2021年7月、日本発のプロフェッショナル・ダンスリーグ、「D.LEAGUE」は、同年1月の開幕から、全12ラウンドとチャンピオンシップを経て、そのファーストシーズンの幕を閉じた。コロナ禍という、未曾…
2021年7月、日本発のプロフェッショナル・ダンスリーグ、「D.LEAGUE」は、同年1月の開幕から、全12ラウンドとチャンピオンシップを経て、そのファーストシーズンの幕を閉じた。
コロナ禍という、未曾有にして不可思議な事態に世界が覆われた中、痛恨の無観客でのスタートにはなったが、ウェブ上で特殊なカメラワークを取り入れたライブ配信を行うなど、世のダンスファンの期待に応えながら静かなる盛り上がりを見せた。今回、その立役者にして、株式会社DリーグCOOカリスマ・カンタローこと神田勘太朗さんに、1年目の手ごたえと、来シーズンに向けての展望を語ってもらう機会を得て、自称〝心のダンサー″である筆者は、いささか興奮ぎみに取材場所へと赴いた。
ところで、ダンスのプロフェッショナル・リーグと聞いて、今、あなたがピンと来ていないとしたら、これから巻き起こる、スポーツエンターテイメントの重要なシーンを見逃してしまうかもしれないので要注意だ。実は現在、国内のダンス人口は、野球やサッカーにも匹敵する約600万人規模といわれており、今後1000万人を超えるという予想もある。ダンスによる「国民的」シーンが生まれるという可能性を多分に秘めている巨大市場でもあるのだ。
しかし一方で、これまで、プロ・レベルのダンスを身近に感じ、それを主として観賞できる機会は一般的ではなく、他の人気スポーツのように「プロの域」をしっかりと観る側に届けてくれる、ビジネスとしての土壌が整ってこなかったのもまた事実。つまり、ビジネスを動かす側である企業や経営者のなかに、ダンスがプロ野球やサッカーのJリーグのような存在になり得るという可能性を理解し、実践する人物が出現しなかったのだ。それ故、600万人を超えるとされる、ダンスへの巨大な潜在的ニーズはある意味置き去りにされ、それに応えられる大舞台もまた、恒常的に提供されるということがなかったのである。
神田さんは、自身もダンサーとして活躍していた2004年、24歳の時に『DANCE ALIVE HERO’S』を主催する株式会社アノマリーを立ち上げた。
「ダンスがビジネスでイケるっていうのは18年前からずっと揺るぎなく、誰がなんと言おうと言い続けてきました。それは、こうやってDリーグが始まった今も同じです。ダンス・アライブを立ち上げたときも、色々な人から、ビジネスには向いていないとさんざん言われてきました。それでも自分には、『ダンスは世界をとりにイケる』というビジョンがしっかりあったので『そんなことはない』と。ただ、そのビジネスの体系をだれが創るのかっていうことが問題でした」。
彼が見たビジョンはいつどのようにして、ダンス界に確固としたビジネスを構築するため、自らが動くという〝覚悟”へと変わっていったのだろうか。神田さんはよく、ダンスにおける熱量の大切さについて言及しているが、感動を観る者に届けるというダンサー個人の熱量から、ダンス界を包括するまでの熱量になるにはどんな軌跡があったのだろう。
「これまでにも、ダンスのテレビ番組はいくつかありましたが、ダンスブームは来ては去り、また来ては去る、そのくり返しでした。そんな中からここまで、無理くり広げてきた、というのが実感です。でも、僕の先輩のその先輩もダンスを楽しんで、ダンスの世界を繋いできた人たちが元々いるから、自分も踊ってきて・・・。30年、40年前からダンス界を作ってきた人たちがいて、その時それぞれが自分のやるべきことをやってきてくれていて、ここにつながっていると思っています」。
「今僕はプロデュースする側にいますけど、その前にはEXILE HIROさんがメジャーにいってダンス分野を切り開いたり、僕もダンスバトル興行を始めて大きくしていったり、関わる人々の想いとか熱量が徐々に蓄積されてきて。あとは、子供たちが学校の必修科目でダンスをならったり、TikTokなどのSNSで、踊って表現することが普通になってきたりで、ダンスシーン自体の人口が多くなってきたという背景もあって、そういう様々な要素が上手く重なったタイミングでDリーグを始めることができたと思っています」。
「だから、『今はたまたま自分がこのポジショニングなだけだ』とも思っています。これがもし5年遅かったら、ここにいるのは僕ではなかったかもしれないし、もしかしたら、始めることは出来なかったかもしれない。5年遅いってことはEXILE HIROさんや他の関係者の状況も5年分変わっているってことですから。
そして、コロナの前に、『2021年に開幕する』と決めていたから踏み切れました。これがもし、2022年を目指していたら、頓挫していた可能性は大いにあるし、本当にタイミングが良かったです。だから、『僕の熱量だけでここまで来ました!』と言えたらカッコいいですけれど、実際はそういう大切な要素が、本当に奇跡的に揃ったからこそ実現できたと感じています」。
コロナ禍でオリンピックの開催も遅れるなか、確かな熱量を伴って開幕したDリーグだが、そこには熱量だけでない、神田さんのビジネスマンとしてのセンスも働いていた。
「2011年、3.11の震災の時にも、ダンスアライブをやったことがありました。ちょうど一か月後の開催で、その時のことは強烈に覚えています。エンタメのすべてが止まってしまいましたよね。チケットの会社やイベンターも潰れてしまったりするなかで、うちの社員も一人除いた全員が開催を反対しました。でも僕は、両国国技館で絶対やると。それで批判があっても当たり前、それでもやるんだと決断しました。大変な時でしたが、今を一生懸命生きている中で、それをやらないことのリスクもあるぞと。やって前に進める方法もあるんじゃないかという決断でした。あの時、僕たちが一番初めに、1万人規模のイベントを再開したんです。そうしたら、エンタメ界全体が前に進み始めた。
その時の教訓で、行くと決めたときはいかないといろんな意味で後退すると。今回のこのコロナも、国を含めて、今まで全員がくらったことのない経験です。でも、だからといって2年後や3年後に延期しようと考えたところで、その先のことはまったくわからないし、一回集めた熱量は必ず分散してしまう。そうなると、もう一度この磁場をつくりあげるのは現実的には難しいってくらい熱を注ぎ込んでいたので、3か月後でもいいから開催すると決めました。もちろん、協賛の皆さんにもお話しをして、GOを出してくれたからこその実現です。無観客でどうやって実施するのかも、もともと考えながらやってきたので、関係者の感染症対策などもしっかりできました」。
■大いなる一歩を踏み出した、その先は……
「ファーストシーズンは終わりましたが、なんとか無事立ち上げたからといって、まだ、美味しい乾杯とかはしたことがないですね。昨年8月の発表後の乾杯が少しだけ嬉しかったくらい。まだまだ問題も課題も山積みです。セカンドシーズンはお陰様でスポンサーも増えますし、参画チームが9チームから11チームとなって開催されます。それでも、世間的にはまだまだ様子見の段階だと感じています。これで誰か、リーガーの中から国民的スターが生まれたりしたところで、やっと『ダンスってこれが当たり前なんだ』って認識になってくれるのではないかと思っています。僕は、創る人で、地盤を固める人ではあるかもしれないけれども、ここから、ダンスでスーパースターを生み出せるかどうかが、Dリーグ全体の大いなる挑戦だという気がしています」。
コロナ戦禍という逆境の中でも、セカンドシーズンからは協賛社も増え、11月開催に向けて期待が高まるばかりだが、その中に感じているという問題や課題はどのようなものだろう。
「ダンス人口が増えて、皆がSNSなどを通して気軽に踊ったり、流行るのはよいのですが、そういう目でみる〝格好いいや可愛い″と〝ダンスが上手い″が決して比例するわけでないので、それがダンスの難しいところだと、Dリーグを創っていけばいくほどに感じています。ダンスのコア目線でみると、Dリーグに出ている子たちより、もっとうまい人たちがダンス界にはいて、でもその人たちがこういうメジャースポーツ的なものや、シーンに興味があるかっていうとそうではない。
これは、アートや音楽でも一緒で、画商やギャラリーに出展してなくても、天才的な画家がいたり、オリコンや音楽のメジャーシーンにいなくても、街のスナックで歌っている凄い人とか、ニューヨークなんかにも路上でとんでもなく上手いサックスを吹く人とかっていますよね。そういう現実がダンス界にも多分にあるのです。本当は、そういった表に出て格好つけないけれど〝とんでもない″って人全員が、それに見合う対価や富を享受できるような世界をつくりたいんです。でも逆に言うと、そういう世俗には全くもって無関心だからこそ、素晴らしいものを作り出しているのかもしれない。中にはお金とか地位名誉にまったく興味のない人達もいて、しかもそれが最高に幸せで。そういう人たちの、最高級であるがゆえの苦しみ、みたいなものってあるなと感じていて・・・。僕はダンス界の、そういう人たちのチカラになりたい。でもそれすらもおこがましくて、その人達は助けられたいなんて思ってないかもしれない。
それでも、この人のこのダンスを届けたくて、見てもらいたくて、共感してもらいたくて。それを翻訳していく最初のフィールドを、ダンスアライブなどのイベントに置き換えていました。でも、それではまだ、同じダンサーに向けてのコアな領域だったんです。まだまだ人々が広く認識できるダンスのかっこよさ、可愛さ、凄さはたくさんあって、それを届けるもう一つのステージが、Dリーグという場なのだと感じています。とはいえ、ダンスは本当に奥深いので、どうやって、より広く、正しく届けることが出来るのか、今も考え続けています」。
■ジャッジにオーディエンス票を採用した真意とは……
「ジャッジについても、本当に未だに試行錯誤中です。 Dリーグにオーディエンス票をなぜ取り入れたかというのもここに繋がります。ファーストシーズンのラウンドを見てきても、ずっと同じチームを高く評価するということはないし、このラウンドの推しはこのチームだけど、心を動かされたのは別のチームってことは絶対ある。そのようなことを考えたときに、これを、ジャッジというのが正しいのか。はたまた違う造語をつくるのがいいのか。人が人を裁くということ自体が、僕は非常に難しいと思いながら、今までもダンスバトルやコンテストも作っているんです」。
「オーディエンス票についてもっとわかりやすい例えを言うと、全然ありえない話ですけど、サッカーで、バルセロナとレアルマドリードが闘って、3対2でレアルが勝った。でも、今日は絶対バルセロナの方がいいサッカーをしていて観客が湧いた。だから投票ではバルセロナが勝った、というようなことです。そのような評価軸はいままでどこにもなかったので、Dリーグにはそれを取り入れました」。
「ジャッジ上の優劣と、チームの人気が必ずしも比例しないというのも同様です。Dリーグの場合、負けてもファンが根強く、太くなっていくことが最大の目的だったりします。賞金は獲得したけれどファンがいないチームより、最下位だったけど、〝最下位パワー″でファンが鍛えられて、そのファンだけで生活できる方が本物かもしれない。試合後の公演で劇場がいっぱいになれば、それが本当の勝ちかもしれないです」。
■人はそもそもなぜ感動するのか
「ダンスの上手さにもいろいろあって、正確無比な踊りよりも、面白くて少し破壊されてるくらいの踊りの方が感動したり、少しばかりネジが飛んでしまっている方が格好いいと感じたりすることもあるわけです。実際、過去のコンテストのジャッジでも、技術がバッキバキに優れていて、ばっちり揃った踊りが良いとされている年が2年くらい続いた後に、みんなそれに少し飽きてきて、もっと自由な荒くれ者の踊りが好かれる傾向に変わるとか。そういう色んな見方があり、好みも入れ替わるということです。そういう意味でも、Dリーグには様々な特徴のチームがいて面白いと思います」。
オーディエンスとして票を投じる。即ち、自分も当事者の一人としてDリーグに「参加」することで、ダンスをより真剣に鑑賞し、そのうちに目が肥えて見方も深まり、さらに興味が増して根強いファンになってゆくという流れは、確かにありえるだろう。
「僕は、人はそもそもなぜ感動するのか、気に入るという感情はどこからくるのか、なんてことをいろいろ知りたくて、頭のいい人が書いた本をいろいろ読んでいるのですが、量子力学の本なんかを読んだりすると、好きというのはどんな脳波でどういう電気信号なのか、なんて難題を考えだしてしまって、本当に知りたいことが多すぎて時間がいつも足りないです。でも、その知識や思考がDリーグにも活きてくると思っているので、難しいけれど必死に喰らいついて読んでいます」。
「オーディエンスジャッジについても、CS(チャンピオンシップ)最後の挨拶のときに『組織票でいいじゃないか』という発言をしましたけど、それは、ネット上で組織票についていろいろと言われていたことへの提言です。皆さん気づいてないですけど、今自分達が生きている中でも組織票って要素は実はだいぶあるんだぞ、と。自分はこれが好きだと共感を得ること自体も、ある意味組織をつくることだし。何かを自分だけが好きでいることに幸せに感じる人もいるけれども、他人に共感してもらって幸せを感じる人もいっぱいいる。でなければ、ファン層というものは作られていかないわけで。『BTSいいでしょ。EXILEも好き』っていうのも一緒。ファンをつくる、組織を作るってことはけっして悪いことではない。
ファーストシーズンでは、avex ROYALBRATSのRIEHATA氏のアピールが上手かったし、FULLCAST RAISERZもどんどん人気が高まりましたけど、ファンがファンを呼んで、『これは私たちのチームだ』と、さらにファンを増やしていくのは、政治の世界も含めてどこにでもある。それはある種ポピュラリズムのような主張と似ているし、それは堂々とやっていいですよ、と言いたかったのです。負けたくなければ徒党を組んでください、ファンをつくってください、と。そして、そのこと自体を面白いと思ってくれるようになっていってほしいです。でも、悲しいのはその面白みを理解してもらえてなくて、皆まだ、表面上の結果のみしか気にしてないことですね。動画に関してもインフルエンサーの動画しか見ていなかったり。僕の真意が、届けたい人に届いてないというのが悩みではあります」。
◆【後編】“ダンスの救世主”カリスマ・カンタローかく語りき ダンサーの本質的な幸せと権利″
◆開幕初年を終えたDリーグ 「ギラギラしながらキラキラと輝く」セカンドシーズンへ
◆神田勘太朗が語る『DANCE ALIVE HERO’S』 赤字から世界最大級イベントへ 「ダンスは世界を獲れる」
著者プロフィール
Naomi Ogawa Ross●クリエイティブ・ディレクター、ライター 『CREA Traveller』『週刊文春』のファッション&ライフスタイル・ディレクター、『文學界』の文藝編集者など、長年多岐に亘る雑誌メディア業に従事。宮古島ハイビスカス産業や再生可能エネルギー業界のクリエイティブ・ディレクターとしても活躍中。齢3歳で、松竹で歌舞伎プロデューサーをしていた亡父の導きのもと尾上流家元に日舞を習い始めた時からサルサに嵌る現在まで、心の本業はダンサー。