アスリートが表舞台で見せるパフォーマンスの背景にあるのは、“日常”の積み重ねだ。本番での輝きは一瞬に過ぎない。その一瞬を追い求めて、アスリートたちは長い年月をかけ、ときには葛藤しながら“挑戦”と“成長”の日々を送っている。その一人、世界で唯…

アスリートが表舞台で見せるパフォーマンスの背景にあるのは、“日常”の積み重ねだ。本番での輝きは一瞬に過ぎない。その一瞬を追い求めて、アスリートたちは長い年月をかけ、ときには葛藤しながら“挑戦”と“成長”の日々を送っている。その一人、世界で唯一の2m台を跳ぶ義足ハイジャンパー鈴木徹の東京パラリンピックまでの軌跡をたどる。

本番前に完成した高さを生み出す助走


東京パラリンピックが開幕した8月24日、鈴木は久々の感覚に大きな手応えをつかみ、本番に向けて自信を深めていた──

今年に入り度重なるケガに悩まされてきた鈴木は、思うような跳躍ができずにいた。練習では1m90を何度もクリアしていたが、試合では1m80台の記録が続いていたのだ。どの大会でも、部分的にはいい跳躍ができていた。しかしようやくケガが治り、コンディションの良さを感じたかと思えば、今度は技術的な部分で新たな課題が見つかるなど、一進一退の状況にあった。

次々と降りかかる難局を一つ一つ着実に乗り越えてきた鈴木だが、この1カ月半は、迫りくる本番に向けて急ピッチで仕上げてきたという。その集大成の場として設けられたのが、8月24日に行われたトライアルだった。8月に2試合を予定していたが、1試合は悪天候となったため、ケガのリスクを考えてキャンセル。もう1試合は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて中止となった。そこで試合の感覚を補うため、師事する福間博樹コーチがトライアルの場を用意してくれたのだ。

いつもは地元で一人で跳躍練習をしている鈴木にとって、他のジャンパー2人と試合形式で行われたトライアルは、久々に“競り合う相手”のいる中での跳躍となった。アップ時から調子の良さを感じていたという鈴木は、1m80、1m85を1回目でクリア。1m90も最後の3回目で成功し、1m95に進んだ。数日前から腰に違和感があったこともあり、1m95は3回ともに失敗。他の2人もクリアできなかったため、ジャンプオフに臨んだが、1回目を失敗。鈴木は体への負担を考え、この日はここで終了した。

結果的には、1m90という記録ではあったが、その内容はこれまでとは違っていた。まず一つは、最近の跳躍で最も大きな課題とされていた助走だ。大きなストライドで、一歩一歩、丁寧にかつ力強く地面に力を加えるようにした助走が完成されていたのだ。脚を地面に置くたびに、跳躍に必要なバネが生まれていくような、そんな力強さと滑らかさが感じられる助走だ。

奥行きを意味する4年ぶりの“一瞬”


次に踏み切り脚の角度も助走の勢いに押されて垂直に曲がるということはなく、体を後傾にしたまま、しっかりと地面を捉えていた。さらに踏み切った時には、すでに高い位置にあるリードレッグ(振り上げ脚)は、これまでのように鉛直に上がるのではなく、自らの体を巻き込むようにしてひねりが加えられていた。フィギュアスケートのジャンプをイメージさせるかのようなひねりによって、右の腰の位置が引き上げられ、高さを生み出していたのだ。

それが最も顕著に表れたのが、1m90の3回目だった。すると、鈴木は自分の体がバーを越えていく際、ほんの一瞬、時間が止まったような感覚を覚えたという。それは、2017年世界選手権以来の感覚だった。はた目からも、鈴木の体が宙で止まる瞬間が感じられたその跳躍こそが、鈴木が長い間、理想としてきた奥行きのある跳躍だった。

「これまでは跳んで、すぐに頭が下に垂れていく跳躍でした。それでも若い時は足のバネでなんとか力づくで跳んでいたり、30代の頃はクリアランス(空中姿勢)でカバーしていたんです。でも、それではもう記録は伸びないなと限界を感じていました。17年の世界選手権では、初めてバーに触れることなく完璧に2m01の跳躍ができましたが、その時もクリアランスでカバーしていて、もうこれ以上は無理だなと感じてもいたんです。だからこそ、東京パラリンピックが1年延期となったのを機に、これまで理想としてきた奥行きのある跳躍に挑戦してきたのですが、ここにきてようやくという感じですね」

滞空時間の長い、一瞬、宙で止まる感覚を覚える跳躍は、一見、以前と同じように見えるかもしれない。しかし、中身はまったく異なる。クリアランスでカバーしていた以前の跳躍は極論を言えば、踏み切った後、宙に浮く感覚を覚えた瞬間こそが高さのピークだった。しかし、現在の跳躍は助走、踏み切り、リードレッグと万全の準備を整えたうえでクリアランスに入っている。表面上だけではなく、スタートからしっかりとした技術を積み重ねたうえでの跳躍は高さとともに、宙に浮く瞬間の後も頭が急降下することなく奥行きが生まれる。それこそが約1年前、この連載の取材を始めた際、鈴木が語っていた“台形型”の跳躍である。

紆余曲折を経てたどり着いた理想の跳躍。その道のりは、想像以上に厳しく、そして忍耐を必要とする地道な作業の繰り返しの日々であった。しかし、鈴木は「どの選手もみんな同じように苦しい思いをして本番を迎えている」と、決して自分だけが特別ではないと語る。アスリートたちの姿に魅了されるのは、決して平坦ではない、茨の道のりを乗り越えてきたという自信と誇り、そして覚悟がパフォーマンスに映し出されるからなのだろう。

鈴木にとって6度目となるパラリンピック。狙うは「2mジャンプ」と「メダル獲得」だ。7人中6人が2mジャンパーという過去最高レベルの戦いが繰り広げられる今大会、義足ジャンパーは鈴木ただ一人。そのほかは麻痺などの障がいで、片脚切断の選手はいない。だからこそ、鈴木には義足ジャンパーとしてのプライドがある。

「義足でも、走高跳でメダリストになれるということを世界にアピールしたい」

9月3日、もがき続けながらも習得した、力強さと美しさを兼ね備えた新しい跳躍で、鈴木はオリンピックスタジアムの空に舞う。

【プロフィール】

すずき とおる●SMBC日興証券所属

1980年5月4日生まれ、山梨県出身。中学からハンドボールを始め、高校時代には国体で3位入賞した実績を持つ。高校卒業直前に交通事故で右脚を切断。99年から走り高跳びを始め、翌2000年には日本人初の義足ジャンパーとしてシドニーパラリンピックに出場。以降、パラリンピックには5大会連続で出場し、12年ロンドン、16年リオと4位入賞。17年世界選手権では銅メダルを獲得した。06年に初めて2mの大台を突破し、16年には2m02と自己ベストを更新。東京パラリンピックでは初のメダル獲得を狙う。