8月5日に北海道・札幌市で行なわれた、東京五輪男子20km競歩。北の大地とはいえ、スタートした16時30分の気温は31℃。西日の中、1kmの周回コースで実施された。 日本勢は、期待されていた金メダル獲得を逃したが、銀と銅のダブル表彰台で、…

 8月5日に北海道・札幌市で行なわれた、東京五輪男子20km競歩。北の大地とはいえ、スタートした16時30分の気温は31℃。西日の中、1kmの周回コースで実施された。

 日本勢は、期待されていた金メダル獲得を逃したが、銀と銅のダブル表彰台で、この種目史上初のメダル獲得を果たした。しかし、当人たちの表情は、明と暗に分かれていた。



スパートをかけた山西利和についていったマッシモ・スタノ(イタリア)と池田向希

 レース後に悔いの言葉を口にしたのは、銅メダルを獲得した山西利和(愛知製鋼)。2019年世界選手権で優勝したあとは、東京五輪の金メダルだけを目標にしてきた。その後のレースも強さを見せ、誰もが彼の優勝を疑わないほどだった。

「細かいレースの進め方や立ち回りだけを見れば、ちょっと無駄が多すぎました。何よりもまず、『五輪の金を獲る』と考えたときに、『これで勝てる』と想定した部分に自分の甘さがあった。それがすべてだったと思います」

 レースは、4km手前から今年5月に世界歴代3位の記録を出している王凱華(中国)が飛び出し、9km地点では追走集団との差を最大13秒に広げた。山西はそれを追う集団を引っ張る形で歩いていた。

「王選手の飛び出しのタイミングが少し早いと思ったのでつかなかったですが、離れてからは追いたいという焦りと、周りがあまり動いてくれないというところで迷いがあった。追うならちゃんと追いきるという判断をすべきだったし、まだ追う必要はないと思えばその時点で後ろに下がって構えるとか。立ち回り方はいろいろあったと思います」

 山西も本心では、1km4分台ひと桁のペースではなく、もう少し速いペースの展開に持ち込みたかった。だが、暑さのある中で確実に勝つことを考え、少し慎重になってしまった結果、歩きに迷いが出た。

 それでも追走集団を引っ張り、12km過ぎには王を集団に吸収。7人の集団になって4分0秒台後半のラップが続いた後、17kmからタイムを一気に3分48秒まで上げてスパートをかけた。

 それに反応したのは、マッシモ・スタノ(イタリア)と池田向希(旭化成)。

「あそこは勝つためのスパートでしたが、逃げ切れなかった時点でもう勝負ありだったと思います。相手が離れなかったというか、そこまでに相手の力を削れていなかったというのが正解だと思います」

 こう話す山西は18kmを過ぎてからスタノが少しペースを上げると厳しい表情になり、3位という結果になった。

 そんな山西に対し、納得の銀だったのが池田だ。高校時代は無名で、東洋大2年の18年には、世界競歩チーム選手権の20kmで優勝と一気に頭角を現した選手だ。

 その後の日本選手権や世界選手権では王者・山西の陰に隠れる形で勝ち切れずにいた。だが今回は、勝ちを意識するのではなく、山西を始めとする強豪選手に挑戦するという気持ちで臨めたことが幸いした。

「勝負はラスト5kmと考えていたし、自分より実力のある選手がたくさんいるので、15㎞までは落ち着いて余裕を持たせようと思い、集団の中でも後ろのほうについていました」

 17kmからの山西のスパートにも「ここでつかなかったら勝ち目はない」と耐え、山西が後退したあとスタノに食らいついた。

 ラスト1kmを切ったところから再度仕掛けてきたスタノには対応できず、じりじりと離され、終盤には歩型の崩れでレッドカードを立て続けに2枚出された(3枚で2分間のピットイン。4枚で失格)。

「安全策を取ってどんどんペースダウンをすれば後悔すると思ったので、最後は強気に行きました」と、銀メダルを獲得。「もちろん前に金メダルの選手はいましたが、まずはメダルという形で結果を残すことができて、素直にうれしいです」と喜びを表現する。

 優勝したスタノは15年と19年世界選手権はともに10位台だったが、池田が優勝した18年世界競歩チーム選手権では、山西を抑えて3位になっていた選手。大会前の世界トップリストでも1時間17分45秒で7位につけていた。さらに高温多湿の気象条件も「18年と19年には日本で合宿もしていたし、この気象条件は大好きで、他のレースほど難しくはなかった」とレース後に話していた。

 山西も「中盤以降は彼が集団を引っ張っていたので、今日は強かったし、力負けしたなという感じです」と評価した。

「この銅メダルを経験のひとつにするという表現はあまり言いたくないけど、今は本当に不甲斐ないです。悔しいというか、何か、『こんなもんじゃない』とも思うけど、次に向けて粛々......。自分の弱さや甘さと向き合って、それをクリアしていくことが次につながっていくと思います」

 こう話す山西は、王者としての歩きを東京五輪で見せられなかった悔しさとプライドを持って、再び頂点を目指すだろう。