100mハードルの寺田明日香(ジャパンクリエイト)が初めての五輪に臨む。 2013年に23歳で一度引退したあとは結婚、大学進学、出産、7人制ラグビーに挑戦するなどさまざまな経験をしてきた。そして、2019年に陸上に復帰をすると、6年間競技…

 100mハードルの寺田明日香(ジャパンクリエイト)が初めての五輪に臨む。

 2013年に23歳で一度引退したあとは結婚、大学進学、出産、7人制ラグビーに挑戦するなどさまざまな経験をしてきた。そして、2019年に陸上に復帰をすると、6年間競技から離れていたとは思えない驚異的なスピードで日本のトップへと上り詰めていった。



五輪直前まで、家族と過ごすなど普段の生活をすると話していた寺田明日香

 2019年の8月に13秒00の日本タイ記録で走ると、9月には10月の世界選手権参加標準記録を突破する12秒97で世界選手権の代表に選出。しかし、その世界選手権でタイムは13秒20と思い描く走りはできなかった。その時の走りを寺田はこう振り返る。

「やっぱり自己ベストが12秒9台後半だと、環境が違っていたり、ピークが落ち始めた時の試合はまったく戦えないなと思いました。私はラグビーをやったことで体は大きくなっていたけれど、一緒に走った外国人選手たちはもっと大きかったし、爆発力も違った。ピークを合わせるほかに、東京五輪へ向けてはそこも考えていかなければいけないなと思いました」

 2020年は東京五輪だ! と思っていた矢先、世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、大会は1年延期になった。気持ちは落ち込んだが、現状を受け入れてリフレッシュの時だと割り切った。そこからは、その1年で「今よりもっとパワーアップして五輪を迎えればいい」「もっと速くなれば、今よりもっと世界と勝負ができるかもしれない」と気持ちを切り替えた。

「2020年は公認で13秒03がベストでしたし、日本選手権は青木益未選手(七十七銀行)に負けたけれど、『これくらいでいいんじゃないかな』と思っていました」

 すべてが好調とはいかない状況もプラスに捉えた。

「私が2019年に復帰していきなり世界選手権に出たことで、女子ハードルが動き出したところはあったのかなと思います。ハードルはリズムの競技で、私と青木選手ではリズムが違いますし、それぞれの特徴があるけど、互いにいい部分の情報交換ができる。それはタイムが近くないとできないので、いい部分を吸収できるのは楽しいです。世界記録保持者のケンドラ・ハリソン(アメリカ/12秒20)は同じくらいの身長なので、彼女が持っていて私が持っていないものって何かなと考えたりしますし、比較できるくらい私のタイムが彼女に近づけばいいなと思っています」

 記録も急に高い目標を立てるのではなく、一つひとつ積み重ねていくことが大事だ。寺田の場合は12秒8台を出せたことで、12秒6台に目を向けられるようになったと言い、12秒4台を目標にするなら、12秒6台を出さなければならないという。日本記録を更新して世界を見据えるようになったからこそ、基本のハードルドリルも、「こういう意識を持ってやらないと意味がないんだな」と、その練習の本質がわかるようになった。

 今年に入って感じている手ごたえは、スプリント力がこれまでよりアップしたという自信と、ハードルに向かって踏み切る時の身体の捻りの方向をしっかり意識できるようになった技術面だという。

「以前はラグビーをしていた影響から、復帰した時の走りはぐいぐい押していく走りだったんです。でもハードルの場合は思い切り100mを走るのとは違って、動きや姿勢を制限しなければいけない。そこを意識してやってきたけれど、今は考えなくてもできるようになりました。普通に100mを走っても自己ベスト(11秒63)より速く走れると思います」

 屋外シーズン初戦となった今年4月の織田記念大会の決勝は、日本記録の12秒96を出し、「これなら五輪参加標準記録の12秒84は絶対に出る」と自信をのぞかせた。

 結果としては、6月1日の木南記念で出した12秒87で記録は止まっているが、自信は揺らがない。

「この先、うまくいけば12秒74とか75も......。6台まではわからないけど、7台の前半は出るなという感じはあります。実際、木南記念では87を出した予選より、89の決勝のほうがハードル3台目までのラップタイムがよくて、12秒6ラインに乗っていたんです。

 そのあとの4~6台目のラップタイムの山をもう少し上げて落ちていく形にしなければいけないのですが、まだその山の作り方が甘いんです。ハードル間を弾むように刻む走りをしなければいけないですし、一歩一歩研究して、細かいところまで追求していきたいと思っています」

 最後の選考大会となった6月26日の日本選手権では、優勝したものの13秒09と標準記録を突破とはならなかったため、6月29日時点の世界ランキングでの選出となった。各国最大3名で数えれば30位で、代表入りできる確信はあった。7月2日に発表された名簿の中に自分の名前を見つけた時はホッとしたと笑う。

「世界ランキングで五輪出場は大丈夫だとは思っていましたが、一緒に練習をしている山縣亮太選手が内定を決めていたので、『いいな、私も標準記録(12秒84)を破っておけばよかったな』って......。それでも、あの調子がよくない状態ながらも(13秒)0台で抑えられたので、『まあ、いいかな』と思っていました」

 ポジティブに考えられるところが寺田のよさだ。

「以前、目標にしていたロンドン五輪に出られていたら、多分ここまではやっていないと思います。でも今は、戦える楽しさがあるというか......。12秒87で走ってもまだ納得できる走りはできてないし、課題が次から次へと見えてくるし、もっと速い人たちはたくさんいるからまだやることはたくさんあると思える。引退前はそういうふうには思えなかったけど、今は課題が次から次へと出てくるのが楽しいなと思えています」

 そう話す寺田は、東京五輪を「終わりであり、始まりでもある」と考えているという。陸上を離れる前の自分の思いを成仏させる場所でもあり、今の陸上選手としての自分をスタートさせる場所。そこで果たしたいのは、今の自分がどこまで戦えるかを確かめることだ。

「国立競技場は風が吹かない競技場ですが、予選は確実に12秒8台で走っておかなければいけないと思います。準決勝は大一番の勝負になるので、国立で8台を出せたという自信を持って冷静に......。そこで12秒7台前半は出さないと決勝進出はないと思うので、できれば12秒68~70を出すという気持ちで臨みたいです」

「あわよくば決勝進出」という思いもある寺田だが、まずは、準決勝でどんな戦いができるかだ。もし決勝に届かなくても、できうる限り迫りたい......。それを果たすことは、彼女のその先の競技人生にとっての大きな力になるはずだ。

「五輪が終わったらハードルはいったんお休みして、100mを走ろうと思っているんです。自由に思い切り走って、どのくらいで走れるようになっているか見たいと思っています」

 寺田はそう言って、明るく自信に満ちた笑顔を見せた。