「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連…

「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・鈴木明子

 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。元フィギュアスケート五輪代表の鈴木明子さんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、競技に関する話題はもちろん、現役時代に摂食障害を患った経験から、アスリートの健康問題なども語る。

 今回のテーマは「フィギュアスケートのオフシーズン」。9月から本格的に新シーズンの開幕を迎えるフィギュア界。オフシーズンの成果を見せる戦いが始まる。しかし、この数か月をどう過ごしてきたかは見えづらい。今回は、オフシーズンの裏側を掘り下げる。前後編でお届けする前編は、この期間に取り組む新プログラム完成までの苦労、そして最近注目される陸上トレーニングの重要性について。(構成=長島 恭子)

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 9月に入り、フィギュアスケート界は国内外で大会がスタート。いよいよ、4年に1度の五輪シーズンの開幕です。

 競技フィギュアスケートの選手はシーズンごとに、新たなプログラム(以下、新プロ)を滑ります。次のシーズンのプランは、だいたい前年度の年明けには決定。ジャンプの構成を含め、どういうスケートがしたいのか、どんな結果を目指すのかなどの目標から逆算し、プログラムの完成時期や滑り込んでいく期間、出演するアイスショーなどのスケジュールを組んでいきます。

 翌シーズンのプランを描いた後、まず行うのが振付師の予約です。振付師にはそれこそ世界中のスケーターからオファーが行くため、少しでも早く希望の人に打診する必要があります。遅れをとれば、振り付けの完成も遅くなり、結果、大会本番までに滑り込む時間が少なくなるからです。

 この「滑り込む時間」は、プログラムの完成度を高めるうえでとても大切です。

 フィギュアスケートのプログラムは、振り付けができました、ではジャンプと合体してやってみましょうと、ポンっとできるものではありません。最初はジャンプを入れずに通しで滑ってみる。次に、例えば前半と後半に分けてジャンプを入れて滑ってみるなど、段階を踏んで1曲、通しで滑れるようになります。

 さらに、滑ってみて、「ちょっと違うな」「この流れは難しいな」などと感じたら、その都度、修正。フリープログラムであれば4分間ありますが、曲調やステップ、スピン、ジャンプの構成によって、すごく呼吸が苦しいな、めちゃくちゃ脚が疲弊するな、という場面が出てくるので、トライ&エラーを繰り返しながら滑り込み、体になじませていきます。

ジャンプのクセに「テコ入れ」もオフの時期しかできない

 新プロに取り組む一方、スケーティングを磨いたり、ジャンプのクセにテコ入れしたりができるのも、オフの時期しかありません。

 クセの修正は非常に時間のかかる作業で、滑ってきた倍の時間をかけないととれないとも言われます。一般の方も、例えば姿勢のクセを治すことは一筋縄ではいきませんよね。ジャンプを例にすると、減点につながる踏切違反や回転不足を取られやすいクセを修正したい、と考えたら、それこそ五輪シーズンに向けて、4年間かけて取り組んでいきます。

 また、新しいジャンプを跳びたい場合も、オフシーズンの練習が最も重要です。

 跳んだことのないジャンプをシーズン中に取り組むことは、ものすごく難しいチャレンジです。ジャンプとケガは常に隣り合わせ。ですから、オフにトライし続けてきたものの、成功に至らなければ、シーズン中はいったん、練習をストップする場合もあります。

 もちろん、チャレンジを続けることで、翌シーズン、できるようになるという可能性もあります。でも、その年の目標によっては、ケガのリスクを背負って練習を続けるよりも、今、跳べるジャンプの精度を上げる方針にシフトする決断も必要なのです。

 シーズンの目標――例えば、その年の世界選手権の代表を掴むため、今、結果を残すのか。それとも、五輪シーズンに照準を合わせ、トライし続けるのか。競技者としては非常に難しい判断ですが、自分とコーチの考え方や目標によって、その選択は変わってきます。

 さて、コロナ禍に見舞われた昨年から、世界のトップスケーターがリンク上だけでなく自宅や陸上で行うオフアイストレーニング(以下、陸トレ)の様子をSNSで配信するようになり、ファンの間でも話題になりました。

 体幹トレーニングや筋力トレーニング、バレエやダンスレッスンといった陸トレもシーズンオフに力を入れるトレーニングです。

 スケートの技術は氷上で滑らないと身に付きませんが、陸トレは技や体の使い方の精度を高める補強トレーニングになります。例えば、股関節の使い方や柔軟性を上げることは、スピンの質を高める、バリエーションを増やすことにつながりますし、筋力アップはスケーティング時のポジションを維持する、ジャンプをより高く跳ぶことなどにつながります。

補強トレが重視される背景に「多回転&多種類ジャンプ時代」

 陸トレの比重や位置づけは国やチームによって、まったく異なります。日本の場合、氷の上で行うトレーニングの比重が比較的、大きいと感じますが、所属するリンク環境によっても変わります。選手一人ひとりがリンクを使用できる時間が限られる場合は、補強トレーニングに時間を割く場合もあるでしょう。

 それこそ、私の競技選手時代は、持久力も氷上のスケーティングで養うことが当たり前でした。同じ30分間を費やすのであれば、陸上を走るよりもパワースケーティングを行うほうが、スケートに必要な体幹や脚力も鍛えられるため、一石二鳥と考えるからです。

 補強トレーニングが重視されるようになった背景には、多回転、多種類のジャンプを跳ぶ時代になった影響が大きいと思います。

 3回転であれば、特に若い選手はとにかく何回も数を跳ぶことで、どんどん体に染みつき、跳べるようになります。ですが、4回転ともなると、着地の衝撃など、一回一回、体にかかる負担もすごく大きい。結果、回数を跳ぶという練習方法ではケガのリスクが非常に高くなってしまいます。

 4回転は体への負担を考慮し、本数を限って練習する選手も少なくありません。それに付随して、陸トレである程度体を作っていくことも必要になり、コーチやトレーナーも、柔軟に、センシティブに選手の体を見ながら対応するようになってきているのだと思います。

 フィギュアスケートは、常にケガと隣り合わせである競技です。近年はトレーニングの研究が進み、現場でのトレーニング常識も目覚ましく変わっていると感じます。様々な科学的根拠に基づいたトレーニングにより、怪我をせずとも体を追い込めるようになっていくことで、選手たちが最も苦しむ、ケガのリスクが減っていくことを願っています。

(19日掲載の後編へ続く)

■鈴木 明子 / Akiko Suzuki

 1985年3月28日、愛知県生まれ。6歳からスケートを始め、2000年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。翌年、初出場となったバンクーバー五輪で8位入賞した。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、講演活動に力を入れている。(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。