女子バレー岩坂名奈引退インタビュー 後編 前編はこちら>> 中田久美監督が女子バレー日本代表の監督に就任した2017年、岩坂名奈はキャプテンに指名された。本人にとってもサプライズだったその指名後、岩坂はどんな思いで大役を務めていたのか。引退…

女子バレー岩坂名奈
引退インタビュー 後編 前編はこちら>>

 中田久美監督が女子バレー日本代表の監督に就任した2017年、岩坂名奈はキャプテンに指名された。本人にとってもサプライズだったその指名後、岩坂はどんな思いで大役を務めていたのか。引退を決意した理由、今後の展望と併せて聞いた。


2017年から3年間、日本代表のキャプテンを務めていた岩坂

 photo by Sakamoto Kiyoshi

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――久光では岩坂さん個人としても活躍していたものの、当時の日本代表は「MB1」「ハイブリッド6」といった、ミドルブロッカーの数を変える変則的な戦術を取りました。時にはミドルブロッカーを0人にすることもある戦術でしたが、それをどう見ていましたか?

「ミドルブロッカーとしては、もちろん悔しさがありました。でも、スポーツは『結果がすべて』な世界で、自分の実力が不足しているということ。それを覆すために、より結果にこだわるようになりました」

――2016年のリオ五輪メンバーに入ることはできませんでしたが、翌年に中田監督が日本代表を率いるようになり、岩坂さんも代表に召集されるようになりましたね。それだけでなく、チームの主将にも任命されましたが、驚きはなかったですか?

「もう一度、チャンスをもらえるなら代表でやりたいという思いはありましたが、自分が主将だと聞いた時はびっくりしましたよ。それまでのバレー人生で、キャプテンをやること自体が初めてでしたし。私が日本代表に初めて呼ばれた時は荒木絵里香さん、そのあとは木村沙織さん、それ以前から主将はチームの中心選手が担っていましたから、自分にできるのかという不安はありました。

 まして、日本代表はいろんなチームから選手が集まって、短期間でチーム力を上げないといけない。よりコミュニケーションが大事になりますが、私は少しそういった部分が苦手なので悩むこともありました。監督やチームメイト、スタッフの支えがあって何とか続けることができました」

――プレー面でも選手を引っ張ることが求められたと思いますが、成長のために取り組んだことはありますか?

「2017-2018シーズンから、(久光に)アメリカ代表のミドルブロッカーとしてオリンピックでも活躍したフォルケ・アキンラデウォが加入したんですが、彼女から学ぶことは多かったです。身体能力はまったく違いましたが、私も相手ブロッカーの動きをよく見て、特徴を見極めながらプレーするようになりました。

 自分がプブロックする際も、1歩目のステップが速くなったかなと思います。アキンラデウォは年上で、キャリアもすばらしいのに、久光でもいろんな選手のプレーを見て学んでいた。日本語もどんどんうまくなっていって、通訳さんを通さずに意思疎通できることもありましたよ。そういう選手がずっとトップでやる選手なんだなと実感しました」


引退後の活動の展望についても語った

 photo by Kimura Masashi

――翌シーズンは久光のキャプテンも務め、2018年の皇后杯を制するなどさらなる成長を遂げたように思いましたが......日本代表では少し苦しんでいた印象もあります。

「日本代表の主将を担うには何かが足りなくて、その何かを埋めきれませんでした。苦しくても自分を保って、周囲の声に流されないように......と気持ちを強く持ってプレーしましたが、個人では結果を残すことはできませんでしたね」

――2020年には代表に招集されず、主将も交代となりました。

「それも、先ほど言ったように『結果がすべて』。毎年、代表の活動が始まる時に『頑張ります』と言っていたんですが、シーズンを終えて、プレー面、キャプテンとしても『実際は何ができたんだろう』と思うこともありました」

――東京五輪1年の延期はどう感じましたか?

「そこを目指してやってきたひとりなので、もどかしい部分はありました。それでも『1シーズンずつ頑張ろう』と思っていましたが、今年の1月になっても調子が上がらず、チームに貢献できないことが続いて。大きなケガなどをしたわけではないですが、これまでの疲労の蓄積のようなものを体が感じるようになっていましたね。今年度の代表について考えることもできなかった。自分で考えて、決断して引退をチームに伝え、認めていただきました。

 苦しい時期もありましたが、そこでいろんなことを考え、実践し、また反省してという中で、ひとりの人間として成長することができたと思います。その途中で多くの方に支えられましたし、あらためて感謝を伝えたいです。今後は、その恩返しがしたい。久光は2023年までに、練習の拠点を佐賀県鳥栖市に移す予定なので、九州出身の私も何らかの形で力になれたら。

 他には、バレー教室やを開いたり解説者になるのかとも思いますが、具体的にはイメージができなくて......先にさまざまな活動をしている理沙には『すごいな』と刺激を受けます」

――新鍋さんが引退したのは昨年6月。それを発表した直後の、久光のオンラインファン感謝イベントでは、花束を渡す岩坂さんの目に涙がありましたね。

「学生時代は対戦相手として、久光、日本代表ではチームメイトとして一緒にいろんなことを乗り越えてきた理沙がいなくなるのは寂しかったです。まさか自分が花束を渡す日がくるとは思っていなくて、それまでのことを思い出して、理沙より先に泣いてしまいました(笑)。

 現役最後の1年も、第二の人生を歩んでいる理沙を見て勇気をもらっていました。今後は、また一緒に何かができるかもしれないですね。その時にでも、ちょっと恥ずかしいけど『ありがとう、これからもよろしく』と伝えてみようかと思います」