここまですればケガをする」という基準を作り、体の反応や疲労度をしっかり把握し、質の高い練習を着実に積み上げてきた。

「今年の冬は体が痛いとか重い日が続くことがあったけど、そういう時はなるべく感覚的な練習を多めにして体の負担を減らしたり、いろいろできることを探してやっていました。そこはほかの選手も工夫してやっているけど、僕自身も自己管理能力は、この冬で一番強くなったところかなと思います。それがDスコアの上がった要因だと思うけど、五輪前には最高で37.0点を出すまでになっていました。ただ体の故障などいろいろあったので、東京五輪では団体も個人総合も36.6点で臨んだけど、10月の世界選手権は37.0点で挑む予定です。もしそこまで戻せなかったとしても、来年、再来年にはもっと伸ばしていきたいなと思っています」

 来年以降へ向けてはルール改正もあってDスコアの得点基準は変更されるだろうが、今の計算で37.5点を超えるところまではいけると考えている。そんな橋本は今後への思いをこう語った。

「今回五輪チャンピオンになったことで、僕には五輪で3連覇できる可能性も出てきたと思います。それは前人未到だし、世界選手権でも今年から新しい連覇記録を作れる可能性があるので、目標にしていきたい。そのなかで勝ち続けるということより、自分の理想の演技を試合ですることを目標にしていけば、結果は自然についてくるはず。まずはどの試合でも自分のベストを出せるようにしていき、それを継続して3連覇のためにも、パリ五輪では個人総合と団体の金メダルを獲りたいです」

 東京五輪後の第一歩となった9月上旬の全日本学生選手権でもきっちり優勝して連覇を果たした橋本。

「インカレも絶対に優勝できるぞと思っていたし、さらにここから誰も達成していない4連覇を絶対に成し遂げたい。これから金メダリストとして勝ち続けていかないといけないし、周りからもそう言われるだろうけど、僕は負けるつもりもない。ちゃんと勝ち続け、いろいろな記録を作っていきたいと思います」

 そんな橋本の理想の体操とは。

「理想は37.5点じゃないかもしれないし、DスコアやEスコアの出来栄えなのかわからないですけど、僕自身の直感で『今日の演技はよかった』と思えるような試合を繰り返していくことだと思います。そのためにも大きな試合の前にはケガをしないことだけを目標にやっていければと考えています」