東京五輪より採用されたスポーツクライミング複合男子は、最後の最後までメダルの行方がわからないハラハラドキドキの展開となり、競技を初めて観た人でも楽しめたことだろう。 大会14日目に行なわれた男子決勝は、スピード、ボルダリングを経て、迎えた…

 東京五輪より採用されたスポーツクライミング複合男子は、最後の最後までメダルの行方がわからないハラハラドキドキの展開となり、競技を初めて観た人でも楽しめたことだろう。

 大会14日目に行なわれた男子決勝は、スピード、ボルダリングを経て、迎えた最終種目リードで勝負が決した。最後の競技者のヤコブ・シューベルト(オーストリア)が決勝ルートで初めての完登者となり、これによってリード1位となって銅メダルを獲得。と同時に、国内外のメディアが優勝候補にあげていた楢﨑智亜がメダルにも届かない......という"まさか"の結末になった。



金メダル候補として臨んだ東京五輪だったが...

「とんでもなく悔しいですけど、本人はもっとも悔しい思いをしているはずですからね。でも、智亜ならこの結果をしっかり受け止めて、次につなげてくれるはず。そう信じています」

 こう語るのは、橘薗(たちばなぞの)伸さん。クライミングや登山用品を扱う株式会社キャラバンのスタッフであり、楢﨑の使うクライミングシューズの開発にも携わった人物だ。

 橘薗さんが楢﨑のクライミングシューズを担当するようになったのは2015年のこと。当時の楢﨑は国内で芽を出しかけてはいたものの、ほぼ無名な存在だった。

 それが、2016年シーズンが始まると一転する。

 この年4月末に中国・重慶で行なわれたW杯ボルダリングに初優勝。その勢いのままW杯ボルダリングの年間王者となり、世界選手権ボルダリングも制して二冠に輝いた。東京五輪の実施種目に決まったタイミングとも重なり、楢﨑は一躍、時の人になった。

「智亜と契約したのはラッキーでした(笑)。若いし、ほかにはいない登り方をするのがおもしろくてっていう理由だったんですよね」

 当時を振り返ってそう笑う橘薗さんは自身もボルダラーであるゆえに、サポートクライマーには寄り添うスタイルをとっている。

 シューズを選手に渡したら御役目御免のサポートメーカーもあるなか、橘薗さんは時間の許すかぎり、契約クライマーのもとに通う。それは契約クライマーの抱くシューズへの感想を重視するから。当然ながら契約クライマーとの距離感は近くなる。

 付き合いが7年におよぶ楢﨑のことを、橘薗さんはこう見ている。

「本当によく練習しますよ。1年で20足は履きつぶしますからね。それに智亜ほど研究熱心なクライマーはいないんじゃないですかね。

 自分が強くなるために必要な要素を把握していて、その課題をクリアするまでブレずにトレーニングをする。それを潰したら次へという感じで。常に成長を続けているので、定期的に智亜のことを見ておかないと、こちらが置いてかれてしまうんです」

 そのふたりが一緒に開発したクライミングシューズがある。それがカリフォルニアのアンパラレル社の『フラッグシップ』。楢﨑が東京五輪のボルダリングとリードで履いていたクライミングシューズだ。

「シューズを開発する時の智亜の要望が、つくり手からすると『無茶ぶりか!』っていうもので。エッジも薄いボテも踏めて、トゥフックもヒールフックもバチ効きする。それってクライマーなら誰もが夢見る、魔法のシューズですよ。それを平然とオーダーしてくるんです。

 しかも、智亜は頭の回転がいいから(要望について細かく)説明しなかったり、説明しても(内容が)飛ぶんですよ。ホップの次にステップがなくて、いきなりジャンプするみたいな感じ(笑)」

 そうした楢﨑の感覚をしっかり把握し、クライミングシューズづくりの現場に落とし込んでいく。サンプルができあがれば楢﨑のもとに届け、履いた感想をふたたび現場にフィードバックして修正する。そうした工程を何度も繰り返し、サンプルは最終的に10足以上に及んだという。

「仕事だからではなくて、やっぱり智亜のクライミングに向かう姿勢に惚れ込んでるんですよね。彼はよく『最強クライマーになりたい』と言いますが、これは競技のことだけではなく、クライマーとして最強という意味なんですけど、それを口で言うだけに見合った練習をしている。

 しかも、人間性も本当にいい奴なんです。変にプライドが高いこともないし、人の意見に耳を傾けもする。一緒に仕事をしたくなるクライマーなんです」

 楢﨑を深く知る橘薗さんだからこそ、4位という結果に終わった楢﨑のこれからについては「さらに進化する」と期待を寄せている。

「大会前から智亜には金メダリストになってもらいたい一方で、『最強クライマー』を目指している以上は、内容のともなわない形での金メダルは取ってほしくはない、という思いもあったんです。

 だって『最強』っていうのは、グゥの音も出ないくらい登れちゃうわけですから。とはいえ、この4位という結果は悔しい。なので、次に向けて成長していく智亜をこれからもしっかりサポートしていきたいですし、次は圧倒的な強さを見せてくれると信じています」

 4年に一度のオリンピックは、競技を初めて観た人でもメダル争いというフィルターを通じて楽しめる単発のエンタテインメントだ。だが、そのキッカケを起点にして、継続して観ることで新たな物語が展開していく。楢﨑智亜の金メダル獲得への物語は、起承転結のようやく「転」を迎えたにすぎない。