6歳で水泳をはじめ、過去4大会のパラリンピックで金1個、銀1個、銅3個のメダルを獲得するなど、数々の金字塔を打ち立ててきたパラスイマー・鈴木孝幸(ゴールドウィン)。「集大成」と位置づけて臨む東京パラリンピックの初日、鈴木は男子50m平泳ぎ…

 6歳で水泳をはじめ、過去4大会のパラリンピックで金1個、銀1個、銅3個のメダルを獲得するなど、数々の金字塔を打ち立ててきたパラスイマー・鈴木孝幸(ゴールドウィン)。

「集大成」と位置づけて臨む東京パラリンピックの初日、鈴木は男子50m平泳ぎ(SB3)に出場し、見事に銅メダルを獲得。残りの4種目を含め、「全種目でメダル獲得」の目標達成に向け、幸先のよいスタートを切った。



リオパラの悔しさを1戦目から晴らすレースをした鈴木孝幸

 パラリンピックは今回で5大会目。いつもと異なる無観客の試合のなかでも、競技歴28年のベテランは落ち着いていた。予選は前半から飛ばし、後半はフォームを意識するなど余力を残したプランどおりの泳ぎで、51秒75。全体の5位で通過した。決勝もスタートの飛び込み後のひと掻きでぐんと前に出てリードすると、25mまで先頭に立つ。その後、30m手前で後半に強いローマン・ズダノフ(RPC)に抜かれ、ゴール前ではリオ銀のスペイン人選手の猛追に逆転を許したが、予選トップで世界ランク1位のエフレム・モレリ(イタリア)には0.1秒差で競り勝った。

 リオ大会では、この種目でモレリに0.04秒差で敗れて4位となり、調子をあげられなかったのか他の種目でもメダルを逃している。その悔しさを乗り越えて、2大会ぶりのメダル獲得。普段はクールな表情が印象的な鈴木も、レース後は「表彰台に戻れてよかった」と、とびきりの笑顔を見せた。

 パラリンピック前の最後の実戦機会だった6月のドイツの大会でも好調を実感していた。鈴木はワールドシリーズのひとつである「IDMベルリン2021」にエントリー。マルチディスアビリティシステムという異なる障害クラスの選手が一緒に泳ぐポイント制レースで、自由形3種目で2位。そのうち50mと100mは、アジア記録を塗り替える好タイムだった。よい感触を持ったまま最終の調整へと移行できたのも、今回の結果につながったのかもしれない。

 鈴木は現在、練習と生活の拠点をイギリスのニューキャッスルに置く。2013年、水泳のため会社の語学留学制度を活用して留学したのが始まりで、当初は1年の予定だったが、スポーツに力を入れるノーザンブリア大学からオファーがあり、会社の了承を得て留学を延長した。

 現在は、同大学の大学院博士課程でスポーツ・マネジメントを研究しながら競技と両立を続けている。今はプールとジムとフィジオスペースが一緒になった「スポーツセントラル」というキャンパス内のスポーツ施設が鈴木の"ホーム"で、ロンドンパラリンピックでイギリス代表チームのコーチを務めたルイーズ・グラハムコーチに師事する。

 当初は異国での生活に苦労もしたが、渡英して8年が経ち、語学力だけではなく、物事を客観的にとらえる視点、そして自立心がより増すなど、人間力も磨かれたと話す。

 充実した環境のなか、この5年間は体幹を鍛えるトレーニングを取り入れ肉体改造に取り組んできた。実は前回のリオ大会は、「メダルを逃せば引退も」と不退転の覚悟で臨んでいた鈴木。だが大会後に自分のレース動画を分析すると、体幹に強化の余地があり、まだ自分にも伸びしろがあると気づいた。

 加えて、この時点でイギリスに残る期間が2年ほど残っていたため、「そこまではとりあえず水泳をやらなければならないという状況だった」こともあり、この2年間は見つかった改善点を修正し、強化していくと決めた。「それで結果が出なければ東京パラリンピックには出場せず、アスリートのキャリアは終わらせようと思っていた」と、鈴木は当時の覚悟を明かす。

「体幹強化の余地」については、鈴木は先天性の四肢欠損で左右差があり、かつ脚は大腿部から欠損しているため脚の重みを使った強化をあまり重視してこなかったという背景もある。だが、体幹トレーニングの成果は明らかで、姿勢が水面に対してよりフラットになって抵抗が減り、水もしっかり掴めるようになった。

 また、鈴木の場合は呼吸時に手の掻きが小さくなるとグラハムコーチに指摘され、平泳ぎでは2回に1回の呼吸から4回に1回に変更。タイムは金メダルを獲った北京大会以来の48秒台まで伸び、世界ランキングでもメダル圏内まで復調したことで、「残りの期間も東京を目指していこうという気持ちに変わった」と、ターニングポイントを振り返る。

 さらに、鈴木にとってはクラス変更が"追い風"となった。18年のクラス分けの規定の変更で、鈴木は自由形がS5からより障害が重いS4に変更になったのだ。「選手にとってクラスが変わるとことは、本当に世界が一変してしまうということ」と鈴木。もとのクラスで金メダルを獲っていた選手でも、ひとつ軽いクラスに上がれば一気に上位からはずれてしまう。逆に、鈴木のように進行性の病気ではなく欠損で、障害もパフォーマンスも変わらないのに、クラス分けの制度によって変更になることもある。

「私の場合は、はっきり言ってラッキーでしかない。クラスが変わった時点でいきなり世界ランクは1位になり、世界記録も出した」

 とはいえ、同じようにクラスが変わった選手もおり、状況は変化していく。「結局は努力をしないとメダルは獲れないので。その部分では一緒」と鈴木は冷静に捉えている。

 今回のパラリンピックでその自由形は、50m、100m、200mにエントリーしている。世界ランクはいずれも3位につけており、メダル圏内だ。

「金メダルへの想い? もちろん、狙っている。残り4種目、すべて金メダルを目指して頑張りたい」

 進化を続ける34歳の目が、鋭く光った。