『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅵ部 類まれなメンタル(3)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅵ部 類まれなメンタル(3)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2015年、世界国別対抗戦フリー演技の羽生結弦

 グランプリ(GP)シリーズ中国杯の練習中、他選手との衝突のアクシデントから始まった羽生結弦の2014−15シーズン。GPファイナルでは復活の姿を見せて連覇を果たしたものの、その2週間後の12月末には新たな苦難に襲われた。

 羽生は全日本選手権のフリー終了後に、続いていた腹部の痛みの診察をするために緊急入院。そのまま手術して安静期間を取った。15年2月の練習再開直後にもねんざをして2週間練習を休んだ。

 ギリギリで間に合わせた3月の世界選手権は、ショートプログラム(SP)1位から、フリーでハビエル・フェルナンデス(スペイン)に逆転されて2位。15年4月に東京で行なわれたシーズン最後の世界国別対抗戦の後には、激動のシーズンを「自分のせいだと思っています」と総括した。その言葉には、どんな経験でも自分の糧にしていかなければいけないという、強い意志が感じられた。

 その世界国別対抗戦、羽生はSPに続き、フリーでも192・31点でトップとなり、日本チームの3位表彰台に大きく貢献した。日本からは、羽生結弦、無良崇人、宮原知子、村上佳菜子、古賀亜美とフランシス ブードロ・オデ(ペア)、キャシー・リードとクリス・リード(アイスダンス)が出場。ほかの出場国は、ロシア、アメリカ、カナダ、フランス、中国だった。

 大会最終日4月19日のエキシビション前には、「今シーズンは完璧な演技がひとつもなかったのが悔しい」と話した羽生。完璧な演技を実現できるシーズン最後の場だったフリーでは、冒頭の4回転サルコウを練習時と同じようにきれいに決めたが、次の4回転トーループが3回転になってしまった。

「世界選手権の後もしっかりと練習していましたが、曲をかけた通しの練習では両方がそろわないことがけっこうありました。4回転サルコウを降りた後、疲労感があるというか......。4回転トーループを続けて2本だったら、同じことをやればいいと思っていますけど、サルコウとトーループはまったく違うものなので、そこの(感覚の)ズレがけっこうあります。そういう難しさをあらためて感じました」

 羽生は、トーループが3回転になった後、ややスピードを抑えたように見えた。「パンクになって回転数が減ったジャンプは、変な力の入り方になってしまうため、成功した時より疲れる」と自身が説明したとおり、予定していたジャンプを失敗した影響もあったのだろう。

 ミスをした直後、「自分の演技を確実にやり遂げよう」と意識を切り替えた羽生は、フリーでトップの得点を記録。それでも、演技終了後はSP後と同じように「悔しい」と口にした。

「4回転トーループが3回転になってしまったため、そのあとの連続ジャンプのセカンドを(3回転トーループから)2回転にしなければいけなくなって、GOE(出来ばえ点)も含めて8〜9点は失ったと思います。(成功していたら)200点を超えていただろうなと思う」

 そう言って苦笑しながら、4回転サルコウを試合で決められたことが、「大きな収穫だった」と語った。

「もしサルコウを失敗してトーループを降りていたのであれば、たぶんうれしさ半分、悔しさ半分ではなく、悔しさのほうが多かったでしょうね。でも、サルコウを決めることができたので、達成感はあります」

 ただ技術面での不満は残っていただろう。このシーズンを戦うにあたり、SPとフリーの両方で演技後半に4回転ジャンプを入れる難度の高いプログラムを組み、シーズン前の練習で手ごたえをつかんだものの、試合では実践できなかったからだ。

 ソチ五輪シーズンが終わった後、「五輪の優勝も世界選手権の優勝も、すでに過去のこと。次に待っているのはこれまでとは違う、新しい大会でしかない」と話していたように、新たなものを取り入れて進化していく覚悟が、羽生にはあった。だからこそ、シーズン最後の世界国別対抗戦の終了後、「来季は理想としている構成を組んでいきたい」と、高難度のプログラムに挑むことを宣言した。

 そこにあるのは、飽くなき向上心。羽生は「まずは(このシーズンで)成長してないところからあげてみると......」と言って、こう続けた。

「(前年末の腹部の)手術などは仕方ないとはいえ、自己管理不足や注意不足というのは明らかにあった。中国杯のアクシデントにしても、みなさんが思っている以上に、自分のせいだと思っています。まずはベストの状態に持っていかなければいけないけれど、万全ではなくてもベターな状態にして、毎回、最低でも今大会くらいの演技をしなければ、これからますます大変になると思うので、しっかり管理していかなければいけないです」



国別対抗戦エキシビションで見事な滑りを見せた羽生

 14−15シーズンの数々の経験を、「振り返ってみれば貴重なもの」と考え、苦難をくぐりぬけて、さまざまなことをプラスにとらえる強さを持っていた。

「こういう(ポジティブな)性格だからこそ、あのようなアクシデントからはい上がって来られて、常に勝利を勝ち取るんだという強い気持ちを持っていられたのだと思います」

 予想もしないアクシデントで目標が達成できないこともある。その悔しさを糧に新たな戦いに踏み出したのだ。

「練習方法など綿密に計画を立てて、何が必要で、何をすべきなのか一つひとつ考えるきっかけになりました。ケガをしてからどう調子を上げていくのか、どう身体を整えていくのか、ということも含めて、貴重な経験をさせていただいたなと思っています」

 力強く語った羽生は、世界国別対抗戦のエキシビションで前シーズンのSP『パリの散歩道』をノーミスで演じきり、フィナーレでも見事なジャンプを決めてみせた。

(つづく)

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。