横浜銀行アイスアリーナの氷上では、横浜GRITS(グリッツ)の練習が始まっていた。 外は35度の真夏日だが、リンクの中は当然マイナスの世界。そこからは氷上を駆け、体がぶつかり合う音、選手の息遣いが聞こえてくる。選手は、コーチから練習の説明…

 横浜銀行アイスアリーナの氷上では、横浜GRITS(グリッツ)の練習が始まっていた。

 外は35度の真夏日だが、リンクの中は当然マイナスの世界。そこからは氷上を駆け、体がぶつかり合う音、選手の息遣いが聞こえてくる。選手は、コーチから練習の説明がある時と給水の時以外はほとんど止まらない。重さ10キロほどの防具をつけて、氷上をダッシュし、止まり、相手に当たるのだから相当の運動量だ。

 チームのエースである池田涼希は、FWでゴールを奪う選手。


今シーズンは「得点王も狙っていきます」と話す横浜GRITSのエース池田涼希

 写真提供:横浜GRITS

 171㎝と決して大きくはないが、アジリティに優れ、すばやい動きでゴールに迫る。スピーディーに動き、体と体がぶつかり合う様は「氷上の格闘技」とも言われ、迫力満点だ。自分が小学生の頃、アイスホッケーにハマり、試合会場に行って折れたスティックを求めていた頃を思い出した。

「アイスホッケーは、テレビでやっていないし、見て、触れる機会が少ないと思うんですけど、1回見に来てくれると絶対に面白いって思ってもらえる魅力的なスポーツです」

 池田は、そう語る。

 アイスホッケーというスポーツが一躍、注目され、ブームになったのは、もう15年以上も前のことだ。そのキッカケになったのは、木村拓哉が主演した『プライド』(2004年)というドラマだ。キムタクが演じたアイスホッケー選手に魅了され、そのシーズンのアイスホッケーの試合には大勢の人が訪れるようになった。

 だが、時間の経過とともにそのブームは去り、現在、アジアリーグで活動する日本のチームは5チームのみになった。日本の次代のエースの眼には、今のアイスホッケーの世界は、どう見えているのだろうか。

 札幌出身の池田がアイスホッケーを始めたのは4歳の時だった。

 父が大のアイスホッケー好きで、兄がすでに始めていた。その兄の練習を見に行った際、「面白そうだな」と思って始めた。

「最初、すごく楽しかったです。でも、小学校に入る頃に一度飽きてしまって(苦笑)。特にやりたいことはなかったんですけど、ただ友人と遊びたくて。でも、1年ぐらい経ったら、またやりたくなって、父に『やらせてください』と言ったら『今後一生やめると言うなよ』と言われて、それが今も続いている感じです」

 小学生の時は札幌ノースウルフアイスホッケークラブでプレーし、中学からは札幌フェニックスに入り、中3時はキャプテンだった。ただ、北海道におけるアイスホッケーの中心地は札幌ではなく、苫小牧、釧路、帯広が御三家だ。非常にレベルが高く、インターハイもほぼその御三家の高校が制している。高校でもアイスホッケーを続けたいと思っていた池田にとって、どこに進学するのかは重要な問題だった。

「進学は、すごく迷いました。そんな時、小中とお世話になった人たちが(札幌の)北海高校を勧めてくれたんです。北海高校は、戦術が高度で種類も豊富、将来日本代表に入った時すごく役に立つし、他のチームに行ってもすぐに順応できるようになる。先のことを見越して勧めてくれたので、北海高校に行くことを決めました」

 北海高校では、インターハイを制することはできなかったが、大学で池田はその日本一の夢を果たすことになる。

 アイスホッケーの強豪といわれた明治大学への進学を決めたのだ。

「実は、小学校の頃から明治に行こうと決めていました。明大は僕が子どもの頃、札幌で合宿をしていてうちのクラブの練習に参加してくれていたんです。その時のパスの精度とか、パスを出す位置とか技術が本当にすごくて、その時に絶対に明大に行くって決めたんです」

 明大では10番をつけ、大学3年時にはインカレ3連覇、関東大学リーグ戦など3冠を2年連続で達成した。個人的にもリーグ戦得点王、MVPにも輝き、4年時には主将を務めた。誰もが10番はプロへの道を歩むだろうと見ていた。

 だが、池田は冷静に進路を考えていた。

「大学3年の時から進路を本格的に考えていて、その時は6:4で就職を考えていました。30歳までホッケーをやって、やめた後、一般企業で他の人と働くことができるのか。ホッケーしかしてきていない人を企業がとってくれるのか、すごく心配だったんです」

 2018年12月には、日本製紙クレインズがシーズン終了後での廃部を決め、アイスホッケーを取り巻く環境はさらに厳しさを増していた。そういう状況下で、アイスホッケーに人生を賭けるのに躊躇する気持ちは容易に理解できる。

「大学4年になって、いよいよっていう時に今GRITSにいる川村(一希)さんから『横浜GRITSだとホッケーと仕事を両立できるから大丈夫だよ』と声をかけられたんです」

 横浜GRITSは、2019年5月に設立されたデュアルキャリアを推奨するクラブチームである。かつての実業団のように社業をしながらアイスホッケーをするスタイルではなく、各選手がそれぞれ仕事を持ち、アイスホッケーと両立させていくスタイルだ。これだと現役時代から仕事を学び、引退しても仕事を一から学ぶ必要がなく、フルタイムで働くことが可能になる。両立は大変だが引退後の心配がなくなり、アイスホッケーにも集中することができる。

 池田は、デュアルキャリアに魅力を感じ、横浜GRITSへの入団を決めた。

「明大は、良い選手がたくさんいたんですけど、大学でやめてしまう選手が多かったですし、コロナ禍で仕事を失う人が多い中、僕は両方やれる環境を手に入れられて幸せでしたね」

 池田は今、食品の貿易会社に勤めている。練習は、朝8時30分から9時45分まで行ない、それから家に戻り、着替えて12時に家を出て、13時に出社する。最初はこのサイクルに慣れず、運転中に眼がしょぼしょぼすることがあった。

「でも、練習も仕事も妥協できなかったですね。どちらかを適当にしてしまうとデュアルキャリアの意味がなくなるので、仕事もアイスホッケ―も100%で頑張ることが大事だと思っています」

 横浜GRITSは、昨年、アジアリーグに参加した。

 アジアリーグとは日本のチームが5チーム、韓国、ロシアのチームが1チームずつ計7チームでホーム&アウェーを戦い、優勝を争うリーグ戦だ。昨年はコロナ禍の影響で国内チームだけで争い、GRITSは18試合2勝16敗。ただ、2勝は3月の試合予定の相手チームがコロナ感染拡大により出場辞退したための不戦勝で、実質的には未勝利で終わった。

「リーグ戦では、ひとつ勝つことの難しさを改めて感じました。大学時代は、勝つのが当たり前だったんですが、勝ち方というのを昨年、僕はこのチームに還元することができなかった。やっぱり勝ち方を知っている選手がチームを勝利に導くのが大事なことなので、自分がそれをチームに伝えていきたいですね」

 今シーズンは、9月11日からスタートする。

「昨年は、勝ちがつかなかったので、今年は1つでも多く勝ちたいです。昨年1年戦って相手チームの特徴がわかったので、今年はそれを考えて戦っていきたいですし、うちはそれができるチーム。練習時間は他より少ないけど、みんなスマートですし、チームワークでは負けないと思うので、横浜のファンにひとつでも多くの勝利を届けたいと思っています」

 池田は、今シーズン、2年目でオルタネートキャプテン(副キャプテン)になった。チームの期待は大きく、池田もそれを自覚している。

「個人的には昨年の結果(6得点8アシスト)を越えることはもちろん、勝利に届くゴールを決めて、見えないところでもチームをサポートしていきたいですね。得点王も狙っていきます」

 リーグ戦ではOJI EAGLESが抜けているが、まずはひとつずつ順位を上げていくことがGRITSに求められる。

 本来であれば、来年は北京冬季五輪があるので、アイスホッケーも五輪の準備ということになるはずだが、男子アイスホッケーはその出場権を逸した。男子に限っていえば、98年の長野五輪に開催国枠で出場して以来、世界の壁が厚く、自らの手で出場権を獲得できていない。アイスホッケーがもうひとつ注目されないのは、日本代表チームの活躍が見えないことも影響しているのは間違いない。

「今回の東京五輪を見て改めて思ったんですが、やっぱり五輪の影響は大きいですね。正直、アイスホッケーの人気が出たのって木村さんのドラマがあった時だと思うんですよ。その影響がめちゃ大きくてうちのチームの茂木(慎之介)は、そのドラマを見てアイスホッケーを始めたそうです。確かにその頃、学校でも『アイスホッケーって格好いいな』と言われていたので、その人気がある時に周囲の友人とかをもっと巻き込めばよかったなぁと思いましたね」

 今、アイスホッケーを続けている選手として、より多くの人に競技を知ってもらい、盛り上げていくには、どうすべきと考えているのだろうか。

「やっぱり五輪に出ることが重要だと思います。僕は、ラグビーがいい見本になると思うんです。世界との体格差はどうにもできないけど、日本人の勤勉性を活かして全員がハードワークしていた。ラグビーは、W杯前に長期合宿をして鍛えたようですが、アイスホッケーも一度、そういう地獄の合宿に挑戦したらいいと思うんです。そうして、海外経験を積んで五輪の出場権を獲得する準備をしていくべきでしょう。現状のまま何も変わらないと北京の次の五輪(ミラノ / コルティナ・ダンペッツォ)も難しいと僕は思っています」

 女子アイスホッケーは、北京五輪出場を決め、注目されている中、男子への興味は非常に乏しい。現状は強い北風が吹いているが、池田には26年のミラノ/コルティナ・ダンペッツォ冬季五輪に出場しなければならない理由がある。30年冬季五輪に札幌が立候補し、開催地として有力候補になっているからだ。

「30年の五輪が札幌に決まれば開催国枠で出られるかもしれないですが、それだと厳しい結果に終わってしまいます。その前の26年になんとしても地力で出場して、五輪を経験することで30年に繋がるし、多くの人に認知してもらえるようになる。個人的にも地元札幌での開催になればお世話になった方々への恩返しになります。そのためにも代表で若い自分が中心になって引っ張っていくぐらいにならないといけない。そうなれば中堅、ベテランがもっとがんばろうとエンジンをかけると思うし、チーム全体の底上げにつながる。年下には負けないように、年上には噛みつくように、これからはやっていきたいですね」

 9年後、札幌で五輪が開催されたら日本代表のエースとしてその舞台に立ち、幼い頃、リンクで自分を興奮させてくれた選手のように、今度は自らが「ヒーロー」になって日本国民を熱狂させる。池田なら『プライド』以来のアイスホッケーの盛り上がりを実現できるはずだ。