東京五輪内定、陸上100メートル障害日本記録保持者が語る自身の価値観とキャリア 陸上の女子100メートル障害日本記録保持者の寺田明日香(ジャパンクリエイト)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身の価値観とキャリアについて語った…

東京五輪内定、陸上100メートル障害日本記録保持者が語る自身の価値観とキャリア

 陸上の女子100メートル障害日本記録保持者の寺田明日香(ジャパンクリエイト)が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身の価値観とキャリアについて語った。23歳で競技を一度引退し、道なき道を歩んできた31歳。現役選手でありながら、次世代育成のために尽力していること、社会にメッセージを発信し続けること。2日に東京五輪出場を決めた日本最速女子ハードラーがその信念を明かした。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 寺田明日香は、当たり前を壊してきた。

 例えば、6月26日。大阪・ヤンマースタジアム長居。日本選手権女子100メートル障害決勝、13秒09で4度目の優勝。11年ぶりのことだった。小学6年生であれば大学を卒業し、新社会人になるほどのブランク。20歳だった寺田は31歳になり、そして母になっていた。

「2010年当時は勝つのが当たり前でした。でも、2013年に一度引退した時に『ああ、もうあの景色は見られないんだ』と悲しい思いをしていたので、11年の時を経て、いろんな方々に協力してもらい、背中を押してもらいながら、また優勝の景色を見られて、すごく感慨深かったです」

 かつては五輪期待のスプリンターとして注目されながら、怪我や摂食障害などで不振に陥り、23歳で一度は現役を退いた。以降、企業勤務や大学進学を経験し、結婚、出産、7人制ラグビー転向を経て、陸上に復帰。日本一に返り咲き、従来の不可能を可能にした。

 支えとなったのは「チームあすか」の面々。コーチ、トレーナー、栄養士ら多くのスタッフがチームを組んでサポート。レース後、金メダルを胸に提げ、「応援団長」を担う6歳の一人娘・果緒ちゃんのもとに行くと「金メダル、金メダル! 早くちょうだい!」とねだられた。

 現役選手は、競技だけにすべてを捧げる。その当たり前も壊してきた。

 その一つが、期間限定の応援ファンコミュニティー「あすかクラブ」。クラウドファンディングで支援者を募り、日々の活動の舞台裏を発信している。今回の日本選手権も、現地入りの様子や予選・準決勝のウォーミングアップシーンなどをファンに共有した。

「やっぱり選手は(競技中など)見えている部分しか分かってもらえない。でも、選手一人一人にいろんなエピソードと物語がある。裏側でどういうことを頑張っていたり、うじうじしていたり、寺田明日香という選手を見て、人間として知ってもらえればいいなと思って始めました」

 最近は、選手が新たな支援やファンを獲得するためにクラウドファンディングを活用する例は珍しくない。しかし、寺田の活動が特徴的なことは、応援金を次世代のスプリンター発掘・育成のために役立てていること。

「A-START(エースタート)」という寺田自身が発足させたプロジェクトである。

「A-START」を現役選手で行う理由「12秒8台で走れる私をリアルに感じてほしい」

 コンセプトは「挑戦する人の新しいキャリアスタートを応援する」。コロナ支援として3月に行った第1弾は支援者206人から集まった総額251万6000円を活用し、高校生・大学生を対象としたスプリントキャンプを沖縄で1週間開催した。

「後輩の選手たちを皆さんで応援してもらいたいことが一番でした。私がポケットマネーでやるより、多くの方にファンになってもらい、選手のその先まで見てもらうことが、今後の陸上競技の発展に繋がっていくと思っているので」

 その“ガチ感”がスゴイ。希望者を書類選考で絞り込み、「チームあすか」のスペシャリストらによる5回のオンライン講義を実施。毎回、レポートを書いてもらう。「内容をしっかりインプットし、また自分の言葉でアウトプットできること」を軸に最終的に高校生9人、大学生8人を選んだ。

 現役選手の指導といえば、一日一緒に汗を流して体験をした“思い出作り”というスタンスも少ない。「本気の人に来てもらいたかった」と寺田。だから、自分も本気でぶつかり、ともに講座で学び、走り込んだ。引退後の方が負担は少ない、まして東京五輪を狙う立場にいたが、しかし――。

「見取り修行じゃないですが、トップの動きを見ることはかなり価値が高い。選手を辞めてからの私は『元陸上選手・寺田明日香』の動きになってしまう。12秒8台で走れる私は今しかいない。それをよりリアルに感じてほしい。現役だからこそやる価値が、見せる価値があります」

 コロナ禍に見舞われた今。「どんな苦境でも自分で考え、答えを導き出せる力を持ってほしい」と願いを込めた。結果、今季は多くの選手が自己ベストを更新していることに喜びを感じ、7月4日まで応援金募集をしている第2弾を含め、活動を継続していくつもりだ。

 寺田のもう一つ、特徴的な行動が社会にまつわる問題に声を上げてきたこと。

 これまでも結婚・出産の経験をもとに女性の社会進出など、様々なメッセージを発信してきた。最近、社会で広がる「ダイバーシティ」という言葉の解釈を聞いてみた。直訳すると「多様性」。寺田の解釈は「いろんな境遇を互いに認め合うこと」。自分の肩書きを引き合いに出して語る。

「私も『ママアスリート』と言われますが、それはママアスリートが稀有な存在だから。『パパアスリート』と言われないじゃないですか。だから、それも一つのダイバーシティの例なのかなと思っていて、その存在が当たり前になっていってくれればうれしいです」

 親として、娘のかかわりでも「ダイバーシティ」を日常的に考えている。「彼女はそこに関しては恵まれている」と寺田。ラグビー時代の仲間にはLGBTの友人や、脚が欠損している陸上のパラ選手らに触れる機会が多いが、果緒ちゃんの反応は自然体で変わらないという。

「私の女性の友人が彼女を連れてきても『仲良しでいいね~』みたいな反応。肌の色や言語も旅行や遠征で海外に連れていく中、なんで自分は日本語を喋り、この肌の色なのか、なんであの子は英語を喋り、肌が黒いのか、髪の毛がクルクルなのか。それを子どもなりに考えさせる。

 娘は幸い誰とでも友達になってくれる。やっぱり経験しないと人って怖がってしまう。うちは経験してもらい、本人が気づけないことがあったら、しっかりと説明をする。そんな風に子どものうちから他者を理解し、認め合える価値観が社会に広がっていくいいなと感じています」

社会にメッセージを発信する信念「私は私であるということだけ」

 こうした多様性を感じる意味で、目の前に迫ってきた東京オリンピック・パラリンピックは大きな価値を持つことになるだろう。

 今、開催を巡って世論は揺れる。果たして、東京五輪は何のために開催されるべきなのか。出場を目指してきた選手として、一人のスポーツ選手として思う意義とは――。寺田は「今はやっぱり歓迎されていない雰囲気はすごく感じています」とした上で言う。

「誰も想像していなかったコロナ禍から、いろんな人たちが少しでも良くしようと考えた結果、リモートワークの環境整備とか、陸上の競技会も感染対策の方法や検査とか、知恵が出てきた。もちろん、社会的には医療関係や飲食店のように苦しい思いをされた方々もいらっしゃるのですが、悪くなった部分もあれば、良くなった部分もあると思っています」

 もちろん、社会的に苦しい立場の心情は理解している。同時に、逆境に光を見出し、顔を上げるのはアスリートの一つの特性でもある。 

「やっぱり、人間は悪い部分に目が行ってしまうから、良い部分を忘れがち。でも、便利になった部分はやっぱりあって、会社に行かなくても仕事はできると気づいたし、選手も過剰な練習をしなくても結果は出るんだ、それならもっと自分の身体と対話しながら休んだ方が良いかもと気づいた。そういう前向きな方向に、オリンピックを通じて目を向けられればいいのかなと」

 批判も恐れることなく、想いを発信している寺田。なぜ、その信念を貫けるのか。アスリートとして心にあるのは「私は私であるということだけ」という。だから、行動の軸が他者の評価に依存することがない。

「寺田明日香が嫌いなら、それでいい。あまり作った私でいたくない。もし私にダメなことがあれば指摘してくれるチームがいる。今後についても、例えば、まだ社会に認められていないママが競技をする難しさを問題提起していく。それが後輩選手のためになり、女性が社会で働く環境を考えることに繋がっていけば。その中で、ありのままの私を認めてくれる人がいて、好きになってくれる方がいらっしゃればうれしいなと思います」

 嫌われることを恐れない。だから、いくつもの当たり前を壊してきた。寺田明日香という名の個性を光らせながら、東京の舞台も駆け抜ける。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)