「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の…

「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里

 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。フィギュアスケートの中野友加里さんがスペシャリストの一人を務め、自身のキャリア、フィギュアスケート界などの話題を定期連載で発信する。

 今回のテーマは「中野友加里と子育て」後編。2015年に一般男性と結婚し、2児の母になった中野さん。5歳の長男と3歳の長女、「家が破壊されそう」と笑うほど、元気いっぱいな子供たちに囲まれながら、育児と仕事に奮闘中だ。後編では会社を辞めて子育てに専念した経緯、女性の社会進出についての想いを語った。(聞き手=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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――30歳で中野さんが第1子を出産したのは引退後に勤務していたフジテレビ時代。当時はどんな生活でしたか?

「最後の4年間はスポーツ業務部というスポーツ番組の予算を管理する部署にいました。残業もほとんどなく、月1、2回ある残業もスケジュールが決まっていたので、予定を組みやすく、時短で働かせてもらう日々でした。でも、本当に時間がない。朝5時半に起きて、自分の弁当を作って、子供の世話も片付けもして保育園に預け、猛ダッシュでお台場まで出勤するような毎日でした」

――今、子育てとの両立に難しさを感じながら仕事をしている方も多いと思います。中野さんは実体験として、どう感じましたか?

「私は長男が生後7か月の時、フジテレビに復職しました。働くことが大好きで『出産しても働く』と主人にも伝えてしました。生まれる前から保育園も決め、この時期に復職しますと上司に伝え、働く気満々でした。でも、いざ働いてみると、すぐに保育園で熱が出て、迎えに行かなきゃいけない。任された仕事が中途半端になり、他の方に助けてもらうことが何か月か続き、迷惑をかけて申し訳ない気持ちがありました。

 一方で、働くことはすごく楽しかったんです。その時間だけは子育てから離れ、自分の好きな仕事ができる充実感があり、気持ちの切り替えが上手にできていました。私は離れている間に『ああ。今、子供に会いたい』と思うタイプでもありませんでした。だから、仕事に思い切り打ち込む時間ができて、家に帰ったら子供と離れていた分の愛情をすごく注ぐことができる。それは、本当に楽しかったんです」

――何が転機になったのでしょうか?

「どれだけ仕事は充実していても子供と接する時間がすごく短くなってしまう現実はありました。子供はあっという間に大きくなるもの。離れていても、成長してくれるかもしれませんが、やっぱりもっと子供と向き合いたいと思うようになりました。それで、2人目が生まれた時、仕事を辞めることにしました。その時は主人に背中を押してもらいました」

「子供にフィギュアをやってほしい気持ちは?」に対する答えは…

――どんな支えがあったのでしょうか?

「いつ辞めるかという時期の見極めについてです。私は時々優柔不断になってしまうので。すごく好きな仕事で、長く続けてきた仕事。希望した会社で働かせてもらって辞めるのがもったいない、お世話になった方に申し訳なさもある。なので、足踏みしたんです。『でも、それならいつまで経ってもズルズルと引きずってしまうよ』と言われ、決断することができました」

――母になって5年が経ちますが、ご自身のお母さんだったり、周りの方だったり、中野さんの理想の母像はありますか?

「私が子供の頃は、母親が手を上げることもまだ珍しくない時代でした。なおかつ、私はスケートを習っていたので、スポーツをやっていると、余計にぶつかることが多かったです。今はもう手を上げることが許されない時代になっている。本当は菩薩のよう子供に対して温かい目で見守るのが理想ですが、現実問題はそうはいきません。

 幼稚園の先生のように上手な声がけができればいいなと思います。なので、理想としては幼稚園の先生。私は感情的な言葉になってしまうことがあるので、その分だけ褒めてあげてはいますが、もっと話し方や伝え方も学びたいと思っています。先生方は接し方が上手なので、(両親とは異なる)第三者の目として見られる良さもあると感じています」

――子育てをやっていて、喜びを感じる瞬間はどんな場面ですか?

「やっぱり笑っている時ですね。子供が笑わなくなったら家庭にとって良くないこと。家の中でも、いつもゲラゲラ笑っているので、そういう当たり前の日常がうれしいです。今、こんなご時世なので外にも出かけられず、子供も私自身もストレスがたまりがちですが、笑顔が見られ、健康で過ごせればうれしいです」

――お子さんに対する深い愛情を感じますが、母としてどんな人に育ってほしいという願いを持っていますか?

「他者への思いやりのある、感謝の気持ちを忘れずに常識を持った人に育ってほしい。すごく当たり前ですが、当たり前のことほど本当に難しいと感じます」

――よく聞かれると思いますが、お子さんにフィギュアスケートをやってほしい気持ちはありませんか?

「私は個人競技だったので、協調性というものを知らないまま、競技人生を過ごしてきました。なので、できればチームスポーツをやってほしいと思っています。仲間意識を持つことができ、夢中になれる競技を自分で見つけ、巡り会ってくれたらいいなと。親としては、その手助けをしたいです。長男は水泳が好きなので、好きなことから見つけていくのもいいと思います」

中野さんが描く今後のキャリア「もう一度、会社に入って働きたい」

――世の中には自分が打ち込んできた競技に夢を乗せ、プレーさせる親もいます。

「私は“1世”にもなれていない存在ですが、“2世”の選手は難しいとスポーツ界ではよく聞きます。特に自分ができた競技は分かりすぎてしまうので、私の場合、考えや想いをぶつけてしまって、子供の重荷になる。そういう負担を感じてほしくないので」

――今は女性の社会進出が叫ばれている時代。中野さんは周りの友人、知人を見て、その意義をどう感じますか?

「私はテレビ局内が一番分かりやすかったです。テレビ局内にいるお母さんたちはすごく働いていました。お子さんを預けて、すぐに復職して。外に出ているので、見られる意識があり、美しく、輝いている方も多かった。それは若く見られる一つの秘訣に感じました。仕事とのオンオフの切り替えがしっかりとできている。そういう姿を見ていると、子育てをしながら働くのは素晴らしいことだと思います」

――セーブされているとはいえ、フィギュアスケートの審判員やYouTubeの発信など、仕事にも熱心に取り組まれています。日常において仕事は価値のあるものでしょうか?

「私は仕事をしている時間は、子供のことは考えないタイプ。一つのことに集中できることは、自分にとって良いリフレッシュになります。そういう時間を持てるだけでも幸せです。もちろん、それがエステや美容院、そのほかのことでもリフレッシュになると思いますが、私にとっては仕事をすることが自分を磨く上での、一つのリフレッシュ法になっています」

――今後の社会と自身のキャリアについて、中野さんとしてはどんな願いを持っていますか?

「私もまだまだ働きたいんです。子供がもう少し大きくなって手が離れたら、もう一度会社に入って、しっかり働きたいと思っているくらい、仕事が好き。特に、今は子育てに対して理解のある会社が増えています。そういう環境がもっと広がって当たり前になってくれればと思いますし、私自身もいつかまたそういう場所で働けたらと思っています」

■中野友加里 / THE ANSWERスペシャリスト

 1985年生まれ。愛知県出身。3歳からスケートを始める。現役時代は女子選手として史上3人目の3回転アクセル成功。スピンを得意として国際的に高い評価を受け「世界一のドーナツスピン」とも言われた。05年NHK杯優勝、GPファイナル3位、08年世界選手権4位。全日本選手権は表彰台を3度経験。10年に引退後、フジテレビに入社。スポーツ番組のディレクターとして数々の競技を取材し、19年3月に退社。現在は講演活動を務めるほか、審判員としても活動。15年に結婚し、2児の母。自身のYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」を開設し、人気を集めている。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)