『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅵ部 類まれなメンタル(5)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅵ部 類まれなメンタル(5)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2017年世界選手権、羽生結弦はSP5位からフリーで逆転勝利を果たした

 2018年平昌五輪に向け、重要な意味を持っていた五輪前年の、フィンランドで開催された世界選手権。そこでは国別の五輪出場枠獲得がかかるだけではなく、勝利すれば翌シーズンへ向けての自信とともに、他の選手たちにプレッシャーを与えられることにもつながる。

 その大切な2016−17シーズン、羽生はショートプログラム(SP)に『レッツ・ゴー・クレイジー』、フリーに『ホープ&レガシー』という、新たなプログラムを選択。SPはロック調で観客とコネクトする、ライブ感のある演技を目指すもの。そして、フリーは自らの心象風景を静かに表現する。その性質の違うふたつのプログラムを演じ切りたいとの思いがあった。

 ジャンプの構成は前シーズンより難度が高く、SP、フリーともに4回転ループを入れた。世界選手権前までに5試合を戦い、グランプリ(GP)ファイナルを含め3勝という結果は出していたものの、SP、フリーともノーミスの完璧な演技はできていなかった。

 その世界選手権のSPでは最初の4回転ループをしっかり決めたが、次の4回転サルコウの着氷でバランスを崩して左膝を着くミス。その後に2回転トーループをつけたものの連続ジャンプと認定されず、98.39点で5位スタートになってしまった。

「4回転ループは、気持ちよく飛べたし、これまでの試合の中では一番きれいに跳べたと思うけど、サルコウが痛いですね。跳んだ瞬間の感じはよかったのですが、降りた瞬間に『あれっ?』と思いました。映像を見たら、軸がちょっと後ろに倒れていたかなと......。このシーズンは、ずっと『悔しい』ばかり言っていますが、経験を生かせずに終わってしまい、不甲斐ない気持ちでいっぱいです」



2017年世界選手権、SP演技の羽生

 要素が限定されているSPでは、ノーミスは必須。シーズンを通してそれが実現できなかったことに、不甲斐なさを感じていた。だが、その失意を2日後のフリーで吹き払った。

 フリーは最終グループ第1滑走者。羽生はしなやかで流れのある滑りを披露した。少しスピードを上げて臨んだ後半の4回転サルコウ+3回転トーループをGOE(出来ばえ点)加点2.43点で決めて勢いに乗り、その後の4回転トーループも成功させた。得意とするトリプルアクセルからの連続ジャンプや3回転ルッツもきっちり決め、シーズン初のノーミスで大会を終えた羽生はフリーについてこう振り返った。

「ショート後はすごく落ち込んでしまって、なかなか立ち直ることができませんでした。でも、チームやファンの人たちが信じてくれていたのが、この演技につながったんだと思います。演技内容を忘れるくらい、ひとつずつ集中して一所懸命にやれたと思うし、今の自分を表現しきれました」

 得点は、自身が2015年のGPファイナルで出した世界歴代最高得点を3.72点更新する223.20点。合計を321.59点にして世界選手権2度目の優勝を果たした。

 じつは、SP終了後には、「追い込まれたというより、自信喪失というほうが近かった」とも心境を吐露していた。

「何が原因かがすぐ見つかって、これがダメだったから次はこうしようというのがわかっていれば、そこまで落ち込まなかったかもしれない。(SP)5位の結果を含めて、自分がどうしていい感覚の中でミスをしてしまったのか、結局それが最後までわからない状態での終わり方だったので、自信がなくなってしまったのかなと思います」

 その自信喪失の状態を救ってくれたのが、ファンからの声援やスタッフ、コーチからの助言だった。

「フリー当日の公式練習は、試合まで時間が短かったのでブライアン(・オーサーコーチ)に『抑えていけよ』と言われました。ショートの悔しさもすごくあって、思い切り練習をしたいと思っていましたが、ブライアンにしっかり抑えてもらえて、余裕を持った練習ができました。1番滑走だった本番では6分間練習で少し足に(疲れが)来ていてしんどいなと思ったけど、最後の調整が(本番での)体力につながって滑り切れたのかなと思います」

 コーチのアドバイスを冷静に受け止め、実行した結果だった。さらに本番も「スピードはもっと出せたかもしれない」と、やや抑え気味の演技だった。

「自分のジャンプのため、演技のため、このプログラムの完成のためにできる、一番いいパターンだったのではないかと思います」

 自分の表現力の幅を広げながら、高難度ジャンプを組み入れた演技構成への挑戦。こうして平昌五輪シーズンへ向けての準備を整えていった。

(第Ⅵ部終わり)

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。