陸上・日本選手権、新谷仁美は2種目内定も涙「棄権しようと追い込まれていた」 東京五輪代表の最終選考会を兼ねた陸上・トラック&フィールド種目の日本選手権最終日が27日、大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた。女子5000メートル決勝では、新谷…

陸上・日本選手権、新谷仁美は2種目内定も涙「棄権しようと追い込まれていた」

 東京五輪代表の最終選考会を兼ねた陸上・トラック&フィールド種目の日本選手権最終日が27日、大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた。女子5000メートル決勝では、新谷仁美(積水化学)が15分13秒73の2位に入り、優勝した廣中璃梨佳(日本郵政グループ)とともに1万メートルに続く2種目内定。極度の不安から棄権がよぎり、レース後は不甲斐なさから大粒の涙を流したが、自身の原動力を再確認する一日となった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 折れそうな心を責任感で奮い立たせた。5000メートルのスタートラインに立った33歳。見る側も胸を締め付けられそうなほど、表情に不安を滲ませた。「棄権しよう」。レース前から弱気な自分が表れた。選手紹介のアナウンスを受けた直後、両手でパン、パンと頬を叩いた。覚悟は決まったか。1万メートル日本記録保持者が2種目の内定へ走り出した。

 20歳の廣中が先頭でレースを引っ張る展開。新谷は3番手で600メートルを通過した。9分4秒で3000メートルを通過した廣中に食らいつく。しかし、差は開いていった。田中希実(豊田自動織機TC)にも抜かれ、4番手に後退。「ファンの皆さんには申し訳ないけど、途中で離されて正直諦めようかなと思った」。田中はわずか30分前に800メートルを終えたばかり。21歳の背中を見て思った。

「(棄権は)この子に失礼なんじゃないか。私は5000メートル一本だぞ、と。あの子がいてくれたことも大きかったし、廣中さんも、参加標準記録を目指す萩谷(楓)さん、同じチームの(佐藤)早也伽ちゃんもいて、みんなが五輪を狙ってきている。この大会で諦めることがどれだけ失礼なことなのか、正された気がした。そこでもう一度、挽回しました」

 ペースを上げた。3位以内なら五輪内定。前を走る選手の背中を捉え、4番手から残ったスタミナを燃やした。廣中から8秒04後に2位でフィニッシュ。五輪切符を掴みとると、廣中とがっちり握手を交わし、抱き合った。

 ただ、全く納得していない。会見の第一声は「私は常々100か0しか考えていない人間。今日のレースは簡単に言いますと、0点だった」。結果主義者の厳しい自己評価。レース前に弱気になった心境を吐き出すと、涙が止まらなくなった。

「寸前に『棄権しよう』と、ずっと横田(真人)コーチとかに逃げ腰で言っていた。本当に棄権しようと思うくらい追い込まれていた。私は今年になって結果を全く出していない。結果を出さないといけないアスリートとしては、今の状況は五輪に関係なく焦りがある。どこも痛くないし、調子も悪くないので棄権する理由がないんですけど、棄権しようという気持ちになった。

 でも、ここで逃げる形で棄権したら、(所属の)積水化学、(スポンサーの)明治、アース製薬が私に懸けてくださったものを失ってしまう。棄権しようと何度も思ったけど、戦わなきゃって。五輪なんてもっと怖いだろうし、ここで我慢して耐えるんだと。最低限、最後まで走り切れて本当によかったです」

レース後に客席へスパイクを投げ込んだ理由「結果を出せなかったけど…」

 今年は5月9日の五輪テスト大会5000メートルで15分18秒21の5位。日本記録更新を宣言しながら25秒も届かなかった。「練習を積んでもそれが身になっていない」。自己分析した原因は「日頃から気持ちのコントロールを上手にできていない」ということ。昨年12月には1万メートルで異次元の日本記録を更新したが、今年に入って精神面が成績に影響しているという。

 メンタルが揺れ動くのは、夢に見た五輪が近づいているからだけじゃない。20日に沖縄を除く9都道府県で緊急事態宣言が解除され、東京や大阪などはまん延防止等重点措置に移行した。まだ収束が遠いのが現状。「今はアスリート、スポーツが大きく在り方を問われている」。東京五輪を含め、コロナ禍のスポーツイベント開催に賛否があるのは重々承知している。

 テスト大会の時、会場近くで五輪反対デモを行う人々について「その人たちの気持ちに寄り添う必要がある」と説いた。しかし、精神状態は「苦しい。アスリートとしてどういう答えが望ましいのかわからない。今年に入ってから本当に悩んでいる」と吐露。当時は「それ(苦しむ姿)を見せたらいかん」と踏ん張ったが、この日は涙を堪えきれなかった。

 複雑な心境を抱えながらも、原動力は変わらない。上限5000人に制限された日本選手権。「結果を出せなかったけど、何かを残したい」。新谷はレース後、自身のスパイクを一人のファンに投げ込んだ。五輪本番を観戦できる人数は、当初より大幅に少なくなる見通し。「一人にしかあげることはできないけど、プレゼントの意味でお渡ししました」と足を運んでくれた人に感謝を示した。

 14年に一度引退し、4年間のOL生活を経て現役復帰。「応援してくれる人のために」という想いは、戦いの場に戻ってきた時からずっと持ち続けてきた。

「もちろん(大会開催の)反対意見があることも理解しています。でも、応援してくださる人がちゃんといる。私が復帰した時に一番感じたこと。それが途切れることなく、今日まで応援してれた人たちがいたから、いま走れるんだなと思います」

 棄権したいと横田コーチに伝えた時、即座に「棄権していいよ」と受け入れてくれたという。「それが大きかった。もう泣いちゃうくらい頼ってしまう」。良い時は感謝し、悪い時でも責任を分け合える信頼関係。「時速300キロでぶつかっても壊れない人。ほとんどの人は天国行きになるのですが、横田さんはそこを耐えてくださる。思い切ってぶつかっていける」。涙を流した会見の最後、冗談交じりの“新谷節”が甦った。

「気持ちをうまくコントロールしないといけない。そこをうまく結果に繋げる。やっぱり逃げ腰になってはいけない」

 五輪1か月前に表れた弱気な自分。この日流した涙は強くなるための糧。一度克服すれば、もう怖いものはない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)