「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#98「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#98

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。陸上はスプリント指導のプロ集団「0.01 SPRINT PROJECT」を主宰するアテネ五輪1600メートルリレー4位の伊藤友広氏と元400メートル障害選手でスプリントコーチの秋本真吾氏が、走りの新たな視点を提案する「走りのミカタ」を届ける。

 第8回の最終回は特別編。17日間で印象に残った出来事から、秋本氏が「アスリートへのSNS中傷問題」を語る。複数の選手が被害を訴えた問題。秋本氏はかつてスプリントコーチとして注目され始めた時、ツイッター上で「死ね」「殺してやろう」などと悪質な誹謗中傷を受け続けた経験を持つ。現在は他競技も含め、多くのアスリートを指導し、交流がある立場から考えを明かした。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 熱戦に幕を下ろした東京五輪。この舞台にかけてきた選手たちの姿が胸を打ち、感動を呼んだ。しかし、課題も残った。その一つが、SNS上でアスリートに向けられた誹謗中傷。複数の選手が大会期間中に被害を明かした。

 秋本氏は17日間を振り返り、この問題に強い関心を寄せた。

「この問題はどちらの視点で考えるか、難しいところですよね。アンチか、中傷を受けるアスリートか。まず、アスリート側は周囲の評価を自分なりに取捨選択する軸を持った方がいいと思っていて、僕もツイッターで軽い炎上を経験したこともありますが、今は自分のアルゴリズムで分けてしまいます。こういう意見は受け入れる、こういう意見は受け流す、と。

 アスリートは純粋で、すべてを受け止めに行ってしまいます。野球、サッカーというプロ競技はエラーをしたら球場でヤジが飛ぶし、負けたらブーイングされることって大きな違和感はないですよね。でも、陸上はあり得ないんですよ。例えば、伊藤友広が日本選手権でミスして予選落ちしたとしても『何やってんだよ、この野郎!』という声は絶対に飛んでこないです」

 自身もかつて特定の人物とみられるアカウントから誹謗中傷の言葉をぶつけられ、1日50件以上に及んだことがある。当時はまだ若く、心を痛めた出来事だった。アスリートがどれだけ“免疫”を持っているか。それも一つの課題になる。

「マイナースポーツの選手たちはそういう声に慣れていません。でも五輪が始まったら一気に注目を浴び、普段は飛んでこない声も全部キャッチしてしまう。しかも、直接ではなくネットを介して顔も見えない、誰かも分からない声です。卓球の水谷選手は誹謗中傷の存在をオープンにして、自分にとってはノーダメージであると発信しました。アスリート側から声を上げることは大切ですが、火に油を注いでしまうパターンにもなり得ます。

 一番は『戦わない』ということなのかなと思います。例えば、メジャーリーグの舞台で活躍している大谷翔平選手は凄くクリーンで、みんなに愛されているイメージがありますよね。でも、その裏ではきっとアンチの声を多く受けていると思うんですよね。最近はオールスターに出た後、しばらく打てなかった時に『オールスターに出たから疲れたんだろ』という声もありました。でも、彼はSNSで全く触れないから炎上もしません」(秋本)

「スルー」が第一の選択「ひと握りのアンチより応援者が圧倒的に多い」

 だから、アスリートは「スルー」を第一の選択にすべきというのが秋本氏の考え。

「カッとなって、ファイティングポーズを取って言い返さなくていいと思います。言ってくる人間はネット上で『いやあ、マジでむかつくわ』なんて言っても、面と向かってSNSに書き込んだことを直接言う人なんてほぼいないと思うんです。いざ選手の文句を言っても、後ろから登場してきたら『ファンです』と言ってしまうような。ストレスが溜まって“トイレの落書き”状態で咄嗟にその感情で書き逃げする人があまりに多い。

 これを書いたらどうなるかが想像できない人があまりに多いと思うんです。スーパーで冷蔵庫に入ったり、食料品にいたずらしたり、友達が笑ってくれるという感情が先に来てしまって、その後に来るものを想像できない若者がいます。僕は文科省が学校教育にSNS教育を取り入れるところに来ていると思います。過去に逮捕されたり罰金を払ったり、不幸にも人の命を奪われることがあったとしっかりと示さなければいけません」

 そもそも、ネットに上がる“大声”はマイノリティである可能性が高い。例えば、ニュースサイトのコメント欄に書き込むユーザーはページビュー(PV)数に対して100人に1人もいない世界だ。

「ひと握りのアンチを相手にするより、応援してくれる数の方が圧倒的に多い。なのに、ネガティブな声は目に付きやすく、たった1つの声が何千の声に思ってしまう。気にしない方がいいと言ってもそう簡単にできない人も多いと思います。ただ、誰からも好かれたいというイメージを作っている人は、何かの機会に猛烈な攻撃を食らったらメンタルがやられてしまうと思います」

 誹謗中傷とともに、最近クローズアップされるのがメンタルヘルスの問題。

「一般の人はアスリートがみんな強いと思っている。アスリートは普段からきつい練習を耐えているから『叩かれることに慣れているんでしょ?』みたいな。東京五輪反対の世論がある中で結果を出せなかった人が攻撃される。特に、金メダルを獲れるだろうと期待された人。アスリート全員が全員、強いわけでもないし、弱いわけでもないんですが、気にしすぎない方がいいと何度でも言いたいです。

 SNSの中傷を取り締まって根本的になくすことは難しい。AIで『死ね』『殺す』という言葉をキャッチできたとしても、より複雑な言い回しで嫌がらせをする人が出てくる。極論は『だったら、SNSをやらなければいいのでは?』ということ。背景には、SNSをやるスタンスもあると思います。例えば、フォローをゼロにして自分の哲学や自分の結果をただ発信するだけのアカウントにしてもいいと思います」

 実際に「フォロー0」でツイッターを運用しているのが、東京五輪陸上女子1万メートル代表の新谷仁美。

「彼女は上手にやっている印象です。自分をメンタルコントロールする上で必要なことを分かっていて、外部の意見に極力触れないようにしている。多くの選手はファンと繋がりたい、自分が言ったことを評価されたいと思ってSNSを始めます。やる以上はリスクもあると知ってアカウントを作り、その教育も各スポーツ団体がやらなければいけない。ボタン1個でできるからこそ、覚悟を持ってSNSをやる時代になってきたと思います」

「アスリートがSNSをやる覚悟を問われる時代に」

 秋本氏がツイッターの運用で目に付くのは、Jリーグの柏レイソルMF大谷秀和という。

「大谷選手は勝っても負けても必ずツイートをする。負けた時はその原因をしっかりと述べている。チームは今、不調ですが、それでも敗戦に対して申し訳ない、サポーターに感謝していると発信する。きっとJリーガーでは彼くらい。別の選手が言っていましたが、Jリーガーは勝ったら全員がロッカールームで写真を撮って全選手で上げ、特殊性が出ない。その中で、勝っても負けても一貫して語るアスリートはかっこいいと思います」

 では、アスリートがSNSの心ない声に悩まない日が来るためにどんな道を歩むべきか。

「アスリートがSNSをやる覚悟が問われる時代になりました。アンチの人はすでにカッカしてしまっているから、戦いに行くまでもない。逆に自分がどう変わるか、どう適応するかを考えた方が結果的に楽ではないでしょうか。イライラした相手に時間を使うことはもったいない。もちろん、SNSをやって良いことの方がたくさんありますが、一方で、嫌なこともあるという前提でどうSNSと向き合っていくか考えるべきだと思います」

■秋本真吾 / Shingo Akimoto

 1982年生まれ、福島県出身。双葉高(福島)を経て、国際武道大―同大大学院。400メートルハードルで五輪強化指定選手に選出。200メートルハードルアジア最高記録(当時)を樹立。引退後はスプリントコーチとして全国でかけっこ教室を展開し、延べ7万人を指導。また、延べ500人以上のトップアスリートも指導し、これまでに内川聖一(ヤクルト)、槙野智章、宇賀神友弥(ともに浦和)、阪神タイガース、INAC神戸、サッカーカンボジア代表など。

■伊藤友広 / Tomohiro Itoh

 1982年生まれ、秋田県出身。国際陸上競技連盟公認指導者(キッズ・ユース対象)。高校時代に国体少年男子A400メートル優勝。アジアジュニア選手権日本代表で400メートル5位、1600メートルリレーはアンカーを務めて優勝。国体成年男子400メートル優勝。アテネ五輪では1600メートルリレーの第3走者として日本歴代最高の4位入賞に貢献。現在は秋本真吾氏らとスプリント指導のプロ組織「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)