父は公務員、母は看護師、岩井ツインズの歩みに迫る 19歳の岩井ツインズ。今、女子ゴルフ界に新風を吹き込んでいる姉妹だ。今月、妹・千怜(ちさと)と姉・明愛(あきえ)でステップ・アップ・ツアー2試合連続優勝。ルーキーながら国内ゴルフ史上初の快挙…

父は公務員、母は看護師、岩井ツインズの歩みに迫る

 19歳の岩井ツインズ。今、女子ゴルフ界に新風を吹き込んでいる姉妹だ。今月、妹・千怜(ちさと)と姉・明愛(あきえ)でステップ・アップ・ツアー2試合連続優勝。ルーキーながら国内ゴルフ史上初の快挙を成し遂げた。父は公務員、母は看護師の一般的な家庭に育った2人だが、どうやって優れたフィジカル、技、メンタルを手にしたのか。その歩みに迫った。(文=THE ANSWER編集部・柳田 通斉)

「えっ、袖をまくるんですか」(明愛)。「私はそんなにないですよ」(千怜)。2人は照れながらも、求めたポーズに笑顔で応じた。隆起した右上腕の筋肉(力こぶ)、広い肩幅、がっしりした足腰……。ルーキーとは思えないフィジカルに感心していると、傍らで父・雄士さんと母・恵美子さんが目を細めていた。

 双子の明愛、千怜は2002年7月5日、埼玉県川越市で生まれ、すくすくと育った。3歳の頃には、近所の公園を走り回っていたが、2人の足の速さに気づいた雄士さんは、恵美子さんにこう伝えていた。

「もしかして、俺たちはとんでもない子供たちを持ったかもしれない」

 その思いは、娘たちが小学生になってさらに強くなった。1年生の持久走大会で2人はスタートから抜け出し、学年で1位(明愛)、2位(千怜)になったからだ。

「それも、2人でぶっちぎり。そのまま6年間、ワンツーフィニッシュでした。低学年の頃は、明愛が1位でしたが、5、6年は千怜が1位。2人とも負けず嫌いで、ものすごく張り合っていました」(雄士さん)

「よくケンカしながら走っていました。『足音がうるさい』『もうちょっと離れろ』とか言って(笑)」(恵美子さん)

 雄士さんは、その能力を生かそうと考え、小1から地域の陸上クラブに2人を入れた。夏は短距離、冬は長距離。走り込みを続け、千怜は当時のことを「このまま、陸上で生きていくと思っていました」と振り返る。だが、雄士さんが「お父さん、ゴルフの練習に行くけど、一緒に行くか」と発したことで、2人の運命は変わっていった。

通い始めたゴルフ練習場「ありがたかった」ボール代無料

 元気いっぱいの2人は、雄士さんのクラブを懸命に振った。楽しくて、楽しくて、雄士さんが「今度のクリスマス、サンタさんに何をお願いする?」と聞くと、「自分のゴルフクラブ!」と声をそろえた。すると、クリスマスの朝、枕元には2つの小さなゴルフバッグ(明愛はブルー、千怜はピンク)が置かれていた。「やったー」。飛び上がって喜んだ2人が、10キロ離れたリンクスゴルフクラブ(毛呂山町)に通う日々が始まった。

「ありがたかったのは、この練習場のボール代が小学生は無料だったことです。それがなければ、通わせられませんでした」(雄士さん)

 コースデビューは小2の夏(10年8月5日)で、スコアは明愛139、千怜162だったが、その後、同練習場の永井哲二プロから指導を受け始めると、メキメキと腕を上げていった。さらに2歳下の弟・光太も加わり、陸上、ゴルフの毎日。本格的に家計のやりくりが始まった。

「まず、私の小遣いが月2万円になりました(笑)。飲みに行くこと、タバコ、パチンコを止めました。でも、子供たちと一緒にいる時間が楽しくて、苦にはなりませんでしたね」(雄士さん)

 そして、雄士さんは子供たちのためにさらに動いた。ジュニア大会で面識のない選手の親、関係者にあいさつし、「ためになる情報」を収集。姉妹が小6秋、リンクスゴルフクラブでヨネックスの試打会が開催されていることを知ると、姉妹を参加させた。その場で2人が披露したショットが、担当者をひきつけた。

「『きれいなスイングですね』から始まり、翌日、競技成績をお見せして、モニター契約のお話をいただきました。それまで中古のクラブを買い替えていたので、ものすごく助かりました」(雄士さん)

 姉妹が中2になると、雄士さんは、中学生、高校生のエリートゴルファーを育成する「チームKGA(関東ゴルフ連盟)ジュニア」の存在を知った。埼玉県ゴルフ協会からの推薦を受け、2人は参加した選考会に合格。翌年には光太も合格した。

「これも岩井家には大きかったです。嵐山CCなど、連盟に加盟しているコースでの練習環境が整いましたので」(雄士さん)

校長先生に交渉して今も使っている「のぼり棒」と「鉄棒」

 岩井家は、トレーニングにおいても「お金をかけずに」を貫いた。小1からの陸上競技練習は継続。中1の時点で頑丈な下半身はできつつあったが、ある選手の親から「岩井さんのお子さんは、下半身の割に上半身がまだまだですね」と言われたことが、気になったという。

「確かに上半身をあまり鍛えていなかった明愛、千怜はドライバーショットが飛ばない方でした。ただ、ジムに行かせるお金はない。そこで思いついたのが、のぼり棒と鉄棒を使った斜め懸垂でした。私なりに研究して、飛距離アップに大事なポイントは背筋だと確信したからです」(雄士さん)

 トレーニングの場所は、子供たちが通った小学校。雄士さんが校長と交渉し、無料で使わせてもらうことなった。

「上り棒の高さは約3.5メートル。私、明愛、千怜、光太の4人で、1人ずつ交代で上がって下りるを計5回、2セットやります。待っている4人はその間、スクワットをやっています。このメニューは今でも続けていて、明愛は足を使わず腕だけで上っています」(雄士さん)

 自宅にはぶら下がり健康器があり、子供たちは時間を見つけては、懸垂トレーニングをし、走りこんでもいる。「トレーニングも練習も気が乗らない時はありますが、やらないと強くなれないので、音楽をかけたりして、自分を盛り上げています」(千怜)

 こうした工夫と努力の成果で、姉妹は実力をさらに伸ばした。明愛は小6で地元サッカーチームに入り、右サイドバックとして活躍。中学でも続けて「なでしこジャパン」を目指すことも考えたが、最終的にはゴルフと陸上の継続を選択。2人とも陸上で埼玉県大会に出場有望選手だったが、高校入学時には、躊躇なくゴルフ一本に絞ることに決めた。

「やっぱり、ゴルフがいいと思いました。小さい頃からやっていて、両親が苦労していたことも知っていたので、ここで止めたら、もったいないという思いもありました」(明愛)

「自分では陸上でインターハイに行けるイメージがありませんでした。でも、ゴルフでは明愛と一緒に日本ジュニアに出られていたので、お互いが打ち合わせなしでゴルフを選びました」(千怜)

 進学した埼玉栄高時代では、ともに数々のタイトルを手にし、コロナ禍で今年6月に延期された2020年度最終プロテストに合格。遠征、ツアー出場などで、家計はさらに苦しくなっていたが、両親にとっては、姉妹そろっての一発合格が何よりもうれしかったという。

「当日はドキドキしていて何も食べられないほどでした。コースの駐車場で待っていて、それぞれが報告に来るたびに号泣しました。本人たちは泣いていなかったのに」(恵美子さん)

「どちらかが通って、どちらかが落ちるなら、どっちも落ちた方がいいとさえ思っていました。でも、同時にスタートラインに立てることになり、安心しました。今後も家族全員が協力し合って頑張っていきます」(雄士さん)

父願う…毎朝復唱した「岩井家4つの教えを大事に」

 2人はステップ・アップ・ツアーで優勝を飾るなど、早くも結果を残しているが、雄士さんは今こそ、幼少期から伝えてきた「教え」を大事にしてほしいと願っている。以下の4つだ。

<1>「困っている人がいたら助ける」
<2>「独りぼっちの子がいたら仲間に入れる」
<3>「やられて嫌なことはしない」
<4>「女の子と小さい子に優しくする」

「小学校時代は毎朝、支度をしながら、『明愛、1つ目~』『千怜、2つ目~』『光太、3つ目~』と振って、言わせていました。4つ目はランダムに当てていました(笑)。子供たちが楽しく学校生活をするための教えでしたが、ゴルファーの前に人として立派であって欲しいので、この4つの『教え』を大事にし続けてほしいです」(雄士さん)

 かつて、宮里藍の父・優さんは「人格を高めるために子供たちにゴルフをさせた」と言い、聖志、優作、藍の3兄妹は、砂浜や赤土グラウンドでの練習を楽しみ、人としても成長した。それに通じる「岩井ツインズ」の歩み。彼女たちの存在がさらに大きくなれば、「お金がかかるからゴルフは子供にさせられない」という概念も変わっていく……。そんな気がする。

〇岩井明愛、千怜(いわい・あきえ、ちさと)2002年7月5日、埼玉・川越市で生まれ、3歳の時に川島町に転居。千怜は中学で、明愛は高校で個人の全国優勝を経験。国内女子ツアーでは、明愛が昨年の日本女子オープン14位、今年5月のパナソニック・オープン3位でベストアマを獲得。プロテスト合格後、千怜はステップ・アップ・ツアーのカストロールレディース(9月3日最終日)で優勝。明愛は次戦の山陽新聞レディースカップ(同19日最終日)で優勝。姉の身長は161センチ、妹は162センチ。弟の光太は埼玉栄高2年で1年時には、日本オープンに出場(予選落ち)。(THE ANSWER編集部・柳田 通斉/ Michinari Yanagida)