* * * * * * * * * *  啓代ちゃんと一緒に出場した最初のワールドカップは2013年、リードのブリアンソン大会でした。当時の私にとって、世界の表彰台を争うようなトップクラスの選手はあまりにも遠すぎる存在でしたね。け…

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 啓代ちゃんと一緒に出場した最初のワールドカップは2013年、リードのブリアンソン大会でした。当時の私にとって、世界の表彰台を争うようなトップクラスの選手はあまりにも遠すぎる存在でしたね。けれど自分もボルダリングで結果が出始めて、「勝つ」ということがいかに大変かを感じるようになったとき、長年ボルダーでもリードでも活躍し続けてきた啓代ちゃんの凄さを本当の意味で理解することになりました。
 でも最初の頃の思い出というと、大会の記憶よりもそれ以外で一緒にふざけて遊んでいたことばかりかも。まだ代表監督もいなかったような時代で、ワールドカップに参戦するために自分たちで現地にアパートを借りてごはんを作って食べて、みたいな経験もしました。海外遠征で同じ部屋になることもありましたが、そういうときは何をするでもなく、おしゃべりしていましたよね。(中略) そうやってワールドカップに一緒に出場できるようになってからは、2人で互いの経験を話すような機会も増えたと思います。「こういうの大変じゃない?」とか会話していると、「あっ、それわかる!」みたいに共感できることが私の中ではよくありました。啓代ちゃんは大先輩ですが、いつもフラットに話してくれることには感謝しています。
 でも競技者として見たときには、やっぱり唯一無二の存在でした。時代とともにクライミングも、その課題のタイプだったり、本当にいろいろ変化していると思うのですが、啓代ちゃんも常に変わってきている。だから、変わらず強い。そうしてトップに居続けるって考えられないほど凄いことで、それは私だけではなく、コンペに出場している世界中のクライマーが思っていることでしょう。(中略) スポーツクライミングにとって初のオリンピック、東京五輪に2人で出場できるのは本当に嬉しいです。啓代ちゃんが覚えているかはわからないけれど、以前「オリンピックに出るなら2人で出たいね」みたいな話をちょっとしたことがあって、それはずっと心に留めていました。若手のクライマーもたくさん台頭してきていますが、それより前から2人で世界の舞台に立ち、表彰台に上がってきたのだから、そのまま最初のオリンピックは2人で出たい気持ちがありました。日本女子の2トップという形で紹介され、常に比較されるような環境を嫌だと思うこともありました。個人競技なのに、自分が良くても悪くても比べられてしまう相手がいるということに。でもこれだけ強い選手と対等に見てもらえるだけで、今思えばすごく嬉しいし、ありがたいことだなと感じています。
 啓代ちゃんにとっては、最初で最後のオリンピック。常にそこにいるのが当たり前だったから、引退するということがまだ想像できません。でも実際にコンペシーンからその姿が消えたら、クライミング界にぽっかり穴が空くと思うんです。
 啓代ちゃんがクライミング界にいる、啓代ちゃんの存在を意識しているっていうだけで、私の場合は普段の練習に身が入るし、そういうのは絶対にあるはず。だから、それがなくなってしまうのは悲しいです。だけどその穴を埋めて、さらにもっとクライミング界を上のレベルに引き上げられるように、自分が啓代ちゃんのポジションになっていきたい。そういうモチベーションでクライミングに向き合っていくつもりです。(後略)

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 本書では、野中のほか、父親の野口健司さん、最大のライバルだったアンナ・シュテールからのメッセージも収録。世界を牽引してきた女王の半生とその想いが詰まった一冊を、東京五輪が終わった今だからこそ、ぜひ手に取って読んでほしい。 
全クライマー必読! トップであり続けた先駆者の流儀と半生
全国書店、ネット書店で好評発売中!<書籍情報>
『私とクライミング 野口啓代自伝』
定価:1,760円(税込)
発行:ソル・メディア
発売日:2021年7月13日
仕様:四六判/並製/304頁
ISBN:978-4-905349-57-0