「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#62「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#62
「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。陸上はスプリント指導のプロ集団「0.01 SPRINT PROJECT」を主宰するアテネ五輪1600メートル4位の伊藤友広氏と元400メートル障害選手でスプリントコーチの秋本真吾氏が、走りの新たな視点を提案する「走りのミカタ」を届ける。
第4回は「ハードル種目の奥深さ」。男子110メートル障害予選で泉谷駿介(順大)と金井大旺(ミズノ)が日本勢57年ぶりに準決勝進出し、にわかに注目を浴びたハードル種目。4日の準決勝は泉谷が1、2台目で引っかけ、わずか0秒03差で決勝進出ならず、金井もバランスを崩して8台目の前に転倒した。「走る」に「跳ぶ」が加わる奥深い種目の面白さを一般のファン向けに解説する。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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男子110メートル障害。日本勢の泉谷と金井は、この種目で日本勢57年ぶりの準決勝の舞台に立った。その裏にあったのは、110メートルハードルで高速化が進んでいたこと。1台目までの歩数に理由があった。
「日本陸連のデータに基づいて『3台目までをいかに速くするか』を追い求めてきたこと。そのためにスタートから1台目までの歩数を8歩から7歩に減らしました。それにより1台目の通過が速くなり、2、3台目の通過も速くなる。これで7歩がトレンド化しましたが、むりやり7歩にしたからといって速くなるわけではないのが、陸上の難しいところ。そもそもスピードは『ピッチ×ストライド』で成り立つという前提があります。
ただ、ストライドを目指して凄く大股で走ってもピッチが伴わなければ理論的に速くならない。今の日本人選手はスピードを速くしながら7歩で行ける点が素晴らしい。支えているのは、何より純粋な足の速さ。僕らの時代の110メートルハードルで凄く足が速い選手はなかなかいなかった。でも、今は100メートルも10秒3台を出して日本選手権に出られるんじゃないかと思うくらい。明らかな進化が裏側にあります」(秋本)
ハードルといえば、足をひっかけてタイムを落としてしまい、観る側もハラハラする種目。どんな苦労があるのか。
「これは選手によってさまざまですが、先に出す方の『リード足』をハードルに引っかけてしまうパターンは低く跳ぼうと攻めすぎてしまう。でも、多くは後から付いてくる方の『抜き足』です。足をハードルから抜いていく時、膝あるいはつま先をぶつける。よく転倒したり、減速したりというシーンを見ますが、こういう風に圧倒的なロスが生まれるのが抜き足のパターン。なので、凄くダメージが大きくなると考えています。
昔、アレン・ジョンソン(米国)という『ハードルなぎ倒し男』と呼ばれた選手がいました。彼はなぜ倒しまくっても世界記録が出たかというと、良い倒し方をしていたから。太ももの裏でハードルを乗り越えるように倒す。太ももの裏でハードルに乗っかって倒すイメージ。足の裏でハードルを当てるなど、抜いてくる足でぶつけてしまうとロスは大きいですが、これは大幅な減速になりにくい。ただ、単純な足の速さはもちろんですが、世界陸上の4×400メートルリレーも走ったくらいの走力もあります」(秋本)
「足の速さ」という前提がありながらも、ハードルはぶつけ方で減速するかしないかが決まってくるという。
今大会は木製ハードルが採用「ぶつけると減速につながりやすい」
110メートル障害でもう一つ特徴的なことがフィニッシュだ。
「凄く体を前に倒せること。100メートルなら時速40キロ近く出るので難しいのですが、速度が遅くなると倒しやすい。結果、110メートルハードルはつんのめるようなフィニッシュがたくさん生まれる。もちろん、少しでも100分の1秒でも速くゴールするという目的がありますが、日本人は胸より肩を前に出すスタイルがトレンドになっている印象です。フィニッシュもさまざまあるというのは一般の方には面白いかもしれません」(秋本)
「胸を出すべきか肩を出すべきかという議論については現状、明確なデータはないと言われています。肩を出したらどれくらい速くなるかというデータもです。ただ、トップ選手を見た中高生くらいが真似をして肩を出す場合に気をつけるべきはタイミング。当然、それが早ければ、不自然なフォームになる期間が長くなるので、速度は落ちる。絶妙なタイミングでやらなければいけないので、そもそも難易度は高いといえます」(伊藤)
100分の1秒を削るために、トップ選手たちが試行錯誤し続ける奥深きハードルの世界。秋本氏は女子100メートルハードル日本記録保持者・寺田明日香の発言に興味深さを感じたことがある。
「五輪参加標準12秒8にあと0.1秒足りなかった時期、その0.1秒を埋めるために『ハードル1台に対して100分の1秒縮めていけば、×10台で0.1秒になります』と。そのくらいなら短縮できるという発想が凄く面白い。100メートルの9秒9から9秒8にするには、どの区間を削るかミクロすぎて分かりませんが、ハードルは一瞬の技術を向上させて10回繰り返すことができたら0.1秒になるし、ハードルならではの面白さです」(秋本)
今大会は日本勢にとってある課題が存在した。ぶつけると「痛い」とも言われるハードルの採用だ。
「ハードルの硬さは規定範囲が決められ、国内で一般的に使われてるにニシ・スポーツ社は樹脂製で柔らかく、ぶつけても減速しにくい部類に入ります。しかし、今大会採用されているモンド社は木製。基準範囲ですが、ぶつけた時の感覚が違うと言われています。当然、衝撃や抵抗も変わるため、木製の方が減速につながりやすい。硬さが違うことが心理的に影響し、ハードリングに変化が起きてしまわないかもポイントでした」(伊藤)
「一般の方からすると大会ごとにハードルが統一されていないことは驚きかもしれませんが、陸上界ではあり得ること。意外と知られていないことでいうと、棒高跳びは高さに応じてポールの長さを変えていることも一つかもしれません。中継を見ているとあまり映りませんが、待機所では何本かの中から選んでいます。だから、選手は遠征のために何本を持って移動しているというのは当たり前の光景になっています」(秋本)
準決勝ではともにハードルにぶつけ、この種目の難しさを痛感する結果となった泉谷と金井。それでも、ハードルの“感覚の違い”も乗り越えた日本勢57年ぶりの快挙は価値あるものだった。
■伊藤友広 / Tomohiro Itoh
1982年生まれ、秋田県出身。国際陸上競技連盟公認指導者(キッズ・ユース対象)。高校時代に国体少年男子A400メートル優勝。アジアジュニア選手権日本代表で400メートル5位、1600メートルリレーはアンカーを務めて優勝。国体成年男子400メートル優勝。アテネ五輪では1600メートルリレーの第3走者として日本歴代最高の4位入賞に貢献。現在は秋本真吾氏らとスプリント指導のプロ組織「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。
■秋本真吾 / Shingo Akimoto
1982年生まれ、福島県出身。双葉高(福島)を経て、国際武道大―同大大学院。400メートルハードルで五輪強化指定選手に選出。200メートルハードルアジア最高記録(当時)を樹立。引退後はスプリントコーチとして全国でかけっこ教室を展開し、延べ7万人を指導。また、延べ500人以上のトップアスリートも指導し、これまでに内川聖一(ヤクルト)、槙野智章、宇賀神友弥(ともに浦和)、神野大地(プロ陸上選手)、阪神タイガース、INAC神戸、サッカーカンボジア代表など。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)