1年の延期を経て、今月の23日から始まる東京五輪。女子マラソンは最終日の前日、8月7日に札幌市で開催される。 5月にはプレ大会として、実際のマラソンコースを使用した札幌マラソンフェスティバル2021が行なわれた。調整途中ながらも東京五輪代…

 1年の延期を経て、今月の23日から始まる東京五輪。女子マラソンは最終日の前日、8月7日に札幌市で開催される。

 5月にはプレ大会として、実際のマラソンコースを使用した札幌マラソンフェスティバル2021が行なわれた。調整途中ながらも東京五輪代表の一山麻緒(ワコール)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)、前田穂南(天満屋)も本番に向けて順調な走りを見せた。



5月のテストイベントでしっかりと自分の走りをした一山麻緒

 そんな3人の東京五輪での走りは気になるところだが、女子マラソン界には五輪後の楽しみも見えてきている。

 現在も日本記録(2時間19分12秒/05年)を保持しているのは野口みずきさんだが、16年間ぶりに2時間19分台を期待できる選手が現れているのだ。

 その筆頭が五輪代表にも選ばれている、一山麻緒だ。今年1月の大阪国際女子マラソンで、19分台に挑戦し、2時間21分11秒のセカンドベストを出した。この大会は、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、いつもの市内を走るコースではなく、長居公園内の周回コースだったことや、新しい試みとして男子のペースメーカーがついていたことも記録につながったと考えられる。

 2人目は、五輪代表の補欠となった松田瑞生(ダイハツ)。2020年の大阪国際で、当時日本歴代6位の2時間21分47秒を出した。今年の3月の名古屋ウィメンズマラソンでは、後半が強い向かい風になる悪条件の中でも自己記録に迫る2時間21分51秒で圧勝し、19分台の可能性感じさせた。

「もう16年くらい前の記録なので、これまでは取材で聞かれると『そろそろ更新してほしいです』と言っていましたが、その可能性があった(今年の)大阪は本当にドキドキしながら解説をしていました。テレビ画面の端にはいつも私の日本記録と比較する文字が出ているので、あれが消えちゃうのかと思うとちょっと寂しくもなりましたね」

 そう笑う野口さんに、日本記録更新の可能性について聞いてみた。

「一山選手と松田選手は、可能性が十分あると思います。なぜかと言えば、2人とも安定して高いレベルのタイムを出しているからです。一度20~21分台を出しても、次も出せるか、日本記録も出せるかと言えばそうではない。2回、3回と走るたびに記録を出している2人はやはり強いし、1万mやハーフマラソンでも結果を出しているのは強みです。特に一山選手は、コロナ禍でスピード強化を図って5000mと1万mの記録も伸ばしているので、バランス的にもすごくよく、近いところにいると思います」

 そして、マラソン選手としての体つきについてもこう言及する。

「ふたりとも体幹がしっかりしていて線が細くなく、昔のマラソン選手っぽいところがあるのが魅力です。私は身長が小さいのにストライドが大きかったので、筋力を鍛えないとマラソンを速いタイムで走り切れなかった。それでフィジカルトレーニングもしっかりやったけど、走ってつける筋肉も大事でお尻と太ももの間にポコッと盛り上がるくらいの筋肉がついていました。松田選手も同じような筋肉がついていて、筋力があると可動域も広がるし、長い距離に耐えられるだけのパワーも兼ね備えられるので、絶対に必要です」

 42.195kmを走り切るには体を軽くするだけではなく、筋力も必要なのだ。選手たちの意識がチームで戦う駅伝で結果を出すことに重きを置く傾向になり、本来の身体づくりが軽視されてしまったことが女子マラソン長期低迷の要因のひとつになっていた。「それとともに、選手自身の体作りの意識も少し低くなっていたのではないか」と野口さんは言う。

「実業団も走ることで給料をもらうので実質的にはプロですが、サラリーマン的な考えでやっていた人たちもいた気がします。後輩たちを見て、『この子たちはいったい何のために、好きなはずの陸上をやっているんだろう』と思った瞬間もありました。

 数チームの合同合宿の時に、ランニングコーチが設定ペースよりも速く走ると後ろのほうで文句を言っている選手たちもいました。2000年前後の高橋尚子さんや千葉真子さんの時代は、合宿では設定ペースを無視した、レースのバトルのような練習をしていたとも聞いていたので、そういう時代とは違うんだなと感じましたね」

 女子マラソンは、男子と同じように勝負強さと速さが試される東京五輪代表選考のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が選手の意識を変える大きなきっかけとなった。最後の1枠を争うMGCファイナルチャレンジ設定記録は2時間22分22秒。20年1月の大阪で松田がそれを突破すると、3月の名古屋では一山が松田を上回り、女子単独レース日本最高の2時間20分29秒を出すハイレベルな戦いになった。

「松田選手はアスリートにとって必要な負けず嫌いな性格で、自分の目標もしっかり持っている選手だと思います。それに一山選手は見かけとは違い、どんなきつい練習でも『やりたいです』と言って、泥臭い練習ができる人です。強くなるために一番必要なのは指導者ではなくて自分の気持ちだと思う。自分がどうなりたいか、どう進んでいくべきかを明確に持つこと。それがしっかりしているのが新谷仁美選手や一山選手、松田選手、前田選手、鈴木選手などのトップにいる選手だと思います」

 野口さん自身、優勝した04年アテネ五輪の前は月間走行距離が1370kmにのぼった。08年北京五輪は故障で欠場したが、足づくりのために不整地を走り込むなど、練習をしすぎた結果だった。「あそこから女子マラソンの低迷期が始まったのかなと思います。私の故障で悪いイメージがついてしまい、踏み込んだ練習ができない傾向になったような気がします」と苦笑する。

「やっぱりマラソンは本当にきつくて苦しい競技なので、練習で苦しまないと勝てない。そういう考え方が、一山選手や松田選手を見ていると戻ってきたと感じます。一山選手は大阪の前に1km25本をやったと聞き、『私には絶対できない』と思いました(笑)。

 走行距離だけではなく、スピード持久的なインターバルトレーニングなどのきつくて泥臭い練習ができるというのはメンタルと体が強い証拠。その練習ができるならすぐにでも19分台は出るなと思いました。

 それに松田選手も、400mのインターバルを私より2秒くらい速いタイムのうえ、リカバリーも半分くらいタイムでつないでいると聞いて、『私は絶対に無理だ』と言ったんです(笑)。高橋尚子さんも距離をしっかり走りながら速いペースでのインターバルもやっていたと思いますが、それができるのはやはり数人だったと思います。でも今はそれをできそうなタイプの選手が昔より増えてきているのかなと感じています」

 自身の経験から言えば、2時間19分台前半を出そうと思うとキツさが格段に違うと言うが、19分台後半なら2人の場合、ここ1~2年で出せる可能性が大きいと分析する。松田の場合、東京五輪へ向けては1万mにシフトせずマラソン練習を継続しているのを見ると、正選手との交代がなければ秋のマラソンで19分台を狙う可能性もある。

「誰かが19分台を出せば、それがきっかけになって女子マラソンが動き出すと思いますが、ふたりに刺激を与えそうなのが新谷選手だと思います。本人がマラソンをどう考えているかわからないけれど、彼女は気持ちの強さも持っているし、ハーフマラソンの日本記録も持っているので、マラソンを走ればとんでもない記録を出しそうな気がします」

 野口さん自身は、五輪や世界選手権などの大きな大会で勝っても、記録が悪いと気持ち悪さが残ったと言い、「どの大会でも2時間20分台前半では走りたかったし、夏の大会では勝負だけではなく記録でビックリさせたかった」と記録を出す意味をこう話す。

「そう思うようになったのは高温多湿だった98年のバンコクのアジア大会で、高橋尚子さんが当時世界歴代2位の2時間21分47秒で優勝したのを見たからです。故障を恐れて中途半端な結果を出すよりも、高い志を持って故障したほうが......。あまりよくないことだけど、そっちのほうが(自分が)納得できるかなという気持ちでした」

 野口さんの話を聞いて、記録を出すことがすべてではないのは承知のうえで、勝負をするならば持っていなくてはならない"攻める心"の重要性を改めて感じた。

 喜ばしいことに今の日本女子マラソン界にも、そういった気持ちを持った選手たちが再び出てきている。